チロとミチは今夜もKissが交わせない

みつお真

第1話 ホワイトルシアンとスプモーニ

両の手で救い上げた淋しそうな顔は、ほろ苦いプディングのカラメルみたいに震えているの。

泣いても泣いても零れ落ちる涙の味は、塩気が抜けて物足りない。

コアラのような腫れた小鼻を見られたくはないから、ドラックストアでマスクを買った。

だけど、そんな姿にもうんざりしている。


狂おしい現実。


心に出来た。先の見えないトンネル。

望んでいた訳じゃないけど、それが素顔の自分なのかな。

何ひとつ掴めないなんて辛いよね。

なら、生まれてこなきゃ良かったのかな。

ホワイトルシアンはいつもと同じで、ひねくれた香りで笑ってくれる。

未来が見えなくなった時、助けてくれる人なんているの?


私が求めているのってなに?

いくら問いただしても答えなんて見つからない。

歩き疲れた先のネオン街。

私にお似合いの掠れた街明かり。


誰でもいいから。

私を拾いあげて。

だって・・・。


雨だから。





「傘・・・」


気が済むまで泣いたら帰るつもりでいた。

私の場所。

古い雑居ビルの冷たい非常階段。

濡れるのもキライ。

私が見つけたお似合いの場所。


「傘・・・」


冷たそうな女の人の声。

初めて出逢えた言葉。

無気質に言い返す。

私の肩に落ちる雨の滴。


「大丈夫です・・・」


「貸してやるよ」


「いえ」


「雨・・・やみそうもないけど」


「構わないで下さい」


荒がる自分の声に驚く。

こんな私はキライ。

いっそ消えてしまいたい。


「・・・ごめんなさい」


「いいよ、別に」


「・・・」


「けど構ってなんかないけどさ・・・ココ・・・店の前なんだけど・・・」


「え?」


「開けらんないから。どいてくれる?」


「ご、ごめんなさい!」


「あ!ちょっと!」


「はい」


「雨」


「え?」


「まだやんでないんだけど」


優しく微笑んでくれるその顔は、街灯の明かりに照らされていた。

混乱している私。

成り行きの恋。

そうじゃない・・・。


「傘持ってけよ」


「大丈夫です。慣れてます」


「え?」


「慣れてますから」


「・・・雨に慣れてるの?」


「ごめんなさい。すぐにどきます」


「あ!待って!


強引に掴まれた私の肩がたじろいでいる。

だけどなんで?

力が抜けていく。


「一杯だけ・・・」


「え?」


「飲んでかないか・・・? 一杯だけ・・・」


「雨・・・だからですか?」


「・・・雨だから、かもね」


私とチロさんの出逢い。

辿々しい現実と、忘れられない雨音。

そしてホワイトルシアン。

カルーアのほろ苦さに良い痴れてみたかった。

哀しいわけでもないのに・・・と、またウソをつきながら。

生クリームは、恋の始まりの甘い吐息に似ている。

なんだかあつい・・・。

もっと欲しいのに、ウォッカが余韻を邪魔している。

これも、雨のせい?




7人がけのカウンターバー。

シャンデリアの光と、リキュールの鮮やかなパラレルワールド。

埋没していく私に、チロさんが語りかけてくる。

ウィスパーボイスに包まれてしまう心。

私の弱さ。

ホワイトルシアンの面影、空のグラスが淋しい。


「秘密基地にしたかったんだ」


「秘密基地?」


「カウンターしかない店だけど」


「いえ、素敵なお店です・・・」


「オトナの秘密基地」


「ステキだと思います」


「・・・私も飲もうかな」


「え、仕事中に・・・?」


「飲むのが仕事だから」


「あ」


にっこり微笑むチロさんの喉が、スプモーニを飲む度に上下する。

綺麗なデコルテライン。

触れてみたい素直な気持ち。

エステとか行ってるのかな?

そんなことも聞けない私。


「あの」


「なに?」


「毎日、飲むんですか?」


どうでも良い質問。

だけど、チロさんは優しく答えてくれる。

聞きたい事は永遠にさようなら。


「飲むよ、毎日毎日ね」


「カラダ大丈夫ですか?」


「心配してくれんの?」


「あ。いえ、はい・・・」


「ありがとう。私はアンタが心配だけど?」


「あ。ごめんなさい!」


私の中にも、スプモーニがとろけて行く。

唇が濡れる。

首筋から耳たぶが熱い。

サル耳。

私のコンプレックス。

見られたくないから髪で隠している。


「曲、かけるから」


「は、はい」


「見たことある?」


「レコードですか?」


「そう」


「音、鳴るんですか?」


「当たり前だろ」


「すごい・・・」


「ミゾがあってさ。その中に突起があるわけ。それを針で拾ってスピーカーから音が出るんだ」


「すごい」


「ロバータフラック・・・」


「ロバータフラック」


「知らない?」


「ハイ・・・ごめんなさい」


「キリングミーソフトリー」


「キリングミー、ソフトリー?」


「優しく」


「私を」


「殺して・・・」


スプモーニーは、大人になれない理由を語らせてはくれない。

刺激が強すぎるカンパリを、グレープフルーツジュースがなだめてくれるから、うんと甘えても良いのかな?

だけど、トニックウォーターは苦手。

あいつと同じ味がする。

雨の匂いとアロマキャンドル。

ゆらゆら搖れる炎は、時々びっくりしたように大きくなったり小さくなったり。

影のおばけに癒される心。

こんな雨の日だったら、毎日でも良いかな。


「雨の日だからさ」


チロさんは私を見透かしているの?

次の言葉に戸惑う私の台詞。


「やまないですね・・・」


ありきたりな言葉に、思わず苦笑い。

チロさんの魅力的な大きな口。

ミルクみたいな白い肌。

あやかしの眼差し。

ハーフなのかな・・・それすらも聞けない私。


「暇なんだよね・・・」


「いつまで降るんだろう・・・」


「まだ2杯目だけど?」


「え?」


「酔ってる?」


「いえ、全然・・・酔ったかもです」


こうな風に見透かされるのも悪くない。

雨のおかげ?

結局、奥さんが大事だと言ったあいつの顔なんか忘れていた。

それだけの男。


「仕事は?」


「つまらない仕事です・・・ホントに・・・つまらない仕事・・・」


卑怯な元カレ。

私の上司。


「仕事なんてさ」


「え?」


「そんなもんだよ」


「・・・」


「ん?」


「・・・」


「泣くのか?」


「泣きません」


「泣きなよ」


「な、泣きませんよ・・・」


また、コアラみたいになっている私の鼻。


「逃げちゃえよ」


「逃げる?」


「逃げるが勝ちだからさ」


「そんなの・・・」


「闘うのは負けだから」


「・・・」


「そんなに戦争がしたいんですか?」


チロさんは悪戯っぽく笑ってティッシュをくれたけど、私は泣きたくなかったから席を立って言った。


「あ、あの」


「ん?」


「傘・・・傘を貸してください」


「いいよ」


「ありがとうございます。それと」


「金は要らないよ。誘ったのはこっちだから」


「でも」


「要らないから。それよか、傘ちゃんと返してな」


「ハイ」


「おやすみ」


「おやすみなさい」


チクタクチクタク。

時間が過ぎていくー。

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