第45話  金平糖みたいな

 その日からなっちゃんは特に「そういうこと」は言わなかった。それまでと同じなっちゃんだった。


 お母さんはもうわたしたちを『相思相愛』だと冷やかさなくなった。冗談にならないと思っているのか、難しい顔をしていた。


 わたしはほっとしたし、同時にガッカリした。


 疲れる……。


 変わったことと言えば、なっちゃんがバイトを辞めたせいもあって夜中のおやつパーティーが廃止されたことと、それからお互いの部屋に意味もなく入らなくなったことだ。


 それはどっちかが言ったわけじゃなくて、自然にそうなった。今まで仲のよすぎる兄妹だった方がおかしくて、たぶん、こっちが普通なんだ。


 ⚫ ⚫ ⚫


 ある日、お風呂に入ってからぼんやりスリーマッチングパズルで遊んでいると、珍しく大知が話しかけてきた。思春期らしく姉を避けていたくせに、だ。


 ソファに座っているわたしの隣に腰をかけると「雅さ、なっちゃんとケンカしてるの?」と突然言ってきた。


「ええ? してないよ。ちっともしてない」

「ならいいんだけどなーんかふたりはよそよそしいし、ふたりとも元気ないし。ほら、同じ家にいるわけだから一応、気になるじゃん?」


「……そうだね。してないよ。気にしなくて平気だよ」


 そっか、と言って二階に元気よく上がっていった。大知はいつも落ち着きがない。


 ⚫ ⚫ ⚫


 秋から冬に向かう季節に降る雨は、いよいよ温度を下げて体を冷やした。ブランケットに肩からくるまる。


「寒いの? 風邪ひくよ」


 お風呂上がりのなっちゃんが水を飲みに台所に来た。スエットにパーカーを重ねて着ていた。


「急に冷えるよな、今日」

「うん」


 日常会話はそれなりにしていた。

 律儀ななっちゃんはあんなに気まずい思いをしたにも関わらず、毎朝送ってくれたし、学校からも寄り道もせず帰ってきてくれた。


 わたしたちはふたりきりでいる時間が長かった。


 それを望んでいたのは自分だったのに、こうして実現するとどうしていいのかわからなくなる。なにを喋ったらいいのかわからなくなる。


「雅、お菓子あるからコーヒーでも飲もう。大知、寝ちゃっただろう? 雅が欲しがってたと思われるチョコを三種類買ってきた。クッキーもあるし、コーヒーは寝る前だからホットミルクに混ぜて作ってやるよ」


「……破格の待遇」

「バカ、今までだってそうしてきただろう?」


 どこに隠してあったのか、なっちゃんはコンビニの袋を取り出してきて中身を見せてくれた。


 そのうちのひとつはわたしが前から食べたいと思っていた新作で、他のチョコレートも季節限定だったり人気商品だったり、なっちゃんはわたしの欲しいものをよく知ってるんだなぁと感心する。


 わたしはと言えば、なっちゃんの好きな物はコーラしか思いつかない。


「なっちゃん、今日はコーラは?」

「寒い日には飲みたくならない時がある」


 なるほど。


 電子レンジがミルクを温めたことを知らせた。そこになっちゃんが砂糖とインスタントコーヒーをスプーンにちょっとだけ入れて混ぜてくれる。


「眠れなくなることもないだろう?」

 自分なっちゃんのカップにはスティックコーヒーをいれた。芳ばしい香りがため息のように一面に溢れた。


 カップが熱くて持てない。

 仕方がないのでチョコレートを食べる。口の中にころん、と転がす。独特の甘みと苦味がぶわっと広がる。


 ……あれ? 夜中にチョコレート食べるとニキビになるって聞かなかった? 唐突に思い出してあわてる。


「どうした? 好きな味じゃなかった?」


 あわててる自分に焦りが生じる。小さなどうしようもないことに。


「そうじゃなくて、その……。夜中にチョコレート食べるとニキビになるかなって」

「ニキビ?」

「ニキビ」


 なっちゃんの長い腕がテーブルの向こう側から届いて、わたしの前髪をかき上げた。うわー、目と目が真正面から合う。こんなことを言い出したことを後悔する。


「大丈夫そうだけど? いつも通りキレイだよ。……悪かったよ、いきなり触ったりして。夜中に今度からチョコはやめような」

「そういうんじゃないから」


 このままじゃなっちゃんに悪いんじゃないかと頭をめぐらせる。ほっぺが熱い。赤くなってるのがバレたくなくて下を向く。

 絶対、今までよりわたし、態度悪い。


「そんなこと思ってないの。ただ、ほら突然だったし、久しぶりだったし」

「······うん、そうだね」


 ヒーターの温風を吹き出す音が一定の音程で聞こえる。それは足元を暖めて、それから上に昇ってわたしの頬をいま暖めている。


「手を、出して」

「なんだよ、また手相?」

「違うよ」


 なっちゃんはさり気なく右手を差し出した。ほい、といった具合で。


 わたしはその手を左手で掬うように、そして右手を被せるように包んだ。なっちゃんはなにも言わなかった。


 わたしたちを結ぶのはその手の体温だけだ。


「いつも言ってるだろう? 無闇に男と手を繋ぐなよって」

「男じゃないよ、なっちゃんだよ」

「······なっちゃんだって男だよ」


「なっちゃんはなっちゃんだよ。でもね、なっちゃんの言うこともわかってきたの。手を繋いだら距離は縮む?」


「なんだよ、匠の話? 縮まないよ。手を繋ぐ練習は無意味だよ」

「そんなことない、縮むよ」


 なっちゃんに聞かれないようにすぅっと細く息を吸い込む。大切なことを言う時は相手の目をしっかり見ることが肝心だ。


 心の中にきらきらしたものがたくさん降り積もる。その金色の金平糖のようなものは食べたらずっと甘いに違いない。うずたかく、心に降り積もっては弾けていく。


「縮むんだよ。だってなっちゃんがすきだから。まだなっちゃんの気持ちに追いつけてるのかわからないけど、それでもなっちゃんがすき。ほかの男の子たちとは全然違うの。なっちゃんのいない四年間は、特別な人のそばにいない四年間だよ、きっと」


「雅、すきにも種類があって」

「そんなの関係ないよ。特別な人はなっちゃんひとりなの。

 ずっと家族だったから、なっちゃんのダメなところも悪いところも全部見てきた。それでも嫌いにならないよ。

 だからもし離れちゃっても、気持ちはどこにいても繋がってるって保証する」


「クーリングオフなしだぞ」

「返品不可だもん。なっちゃんがそうやって育てたんだよ」


 そっちに言ってもいい、と聞かれる。隣の席は丁度よく空いている。繋いでいた手がするりと抜けて、なっちゃんがそこに座る。


 ――ブランケットのように。


 なっちゃんは大きな体ですっぽりわたしを包み込むようにやさしく抱きしめた。


「こんなことしてごめん。でも雅が悪い。かわいいことばっか言って。後になって『意味がわかってなかった』って言っても遅い」


「わかってるよ。なっちゃんはさ、大切なお兄ちゃんで、特別なひとなんだよ。家族だけどそれ以上なの。忘れないで」


 忘れないで。

 わたしたちの絆は壊れないから――。





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