第39話 長いお説教

 今日はこれですきな冬服でも買っていらっしゃいよ、と、手に一万円札を握らされる。確かに冬服を買う季節だ。でもいつもならお母さんと一緒に買いに行く。


 要は体良く追い払われたのだ。


 なっちゃんを見る。なっちゃんはわたしを見ない。

 みんな、わたしが部屋を出るまでは口を開きそうになかった。


 ⚫ ⚫ ⚫


 仕方がないのでいちばん近いGUに向かう。歩いていてもずっと考えてしまう。なっちゃんの言うことが本当なら――わたしが本当に『錨』なら、なっちゃんはわたしが留守の間にいなくなったりしない?


 そもそも錨なんてなんのために必要なんだろう? 船が漂流しないように海に沈める錨。それがわたしだなんて。


 バカげた想像だ。


 なっちゃんはやさしいからそう言っただけで、わたしにそんな力があるとは思えない。わたしは非力な中学生だ。二学期末の評定にビクビクするくらいに。


 つまらない。なっちゃんのそばにいて、助けてあげることができない。


 店では適当に気に入った服、つまりお母さんなら反対しそうな服を買って自動精算を済ませる。


 袖がレースになったサーモンピンクのセーターとか、カフェオレ色のスエードの細いプリーツスカート。大判のピンクのチェックのストール。マショマロパジャマ。真っ白いストンとしたニットのワンピース。


 ポイントの貯まらないスマホの会員証をかざす。仰々しい顔をした一万円札が、吸い込まれていく。


 例の、あのコンビニに差しかかる。あ、と思って中に入る。忘れ物を買う。わたしとなっちゃんの間にはこれが必要だ。ちょっと安心する。


 ⚫ ⚫ ⚫


「ただいまぁ」

 気の抜けた声で帰宅を告げる。


「雅」

 お母さんがリビングからあわてて出てきて、後ろ手に扉を閉めた。


「まだお兄ちゃんの話、終わってないから部屋に行ってて」

「お母さん、待って」


 苛立たしく思ったわたしは、嫌がらせのように玄関でGUの袋を開けて服を取りだした。袋はガサガサと耳障りな音をたてた。


「これを買ったの、似合うかな? お母さんがいなかったから上手く選べなくて。えーとレシートとお釣りは……」

「後ででいいから部屋に行ってなさい」


 お母さんはわたしがどんなにバカげた服を買ってきたのかということに興味はなかったようだ。


 そしてどうしても話には入れてくれそうもなかった。あきらめて階段を上る。すとん、すとんと足音まで間が抜けている。


「尚!」


 時折、お母さんがなっちゃんの名前を大きな声で呼んだけど、その返事は二階までは届いてこなかった。


 お父さんとお母さんが嫌いなわけじゃないけど、その前でうなだれているなっちゃんを想像すると胸が痛んだ。


 ⚫ ⚫ ⚫


 ガチャリと音がして、疲れた足取りのその部屋の主は帰ってきた。


「おかえり」

「不法侵入」

「なっちゃんにコーラを」


 なっちゃんはわたしの顔を見ようとはしなかった。コーラにも手をつけない。不機嫌さを前面に押し出して、ベッドの上にばふんと倒れた。


「あのね、コーラ、買ってきたよ」

「……ありがとう」


 いつもはシュワシュワいっているコーラの容器は開けられる事もなく、静かにそこに佇んでいた。居心地が悪い。でもなっちゃんを一人にしたくない。けどなっちゃんは一人になりたいのかもしれない。


「グラスは?」

「無い、けどなっちゃんにおみやげだからいいの」

「ん」


 なっちゃんはごくごくとそれを飲むと、ずいとわたしに渡してきた。


「今さら間接キスとか関係ないだろう?」

「まぁ、そうだけどさぁ」


 ボトルを両手の間で持て余す。おかしなことを言うから、意識してしまう。


 間接キスかぁ。そうか、みんなそういうことを意識してるのか。


「嫌だった?」

「ううん、大丈夫だよ」


 ぐっと一息に口をつける。間接キスということはつまり、なっちゃんの唇が間接的にわたしに触れたというわけで。……そんなこと、小さい時から何度もしてるじゃんという冷静な判断が頭をよぎる。


「……」


 なっちゃんは何も言わずにわたしがコーラを飲む横顔を見ていた。わたしは視線を感じながら、何口かのコーラを飲み込んだ。


「はい、残りはなっちゃんの」

「もういいの?」

「なっちゃんのために買ったから」


 初めてにこっとわたしに笑った。


「で、服は何を買ったの?」


 ちょっと待ってて、と言い残して部屋から袋ごと持ってくる。タグのついたままの服をずるずるっと引き出す。


「どう?」

 体に当てて見せたのは真っ白のニットワンピースだった。


 ······あ、覚えてる。なっちゃんがデートしていたあの人も、こうやってなっちゃんに服を見せていた。


 褒めてほしかった気持ちがしゅんと萎む。そう、あの人と同じくなっちゃんに褒めてほしくて買ってきた服だ。そう、自分でわかってる、背伸びをして……。


「かわいいじゃん。色が白いからよく似合うよ。なんかあれだね、ちょっとセクシー系? 雅はそういうのが欲しいんだ。子供だと思ってたのに、この前出かけた時といい大人っぽいチョイスで驚く」


「きっと似合わないよ」

「どうしてだよ。似合ってるって言ったのに」

「似合わない」


 急にそんなやましい気持ちで選んだ服の山が恥ずかしくなる。


 ちょっと外に出かけるための服なんて一枚も買わなかった。お母さんへの反抗の気持ちも確かにあった。どれも持っているものに合わせて着まわせるようなものではなかった。


なっちゃんとまたデートしてくれるんじゃないの?」

「ねぇ、なっちゃん、いなくならない? また一緒に出かけてくれる?」

「さっきのワンピース着ていく?」

「なっちゃんが喜ぶなら」

「喜ぶよ。かわいい妹がキレイな妹になっちゃうな」


 なっちゃんとお母さんたちが何を話していたのかわからなかった。なんだか大変な話になっているようなことには気づいていたけれど。


 もっとも重要なのは、なっちゃんがいつまでもそばにいてくれることだった。

 いつまでも、少なくとも今はいつまでもそばにいてほしい。


「雅とどんどん離れちゃうな」

「なんで?」

「キレイな女の子って、それだけで遠いもん」


 遠くないよ……という声は口に出たのかどうかわからない。

 わたしがやけになって床に落としたワンピースを指先でなっちゃんは拾った。そうしてわたしの体に当てる。


「一緒に選べばよかったかな?」

「できなかったくせに」

「そうなんだよ、長いお説教だった。子供の時にもこんなに怒られたことないよ」


 そう苦笑した。目が悲しげだった。

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