【落語台本】ええじゃないか

紀瀬川 沙

第1話

▼京・二本松 薩摩藩邸の奥座敷


【慶応三年西暦1867年12月、冬の京都。吐息も白く煙る寒さのなか、一人の怪我をした侍と二人の同志が座敷におります。怪我人は重傷というわけではないけれども、人一倍吐息の白さ・濃さが目立ち、興奮冷めやらぬような様子。怪我人の周りにいる二人は、一人は幼馴染みの侍で、もう一人はその威圧的な物言いから目上の侍なのでしょう。三人に共通するのはいずれも長州藩士ということであります。長州といえば、ここ数年来の公儀との争いの果て、この年の瀬にいたっては再び国威発揚、これまでとは逆に公儀を東へ押し込もうという豪気な勢い。にもかかわらず、座敷の中央の怪我人はどうやらそんな元気はないようで。何があったのでしょうか】


家老   「大事なかったか。心配しておったぞ」

新太郎  「これは、これは、わざわざありがとうございます。このような姿で失礼仕ります」

家老   「よいよい」

新太郎  「この通り、斬られてもおらず、擦り傷・青あざといったところ」

幼馴染み 「向こう傷のみで、ぴんぴんしております」

家老   「おう。昨夜は、襲撃された由の一報が届いてから、皆たいそう心配していたのじゃ。怪我をして、ここ薩州の屋敷に運ばれたと聞いて」

新太郎  「郷里にも家老様から文で無事を知らせてくださったようで」

家老   「すぐに届くであろう。なに、文のひとつやふたつ。汝の健在に比べたら。にしても、襲撃の仕手は誰ぞ?」

新太郎  「それが、返り討ちで仕留めることあたわず、口走っていたことくらいしか手掛かりがなく申し訳ござりませぬ」

幼馴染み 「おおかた新選組の新参くずれか、見廻り組の落ちぶれ者の誰かでしょう。奴ら、世の潮流から見放されたと見え、自棄になっているのではないでしょうか」

新太郎  「斬り合いのなかで上意討ちと言ってはおりました」

家老   「身勝手な。今、我ら長州に手を出すということは、公儀に対する諸刃でもあると言うに」

幼馴染み 「まっとうな考えもなくなっているのでは」

新太郎  「討ち果たしていれば、骸も物証もあったでしょうに。申し訳ござりませぬ」

家老   「よい。仕手の幕府内の役目によっては、すぐさま戦になりかねぬからな。入念な戦支度もできぬうちに、というのはまずい。いずれにせよ、今はゆっくりせい。あと数日で剣の稽古もできようと薩州の藩医も言っておった」

新太郎  「御意」

家老   「萩の剣術の強さを、これからも目いっぱい発揮せい。一日一刻でも早い復帰を待っておる。今は一兵でもほしい」

新太郎  「ありがたき幸せ」

家老   「では、これにて」


【家老が去ると同時に、家老が豪快に襖を開け閉める、短く乾いた音が走ります。残るは幼馴染み同士の二人】


幼馴染み 「まぁ、焦るな。ああおっしゃるが、ゆっくり癒やせ」

新太郎  「かたじけない」

幼馴染み 「なんだか、外が騒がしいな」

新太郎  「塀の外か。このところ何やら珍妙な踊りがはやっておる。何の前触れか」

幼馴染み 「深い意味はなかろう」

新太郎  「だろうな。いやはや、萩のお城で学問をしていた頃が懐かしい」

幼馴染み 「頓に、どうした?」

新太郎  「家老様や他のお方の前では申せぬが、お主には本心を言える」

幼馴染み 「むむ?長州でも第一の碩学、第一の剣術のお主が。天は二物を与え給うたと皆申しておったではないか」

新太郎  「買いかぶり過ぎだ。京に来てひと月、剣もこのありさまだ。斬られもせず、討ち取りもせず。学問は好きだが、好きなことは世にさせてもらえないようだ」

幼馴染み 「諦めい、諦めい。生まれた世が悪かったのだ。ふふ、こんなことを京にのぼる前にも二人で話していたな」

新太郎  「ああ、懐かしい。あの頃は、郷里の一族郎党、仲間みなに囲まれ、文字通りありがたきことだったのだな。今思えば」

幼馴染み 「それを守るために、京にのぼった」

新太郎  「ああ、そうだ。それも、初めて真剣の立ち合いをするまで、疑いはなかった」

幼馴染み 「斬り合いをして、変わったか?拙者よりも先に経て、今何を思う?」

新太郎  「死にたくない、それだけ」

幼馴染み 「なんと」

新太郎  「お主もきっと思うと思う。今生きているのは、ほんの紙一重の運だとな。それを武運と呼ぶ者もおるのだろう。甲冑、はちがね、鎖かたびらも手甲も、紙一重をせめて重ねて生きたい、それだけじゃ」

幼馴染み 「どうしてそう思う?」

新太郎  「語ると陳腐だぞ。しかも断片的だ」

幼馴染み 「よい」

新太郎  「一太刀目以降、ほぼ覚えていないのだが、ひとつ覚えているのは、斬られ、いや突かれる瞬間、同行していた宿屋の丁稚の骸を盾にした。その時は何も考えておらん、とっさとしか言えぬ」

幼馴染み 「ほう、そうして致命傷が避けられたということか」

新太郎  「ああ、そうだ。その時の、抱き寄せた丁稚の骸の骨に刃が当たって止まる振動、感覚、は明確に残っておる。鎖かたびらの下の肌えが押される感触。血を吸った手甲の温さ」

幼馴染み 「ううむ」

新太郎  「ほんの昨夜のことだが、それから今まで、その感触の繰り返しと、先に言った死にたくないという考えしか去来せん」

幼馴染み 「飯ものどを通らんか」

新太郎  「ああ」

幼馴染み 「想像を絶するな。わかった、と言ってよいかどうか」

新太郎  「無理強いはしたくない」

幼馴染み 「一転、ねんごろにしてる、お麗のもとでも行ったらどうだ?」

新太郎  「今は色もない」

幼馴染み 「戦は問答無用だぞ」

新太郎  「せんかたない。その時はその時。逃げるか、命乞いか、何でもするだろうよ」

幼馴染み 「先祖、子孫の誉れは?」

新太郎  「知ったことか。あるいは、死にたくなければ、勝つしかあるまいな」

幼馴染み 「家老様が名刀の下賜をはからってくださるとか」

新太郎  「刃折れ、刃こぼれで死ぬことが少なくなるだけいい」

幼馴染み 「そんなものか」

新太郎  「そんなものだし、斬り合いではそれがすべて、だった」

幼馴染み 「ほう、なんとも。お、もう時刻だ。これにて失礼仕る。ゆっくり養生しろよ」

新太郎  「ああ、すまぬ」


【薩摩の藩邸奥座敷にひとり残された新太郎。幼馴染みが去ったその瞬間から、退屈そうに虚空を眺めております。そのまま鳥の声と風の音を聞いているんだか聞いていないんだか、一点を見つめて壁を背にして座っていました。時間は経って、そのままの姿勢で外はすっかり冬の宵の口。藩邸の塀の外では騒がしい踊りの音が前よりいっそう近づいてきた模様】


塀の外の大合唱

      「ええじゃないか、ええじゃないか」


【この騒がしさにも反応せず、暗い中そのまま動かない新太郎。ただ、その耳には、塀の外の踊りではなく、板張りの廊下を隔てた襖の奥の小さな声が確かに聞こえています。いや、その小さな声以外聞こえないといったさま】


薩摩藩士  「どうぞこちらへ。今日はよき物を拝見させて頂きました。殿もたいそう気に入られた様子。追って、金子を整えたうえでお話持ち込ませて頂きます」

天龍寺の僧 「ありがとうございます。そうおっしゃって頂いて、山より下りてきた甲斐がございました。天下の銘品、この小太刀はやはりお殿様に、と」

薩摩藩士  「加えてそうお伝えしておきまする。来派の銘刀、それがしも喉から手が出るほど」

天龍寺の僧 「ははは。もうお殿様の小太刀でありますぞ」

薩摩藩士  「ははは。おっしゃる通り」

天龍寺の僧 「それでは、よろしくお願い致します。追ってとのことで、今日のところはこちら、愚僧が山までしかと持ち帰りますので、ご安心を」

薩摩藩士  「お帰りの警護は?」

天龍寺の僧 「いやいや、愚僧のような者の身など天下の小事。お手を煩わせてはいけません。寄るところもありますので、結構でございます」

薩摩藩士  「そうですか。そうおっしゃるなら。まあ御坊も薩摩に味方する屋敷・仏閣はお分かりとのことで、何かあったら、迷わずそこへ」

天龍寺の僧 「では」


【壁を背にして座っていた新太郎、やおら起き上がり、手足の動きを剣の素振りの動きで確かめます。その後、ちょうど今朝家老より当座の新刀として与えられた剣を手に取り、鯉口を無表情で見つめます。柄より冷たい新太郎の手。それより冷たい目に輝きはない。更けてゆく暗い夜に目は閉ざされますが、耳には塀の外の大きな歌声が】


塀の外の大合唱

      「ええじゃないか、ええじゃないか。刀欲しさの坊主殺しも、ええじゃないか、ええじゃないか」


- 第2話へつづく-

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