第46話 あの日から、今も……(中)
滞在というには長過ぎる期間、ジェラルドはオルブライド家に身を置いていた。
日々困惑するジェラルドの代わりに、アベルが毎日王宮へ通い、仕事を持ってきては処理済みのものを届けに行く。
そしていつしか生まれて間もない末の弟のシリルも預けられたり、ジェラルドに付き従うアベル以外の臣下たちもオルブライド家に通う様になり、「まるで引っ越して来たみたいだな」と、ジェラルドはガラリと変わった環境にそう感じた。
『帰らなくて大丈夫かな……』
アベルが不在の時、執事のフィリップにそう問いかけた事があったが、彼は「ほっほっほっ」と笑ってはぐらかすだけであった。
大丈夫だ、安定して……と言われても、「王宮にいる父親の目に付かないか」「イライザやシンシアたちは大丈夫か」等、恐怖や心配といった負の感情が込み上げる。
……しかし
(食事が安心して出来る……剣の稽古も、読書も、安心して寝る事も出来る……)
ジェラルドにとって欲しかったもの、得られるものが多く、マイナスの感情を覆すほど、彼は充実した日々を過ごしていた。
本来、ジェラルドが喜んでいるものは、彼の身分では当たり前に受けられる生活の一部だ。だが父親が第二王子である弟との差別を全面的に肯定してしまっている姿勢が、ジェラルドからそれらを奪い取ってしまった。
そもそも九つのジェラルドは他の弟妹たち同様、勉学や対人関係の向上を計り、己の能力と価値を高める事が最優先の筈なのだ。だが何もしない国王の代わりに執務をこなしたり、公務にも行かなければならない環境が、彼から休憩すら取り上げていた。
『ジェラルド……俺はね、君に死んでほしくないんだよ』
オルブライド家にやって来て少しした頃、『そろそろ帰ろうかと思うんだ……』と打ち明けたジェラルドに、アベルが笑顔で言った台詞だった。
嬉しいがなんとなく恐ろしく感じるのは気のせいだろうか……。
素直に喜べないのを心苦しく思いながらも、自分のために王宮に通い続けているアベルにジェラルドは感謝したのも事実だった。
(なんか……「生きてる」って、思える)
食べて、寝て、勉学して、仕事して、そして羽を伸ばす……初めて体感した満たされる日々に、ジェラルドの精神は安定しつつあった。
*****
『……ヴァイオレット』
凝り固まった身体をほぐすため、散歩をしていたジェラルドは、乗馬の練習をしていた彼女を見つけ、厩舎の前で戻ってきた彼女に声をかけた。
『ジェラルド殿下! 本日もご健勝で何よりでございますっ』
ポニーから慌てて降りたヴァイオレットは、ジェラルドの前でカーテシーをした。
厩舎に近付くに連れジェラルドの姿が見えたのか、ポニーを走らせて来たヴァイオレットの息は上がっており、髪も若干乱れていた。
『ありがとう。ヴァイオレットも、上手く乗れる様になっていて凄いよ』
顔を上げ、嬉しそうに微笑む彼女に、ジェラルドもまた微笑み返した。
数日前、乗馬の練習をしていたヴァイオレットを、ジェラルドはお忍びで訪れていたシンシアとともに見学していた。
跨がっているのはポニーだが、剣を振るう姿同様、馬に乗り駆け回る勇ましい様に、ジェラルドもシンシアも見惚れていた。
そんな中、事故は起きた。
『ヴァイオレット!!』
目の前で起きた事故に、ジェラルドはヴァイオレットの下へ咄嗟に駆け出していた。
馬は主が落ちた事で落ち着きを取り戻したのか、少し離れた場所で申し訳無さそうに項垂れている。
『だ、大丈夫ですっ』
『大丈夫なものか! 折れているじゃないか!』
落馬したヴァイオレットは頭を打ち付けなかったものの、頭を庇った腕が折れてしまっていた。
それでも泣き言を言わず『大丈夫だ』と告げるヴァイオレットは、痛々しくも、なんとも眩しいものに見えた。
その後直ぐ、シンシアが号泣しながら回復魔法で治療したため大事には至らなかったが、周囲の肝が冷えた事件であった。
だがそれで終わるヴァイオレットではなかった。
次の日、騒ぎになったにも関わらず、ヴァイオレットはまた乗馬の練習をしていた。
その表情は真剣さと悔しさが滲み出ており、アベルは『負けず嫌いもここまで来ると才能かな……』と、諦めた様に溜め息を吐いていた。
穏やかに、そして淑やかに微笑む令嬢は沢山いれば、そういう令嬢と接する機会はジェラルドには多々あった。
だがヴァイオレットの様に勇ましい姿や凛とした姿勢を垣間見る令嬢は今までになく、それでいて頑固なほど負けず嫌いなところも、ジェラルドにはとても新鮮に写った。
己の力量を計り間違えふんぞり返り、危機感を覚えたら他者を使い貶める……貴族でなくても普通にある事だ。権力を持つ者であれば平然と行う非道でもある。
それは令嬢の間でも同じで、第一王子の婚約者の座に着くために、令嬢の中では過激な争いが勃発する事もあった。
だがヴァイオレットはそんな事には目もくれず、ただ己を磨き、高め、成長していった。
その姿に憧れ、そしてずっと見ていたいと……隣で微笑んで、時に勇ましさと威厳を発揮する姿を見せてほしいと、ジェラルドはそう願った。願わずにはいられなかった。
こんなにも心を震わせ、世界に色を付ける人を、彼は知らなかった。
『国王になったら、今みたいに、君との時間を取れなくなるかもしれない。君が辛い時に、側にいてやれないかもしれない。でも……俺は、君以外の者と一緒になる未来は想像出来ないんだ』
『俺と一緒に、この国を、民を、豊かにしていってほしい。君と生きて、ともに国を良くして行きたいんだ』
オルブライド家に来て一年が経ち、いよいよ王宮に戻る時が来たその前に、ジェラルドはヴァイオレットに婚約を申し込んだ。
膝を付き、手を取って打ち明けた想いは、何とも情けないものであった。
だが全て本心だった。一緒に王家を、国を良くしていき、切磋琢磨しながら、隣で微笑んでいてほしいと、他の誰にでもなく、ヴァイオレットにそう求めずにはいられない。
『……私も、殿下のお隣で、殿下のお役に立ちとうございます』
頬を赤く染めて応えたヴァイオレットの手の甲に口付けを落とした感触と熱を、ジェラルドは十年経った今でも鮮明に覚えていた。
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