午前1時32分第44駅通過

多架橋衛

午前1時32分第44駅通過

 突然のベル。

 同時に、仮眠用のベッドが自動で起き上がる。

 どんな人間でも目を覚ましてしまうベッド。

 布団を跳ねのけると十月の真夜中は思ったよりも涼しい。

 壁に掛けたジャケットを羽織って無線にかじりついた。

「こちら第44駅駅長代理」

『こちら運転指令室。二時間後の午前一時三十二分に第44駅を下りの貨物列車が通過する。職務を遂行せよ』

 声の主は借り物の威厳を振りまく。無線に答えるのは三度目だが、芝居のひどさは日に日に増していた。こっちを女だと思って下に見ているのだろうか。いや、時節柄、ということにしておこう。

 何せ戦争中だ。

 職務を遂行せよ、なんて国の命運を握る連絡ひとつとっても、さぞ気持ちがいいに違いない。もっとも、まともな軍人ならこんな間抜けな言葉遣いはしないのだが。所詮は一般就職してたまたま戦争の一端を担うようになった素人だ。笑わずに付き合ってあげるわたしは、偉い。

「了解であります。……いつもより連絡が早くはありませんか」

 思った疑問を素直に打ち明ける。戦時下だから、重要物資を運ぶ列車の通達はいつもぎりぎりになる。具体的には通過の一時間半前。今日は、さらに三十分も早い。

『第44駅の付近に異常を感知した。このままでは遅延もあり得る。早急に対処し、定刻まで正常を保つように』

「了解であります」

『以上』

 これも仕事の内だ。ちゃんと駅員の制服を着こんで、制帽にはライトを装着。

「異常か……鹿か?」

 戦争が進むにつれて、このあたりの人口もかなり減った。隙間を埋めるように、山のほうから野生動物が下りてくるようになった。線路脇の草を食んでいたりもする。

 それくらい、第44駅の周辺は田舎だった。言い方を変えれば郊外のさらに外縁部。一応、乗り換えもあるということでホームは二つに線路も四つだが、いまやホームの一つは封鎖され線路もひとつしか残っていない。

 一方で、貨物列車にとっては城壁の出入り口に等しい。ここを安全に通過できるかどうかはお国にとって大問題となる。

 田舎駅のたった一人の駅員で宿直でしかも駅長代理ではあるが、そういった言葉とは裏腹に責任は重い。

 猟銃を構える。頬を乗せた銃床が冷たい。ヘッドライトと照準の一致を確認し、何度かきつく瞬きをしながら、そろりそろりと駅舎を出る。

 清涼な空気。そこら中から聞こえる虫の声。新月なうえ、曇っている。

 ヘッドライトをさっと振る。雑草のモザイクが駆けていった。鹿のような大きな茶色があればさすがにわかるはずだが、見当たらない。今度はゆっくりとさらう。艶のない線路と、人の背まで茂った草ばかり。やはり異常は見つからない。もしかして、倒木や石の類だろうか。もしそうだとすれば線路の上を歩いて確認しなければならない。ひとりで除去できるかもわからない。応援を呼ぶことも考えたがそれは非常に面倒だ。

 表情が歪みそうになるのを何とかこらえて、猟銃を下ろそうとした。

 音が聞こえた。

 雑草をかき分ける乾いた音だった。

「――っ!」

 銃を構えなおしてライトを向ける。

「うあっ!」

 のんきな悲鳴が上がった。

「……女の子?」

 身長から見て十二歳前後だろうか。反抗的な目つきにはまだ幼さが残る。

 ジャージの上からぶかぶかのレザージャケットを重ね、足元は泥だらけのスニーカー。まともに手入れをしていないのか、髪は伸ばし放題でそこら中に泥や枯草がついていた。顔も汚れまくっていた。

 だが恐ろしいのは。

 全身を緑と茶色でランダムに塗り分けていたこと。

 迷彩だ。

 さっき気づかなかったのは、夜とはいえこの迷彩のせいだった。

 これが敵なら、わたしは死んでいた。

 大人げなく声を荒らげたのはそのせいに違いなかった。

「誰だ! こんなところで何をしている!」

 殺すべきか? だが後処理が面倒だし、万が一、異常を察知して応援が駆けつけていたら厄介なことになる。戦時中とはいえ国内での殺人は犯罪だ。

「子供は家に帰れ! ぐずぐずするな!」

「子供じゃない!」

 女の子はほとんど泣きべそをかいている。

「……は?」

 思わず反応しそうになったが、そんなことをしている暇はなかった。列車通過まで二時間。この女の子を追い帰さなければならない。

「お前と話すことはない。とっとと帰れ!」

「嫌だ! 列車に乗せて!」

 なおも女の子は食い下がってくる。

「乗せるわけないだろう! 撃つぞ!」

 本当に撃った。スラッグ弾が女の子の二メートル横で草むらを貫いた。それよりも発砲音が効いたらしかった。すっかり腰を抜かして線路に座り込んでいる。

「次は当てるからな」

「当てるなら当てろ!」

 とうとう泣き出して、自暴自棄になってしまった。こうなると子供は梃でも動かない。

 本当に殺すか。照準を女の子に定める。

 すると、女の子は背中のリュックに手を伸ばして、シャベルを振り上げた。

「お、おい、何を――」

「わたしを列車に乗せてくれないなら、線路、壊すから!」

 様々な想定が頭の中を駆け巡った。

 彼女を撃つ。シャベルが線路に傷をつけたらどうする? 死体の処理は?

 シャベルを撃つ。彼女がさらに自棄を起こしたら? 結局殺すしかなくなる。死体は?

「わかった」

 迷わせてもくれなかった。

「上がってこい」

 女の子の表情は一瞬のあいだ呆け、すぐさま年相応の無邪気なものに変わった。

「いいの」

「とりあえず上がれ」

 女の子がホームに手をかけ這い上がる。荷物が重いのか、なかなか上がらない。

 手を貸して引っ張り上げるのだが、猛烈にすえた臭いがした。汗でびしょびしょになったシャツを一か月ほど熟成させたような臭いだった。

「詳しいことは後で聞く。とりあえずシャワーを浴びろ」

 忙しいというのに。

 甘いかな。




「鹿が線路内に立ち入っていました。猟銃で追い払いましたが……はい、三十分前からホームで見張っておきます。遅延の心配はありません」

 指令室にはそう伝えておいた。まさか、女の子が出てきたので駅務室で保護しています、なんて言えない。

 当の女の子はシャワーを浴び終えたところらしく、水の音がとまった。

 わたしは紅茶を淹れてやった。

「……この部屋臭くない?」

「薄荷だよ。防虫と消臭だ」

「どこにそんないいものがあったの」

「そこらへんに生えてる薄荷を適当にむしって作った」

「ふうん」

 自分から聞いておいて特に気にするわけでもなく、奥のソファに座り込んだ。

 彼女は全身の汚れを落としすっかりきれいになっていた。さっきまで着ていたどろどろの服はごみ袋に詰めているし、清潔な着替えも持っていたし、野生児ではなかったらしい。

「で、列車に乗りたいのか?」

 わたしは彼女の向かいに腰を下ろす。

「うん」

「言っておくが、列車は駅には止まらないぞ。通過するだけだ」

「知ってる」

 即座の返事だった。嫌な予感がした。

「じゃあ、どうやって乗るつもりなんだ。高速で走る列車に。言っておくが、わたしは何もしないぞ」

「情報なら集めてる」

 女の子は泥だらけのリュックから、これまたボロボロになった手帳を取り出して、テーブルの上に広げた。せっかく淹れてあげた紅茶に、ほこりが入ってしまった。

 手帳には、このあたりの大雑把な地図が描かれていた。女の子の指が、列車の代わりに地図上の線路をなぞる。

「この三か月間、ずっと線路を見張ってた。一週間に一度、同じ時間に同じ列車が、同じ速度で同じ場所を通って戦地に向かってる。駅の先は急カーブがあって、駅の手前から少しずつ速度を落とし始める。速度の落とし方もいつも一緒。運転の再現性から考えて自動運転。運転士がいても一人か二人。たまに兵隊さんを乗せる列車も通るけど、それは昼しか通らない。夜に通るのは物資を乗せた列車だけ。だから、線路に何か適当なものを置いてさらに速度を落とせば、駅のホームから飛び移れる」

「……よくもまぁ、それだけ調べたな」

 残念ながら、彼女の言ったことはすべて当たりだ。補足をするなら運転士は二人。万が一の時に荷物が敵にわたらないようにするための保険とそのバックアップ。輸送なんて重要な情報が小さな女の子にまで筒抜けになっているこの国、大丈夫なのか? 戦時下だぞ?

「って、まさか二週間前の遅延騒ぎもお前のせいか?」

「狸の死骸を置いた。列車は狸を轢いてもびくともしなかったけど、だいぶ速度は落ちてた」

「あれのせいで何枚書類を書いたと思ってるんだ」

「ついでに言うと、あなたがここに来たのが二か月前ってのも知ってる。そうでしょ? 四か月前までここの駅には二人いて、お爺ちゃんの駅員さんと、あなたとは別の若い女の人。三か月前からお爺ちゃんの方が来なくなって、女の人とあなたが変わったのが二か月前。いつ変わったのかまでは見逃したけど」

「そうだよ。どうせお前が寝てた時だったんだろうな」

「む」

 苦し紛れの憎まれ口に、女の子は露骨に眉をひそめた。この辺りは歳相応だった。

「ねぇ、なんで前の人は二か月で変わっちゃったの」

「従軍年齢に達したから。で、まだ年齢に達してないわたしがこっちに来た」

「え、あなたもしかして十六になってないの」

「十五だ」

「その割には老けてない?」

「うるさい。そういうお前は何歳なんだ」

「十二」

 わたしはカップの紅茶を飲み干して、ポットからおかわりする。これからひと仕事あるのだ、眠気覚ましはあるに越したことはない。

「列車に乗るために三か月、野宿してたのか。風呂も入らずに」

「川の水で拭いてた。お風呂に入らなかったのは、それだけ大きな火を焚くと目立つから」

「食事は」

「小さな火なら煙と明かりを漏らさないようにはできたから、野鳥とか野草とか食べてた」

 特殊部隊かよ。この歳で狩猟生活を三か月もこなすとか。

「……どこで覚えたんだよ」

「国民教科書に書いてあったでしょ?」

 わたしの驚きなんて想像もできないんだろうか、わたしのほうが変人扱いを受けている気がする。

「本当にあれを実行する人間がいるなんて、思わないだろ。軍人ならともかく、その歳で」

「本気で言ってるの? 国民皆兵だよ? 年齢なんて関係ないし、食事も自分で採るのが当たり前なんだよ。あなたみたいな、後方で仕事してる腰抜けにはわからないかもしれないけど」

「……悪かった。わたしが悪かった。今のは忘れてほしい」

「よろしい」

 これは、いろいろと考えを改めなければいけないらしい。

 目の前にいるのは十二歳の女の子であって、十二歳の女の子ではない。そう思って対峙しなくてはいけない。

 彼女の体には、平和な国の十二歳が持つとは思えないような、皺が、傷が、痣が、筋肉が、固く張った皮膚が、曲がった関節が、確かに刻まれていた。

 同時に、平和な国の十二歳が持つとは思えないような、知識と、思考力と、執念と、強迫観念と、祖国への忠誠が、備わっていた。

「そこまでして乗りたい理由は? 三か月も家を空けてたんだろう。家族はどうしたんだ」

「家族なんていない」

 彼女は、ほこりが入ったままの紅茶をゆっくりとすすった。息継ぎを何度か挟み、すべて飲み終えるころには二分ほどたっていた。肝が冷える二分間だった。空いたカップにはほこりは入っていなかった。わたしはそこに、新しい紅茶を注いだ。

「昨年、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも戦争に行った。わたしだけお爺ちゃんのところに引き取られた。しばらくは手紙が届いてたけど、まずお父さんのがなくなって、次にお姉ちゃんのがなくなって、お母さんの手紙はだんだん間が空くようになってきた。お爺ちゃんちにも居づらくなってきて、抜け出した」

 正式な通告が届いていないのだろう。あるいは、届ける余裕はおろか事実を確認する暇もないと言えばいいか。

「どう思う」

「何が」

「死んだと思う? わたしの家族」

 適当にごまかしたり励ましたり、そのための言葉をいくつか考えた。だが、目の前の彼女が求めているものは違う。三か月の狩猟生活とスパイ行為を平然とやってのける十二歳なのだ。

「それを確かめに行くのか」

 うなずく。

 戦地に召集されるのは満十六歳からだ。十二歳ではどう転んでも戦地には行けない。それこそ、物資輸送の列車に忍び込みでもしない限りは。

「確かめてどうする」

 小さな肩がびくりと震える。

 なるほど。考えていないらしい。

「全員生きていたとしよう。それでお前はどうする。無許可で戦地に忍び込めば、下手すれば犯罪者になるぞ。平時ならともかく戦時に少年法なんて期待するなよ。ただでさえお上はスパイに神経とがらせてるんだ」

 小さな手が太ももの上で握りこぶしを作る。

「ひとりでも死んでいたらどうする。全員死んでいたらどうする。どちらにしろお前は犯罪者だが、知りたいことを知って犯罪者になって、それでお前は納得するのか」

 握りこぶしが震える。うつむいてしまって表情は隠れている。

 言いすぎだとは思わない。これぐらい脅さないと、あきらめてはくれないだろうから。

「納得するとか、そういうのじゃない」

 だが、わたしの予想は悪いほうに外れてしまった。

「ただ、知りたいだけ」

「だから、知ってどうするんだ」

「どうもしない。それで終わり。後のことはどうでもいい。国に従う」

「お前……」

 わたしは口を開きかけて、やめた。

 女の子の上げた視線に、底知れない圧を覚えた。

 無表情。涙のひとつでもこぼしているかと思いきや、うるんですらいない。

 まったくの無表情。

 あれだけわたしに歯向かってきたというのに、無表情だった。

 どうしてだ。どうしてそんな表情になる。わからない。彼女は、わたしと見た目だけ似ているまったく別の動物なのだろうか。考えていることがわからない。根本の思考体系がわからない。十二歳だぞ。いや、十二歳だからだろうか。戦時教育を一心に受けて、純粋培養されたが故の異様さとでもいうのだろうか。

 ともかく。

 わたしは彼女がわからない。

 彼女もきっと、わたしがわからない。

 わたしの言葉もきっと、彼女には届かない。

 わたしは椅子から立ち上がって、ティーセットを盆にのせて持ち上げる。

 時計は、午前零時四十分だった。

 あと五十分で、列車は駅を通過する。

「好きにしろ。だが、わたしは何もしないからな」

 女の子は首を傾げる。

「だから、何もしないと言ってるんだ。わたしは何も見ていない。女の子を部屋に入れてなどいない。そしてお前も駅員と話したりしていないしここで紅茶も飲んでいない。そしてわたしは紅茶なんて飲んでいないからカフェインも摂っていない。ついうとうとして、通過直前の線路確認も雑になってしまうかもしれない。いいな」

 女の子の顔が明るくなった。

 それだけは、年相応の幼い笑顔だった。

 ほんの二十分ほどで、女の子は迷彩服を着こみ、顔に迷彩柄を施し、駅務室を出て行った。会話はなかった。当然だ。わたしたちは今晩、会ってなどいないのだから。

 午前一時十五分。わたしは急いでホームに飛び出す。線路に降り、小型のサーチライトで上り方面、下り方面とチェックする。線路上に異物は確認できなかった。ほっと一息つく。わたしの仕事はおおよそこれで終わりだ。敢えてホームを照らすようなことはしなかった。そこには誰もいない。わたしは何も知らない。

 午前一時二十八分。上り方面から二つの光が近づいてくる。

 午前一時三十一分。線路が軋む。列車に向かって敬礼をしようとした時だった。

 警報。けたたましいベル。金属が擦れる。鈍い衝突音。

 ホーム横の警報機から警報を止め、下り方面を照らした。

 線路上に、狸の死体が乗っかっていた。

 目の前を、予定よりも低速で通過する列車。

 風圧に紛れて聞こえてくる力強い足音。カラン、と軽い響き。

 わたしは胸ポケットの無線に叫ぶ。

「こちら第44駅駅長代理。線路上に狸の死骸を目視で確認。問題ありません。速度を予定まで上げてください」

 再び重い衝突音とともに、モーターが唸る。

 徐々に速度を上げながら暗闇に消えていく列車。

 その最後尾で、小さな光が三度点滅した。

 結局彼女は、すべて自分の思い通りに事を運んでしまったのだった。




 指令室からの怒鳴り声を聞き流し終えて、スマートフォンを取り出す。お手製の小型通信機に接続して回線を調整。ノイズが走ったあと、クリック音が四つ続いた。

「こちら第44駅。どうぞ」

『こちら第167駅。どうぞ』

「列車は定刻に駅を通過。ただ、直前に線路内に異物が侵入し減速。すぐさま速度を上げましたが、若干の遅れが生じる恐れあり。どうぞ」

『了解。作戦を継続。以上』

「了解。以上」

 列車はこの第44駅から第2駅、第89駅、第10駅と通って、第167駅を目指す。数字がバラバラなのはこうすることで敵方を少しでも混乱させたいのだろう。涙ぐましいことこの上ないが、忍び込んでしまえば問題ない。ここから先の駅は、わたしの仲間がすでに抑えている。特に第167駅では、列車を物資ごと鹵獲しようと部隊が集結している。そうとも知らずにこの国は、呑気に列車を走らせているのだ。十二歳の女の子にでもわかるんだぞ。わたしの国が、見破れないはずないじゃないか。

 わたしは異物に関する報告書をまとめて、駅務室の窓から第167駅の方向をぼんやりと眺めた。もうじき作戦が佳境に入る頃合いだ。

 星もない、月もない、真夜中の窓にわたしの顔ははっきり映り込む。

 交戦中の敵国に潜入するという苛烈な任務だというのに、血色はひどく鮮やかだった。

 わたしはこの作戦が失敗するとは思っていない。そもそも失敗などありえない作戦だった。わたしたちの目的は、列車を鹵獲することで、スパイの侵入をこの国に知らしめること。仮に鹵獲ができなくとも、スパイ侵入という報はすぐさま伝わる。この国に、もう戦線を維持できるほどの支援力がないことをわからせて、あとは外交官の仕事だ。

 もっと言えば、わたしの国がこの戦争に負けるとは思っていない。それはわたしの個人的な見解でなく、わたしの国の独善的な願望でもなく、この国以外の、全世界の共通認識だった。

 この国は絶対に、戦争に負ける。

 さすがに戦争なのだから、絶対ということはないだろう、と、潜入するまでは思っていた。

 だが、今ではわかる。あの女の子こそ、この国の敗因を体現しているように思える。あれだけの能力を身に着けておきながら、なぜ有効に使えないのだろうか。有効に使おうという発想に至らないのか。

 所詮は敵国だ。わたしが口を出すことではない。

 せめて。

 あの女の子が第167駅で無事に、わたしの味方に捕虜として捕らえられるように。そして、どこか平和な地で、その能力を存分に磨き、発揮できるように。

 祈るしかなかった。

 と。

 暗闇のなかに何かがぽうっと浮かび上がった。

 赤と橙と黄のグラデーション。

 しばらくして、窓のガラスがかすかに震えた気がした。

 わたしはスマートフォンに耳を当てた。

 さらにしばらくして、クリック音が四つ。

『こちら第167駅。どうぞ』

「こちら第44駅。どうぞ」

『先ほど敵の列車が到着。投降を呼びかけたものの列車は即座に自爆。質問はあるか。どうぞ』

「被害状況は。どうぞ」

『味方被害はゼロ。列車のほうは積み荷の弾薬ごと跡形もなく消し飛んだ。どうぞ』

「了解。以上」

『作戦変更を伝える。先ほどの爆発でスパイ侵入の報は伝わったはずだ。すぐさま帰国せよ。以上』

「了解。以上」

 作戦終了。ここにとどまる理由もない。わたしが、駅長代理を演じる理由もない。

 大きく伸びをして、わたしは、深呼吸をしました。

 訓練を積んで適性や相性を見極めたとはいえ、二月のあいだ別人になりきるというのはそれなりに大変です。実年齢と十近く離れているとなればなおさらに。

 体をほぐしながら、大急ぎで荷物をまとめます。通信機一式、武器一式、着替え一式、その他もろもろの用具一式。

 そして。

 わたしは冷凍庫を開けました。

 空っぽです。

 ですが、かすかに鉄の混じった腐敗臭がします。さんざん部屋を薄荷の香りで洗ったというのに、先代の駅長代理はなかなかにしぶとい方のようです。

 仕方ありません。これはこのままにしておきましょう。

 頭に布を巻いて、手袋をして、素肌を完全に隠した状態で部屋を掃除し、持ち物をまとめればもうこの駅ともお別れです。

 倉庫からエンジン付きのトロッコを線路に降ろし、乗り込みました。

 冷たい空気にガソリンの臭いが混じると、戦時中、という感じがします。

 ほのかに暖かいエンジン、定期的に訪れる振動。

 若干の眠気を覚えながら、わたしの視線の先ではまだ、あの列車は燃えているようでした。

 この国は、平気で自爆をする国です。

 降伏までは、まだいましばらくかかるのでしょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

午前1時32分第44駅通過 多架橋衛 @yomo_ataru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ