0-1 道中/9053 4E2D

>記: 毛野乃伝


 ヤマトより近つ国、湖と川、海に恵まれたイヅモの国をケナが訪れた時は、田に水張る夏の初めであった。漁が盛んな国であり、美しく美味なが獲れることから、その都市は靑鰉国あおひがいのくにと呼ばれている。


「起きな、ヤサ男さんよ! ......いいもんが見えてきたぞ!!」


「海とか岬とか、何たら岩ならもう見飽きた」


「イヅモの都だ。地の下の都暮らしをして来た狗奴の人たちにとっちゃもの珍しいもんだろう?」


 遠くには、高く銀色に輝く塔が見える。あれこそが靑鰉国を望むイヅモの都の象徴であったが、荷車の中で一人の男と、もう一匹の白犬はそれに見向きもしない。まなこを開けようともしない男の姿を見て、犬は


『御者よ、我が主は寝るしか楽しみのない旅に慣れてしまったようだ。もう少しだらけさせてあげたほうがいい』


「それしか楽しみがないんじゃない、揺られ旅の楽しみは食って寝ることなんだ、オオネ」


『食うために駆ける犬には、その気持ちはわからないな』

 そう言って白犬は大きな欠伸あくびをする。


「物言う犬と物言わん人間、仲良さそうでいいねえ、俺だってこの黒牛が陽気な話し相手ならどんなにいいかと思うぜ!」


『会話機構は本来、我らが連携に於いては不要な機関だ。神々が獣に人の声を与えなかったのは人との無用な争いを避けるため。君は牽牛ひきうし罷業ひぎょうの言葉を投げかけられれば怒るだろう?』


「......怒りゃせんよ、こいつは長い付き合いだ、たまには労うさ!」


『そう勝手な思考でいるうちは対話機能など不要だ。そしてそれぐらいが獣にはちょうどいいのだ』


「講釈はもういいんじゃないか、オオネ。話好きで天邪鬼な犬だと思われても嫌だろ」


 生まれ育った都を離れて16の日が過ぎ去り、 狗奴国くなのくにの境となるナガトを出てからは二頭引きの牛車に揺られ、伴の犬を枕に、押し黙って眠るだけの旅にも飽きた頃だった。


「なあ、いい加減教えてくれよお、書状の内容をよ。亡国となって久しい狗奴が、何を求めてあんちゃんを遣いに出したんだい?」


「フン、当ててみろよ。行商の身なら、少しは国の間の情勢もわかろうもんだろ?」


「さあな...... オレはナガトと靑鰉を行き来するのみの身でな。貴神三国うずのかみのみつくにがなぜ嘗て大乱を為して、また何事もなかったかのように国交を開いていているのか不思議でならねえ。......何もないに越したこたあ、ないんだがな」


 商人は首を掻き、あたかもおのれが軽率だったかのようにおし黙った。知らない方がいいこともある、ということをよく知っているのだろうか。

 そうしている間にもイヅモの都の、燦鏡あざかがみのように輝く巨大な硝子の塔は近づきつつある。鈍く輝き、唐竹を斜めに切ったような塔は、真に天を貫くかのようにそびえ立つ。

 無数の管と煙突が、表面を這い回ったかのような軌跡として張り付いていて、その塔を取り囲むように壁と堀、またその外に壁と堀で取り囲み、中で幾重にも区画が分けられ、その壁の内外に軌道交通が張り巡らされている。この壁を靑鰉の国人たちは「八重垣やえがき」と呼んでいるという。


「百禽の都のそれにも劣らぬいつくしき塔よ、見ろよ! かの神様はなぜかようなものを建てたのかと思うぜ」


「明白だ。根堅洲国ねのかたすくにの主が外界とのくさびとして建てたものを、人々がありがたがって拠り所としたにすぎん。それ以上の目的もなかったものを、神は人の憩うところにしてくださった、そうじゃないのか」


「模範解答すぎて芸がないぜ、ヤサ男よお。あれは機を織り、鋼を編み、うつしき青人草に力を与えてくださるが、何のために? 靑鰉には古より、狗奴くな熊襲くまそも、大倭おおやまとも。中つ国の大国おおくにとして、様々な国人が集まる。あんたみたいな高貴な奴でも、俺みてえな下賤の民も、大なり小なり穢れを抱える。

 だが見よ、この果てしない海や山河、心が洗われるようで美しい国じゃねえか。こうして洗い流されたケガレは、根の国へと流れ、ハレてまた中つ国へと戻り美しき国の一部となる。国人のケガレを集めて取り込むための都であり、そのための塔なんだよ、きっと」


「ふむ、そしたら狗奴の都にも何か役割があるのだろうかな」


「狗奴の都ぉ? あまり聞いたことがねえなあ」


「無理もない。夜をす我が国の主は知られたがらないからな。同じように印刷機や演算機だらけだが、それらは地下深くにある。それらは月の寝床であるとでも?」


「そんなこと俺が知るかよ、あんたも王族なら自分の都のことぐらいわかるだろうが!」


「ああ、が知らないなら、領民が知っている道理もねえな。きっとお前の国も同じだ」

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