第45話 あの日から、今も……(上)

 ジェラルドがオルブライド公爵家に初めて訪れたのは、アベルが彼の精神安定と境遇改善を図ったからだった。

 第二王子である弟の我が儘に、父である国王は何も言わないどころか助長させる始末……尊重されない第一王子──ジェラルドは、次第に第二王子派の者が見下す様になり、まだ幼かった彼は、目に見えるほど疲弊していった。

 他の兄弟たちがジェラルドを慕っていたので表面上の問題は激化しなかったものの、裏での争いは彼の食事にも仕込まれる様になり、心休まる場所は何処にもなかった。


『オルブライド家への訪問として、暫くうちに滞在すれば良いですよ』


 ある日、公務から王宮に戻る途中で、アベルがそう切り出したのだった。


『え……何で?』

『現国王は我が邸に来た事がありませんし、殿下もまだです。ちょうど薔薇の花が見事な赤に咲きましたし、滞在なさっては如何ですか?』


 事実、国王は臣下……公爵位を持つ貴族の邸に訪れた事はなかった。本来であれば貴族との繋がりを強化するため、訪問しては花を見たり茶をしたりとするものだが、国王はたとえ招待されようとも一切向かわなかった。


『でも……父上が、許さないよ』


 訪問の重要性を理解しているジェラルドであるが、それでも彼は父親の目が気になり、承諾するのを躊躇した。

 ジェラルドに対しての国王の対応は、厳しいを通り越して理不尽だった。

 弟のクリフトフが物を盗っても何も言わず、ジェラルドが風邪で寝込んでも、公務・執務は休ませない。甘えや泣き言など、論外だった。

 周囲のジェラルドへの対応が悪いのも、息子に厳しく自分に甘い国王自身の愚行の影響もあるのに、なにもしない。全てジェラルドに押し付けて来る。

 次期王としての教育だと考えているのかと、始めこそ周囲は王の対応を捉えていたが、直ぐにそうでない事を察した。

 仕事を放り出して泊まりに行けば、余計立場が悪くなるのは、九才のジェラルドにも十分わかっていた。


『その程度でしたらどうにでも出来るので大丈夫ですよ。執務だって我が家でやれば良いのですから』

『……逃げたって、思われない?』

『臣下の家や隣国への訪問を「逃げ」と判断したら殆んどのものが逃げになりますよ。今殿下が求められているのは、「行く」か「行かない」かの二択です』


 金髪の下から、ヴァイオレットの瞳が見守る。

 ジェラルドは逡巡の後に、『普段通りに喋ってくれたら行く』と、小さく頷いた。



*****



 オルブライド公爵邸に着いた後、アベルは一度王宮に戻ると言い、ジェラルドを執事に任せて再び出ていった。

 臣下の……それも物心ついた頃から一緒にいる、友人であり兄の様な存在の家に来たのが始めてなジェラルドは、物凄く緊張していた。


(アベルがいると思ってたのに……)


 知っている者が一緒だから訪問を承諾したジェラルドだったが、まさか出だしから一人にされるとは想像すらしていなかった。

 広間のソファーに一人座るジェラルドは、メイドが出した紅茶を飲みながら、今の状況にソワソワと落ち着かずにいた。


『お待たせ致しました、ジェラルド殿下』


 側まで来て深く頭を下げたのは、オルブライド家に代々勤める執事のフィリップだ。

 彼はアベルの唐突な決定にも動揺せず、『ぼっちゃま、強引なのはその内愛想を尽かされますぞ』と、注意までしてた。


『早速お部屋にご案内します……と、言いたいところでございますが』

『……?』

『アベル様も出掛けてしまわれましたし、私くで宜しければ、邸を案内させていただきます』


 ジェラルドの緊張を感じ取った執事の提案に、彼はその優しさを有り難く受け取って、邸を案内して貰うことにしたのだった。


『そう言えば、アベルが「薔薇の花が見事に咲いた」って言ってたんだ』


 公務からの帰りに、馬車の中でアベルが言っていた事を思い出し、ジェラルドは「見に行きたい」という意味を込めて執事に振った。


『薔薇の花、ですか?』


 ところが執事は不思議そうに目を瞬かせ、ジェラルドの赤い瞳を見つめた。

 確かにアベルは『薔薇の花』と言っていた。聞き間違いではない事だけは断言出来た。


『うん。「見事な赤に咲いた」と、アベルが……』


 説明すれば、執事はどうやら納得したらしく、愉快とでも言いたげに「ほっほっほっ」と笑った。


『そうですか……承知致しました。それでは、薔薇を見にご案内致します』


 疑問に思いながらもが再び歩き出した執事の後を追い、ジェラルドも歩き始めた。



*****



『あの、フィリップ……』

『何でございましょう? 殿下』

『……薔薇は、どこ?』


 ジェラルドがフィリップに案内されたのは、園庭ではなく、裏庭の一角だった。

 裏庭も公爵邸とだけあり広大で手入れもされているが、何処を見渡しても園庭もなければ薔薇の赤色も見えなかった。


『この時間には稽古のため、此方にいらっしゃるのですよ』

『け、稽古?』

『ええ、なんとも「白薔薇姫に出来て私に出来ないなんて悔しい」と申されまして……』

『…………えぇ?』


 訳がわからない、と、ジェラルドは訝しげにフィリップを見上げた。

 薔薇と稽古に、一体なんの関係があるのだろうかと、いくら考えても想像がつかない。


(そもそも“白薔薇姫”ってうちのイライザの事じゃないか?……もしかして、薔薇って)


『ほら、いらっしゃっいましたよ。凛とした、美しい薔薇でございます』


 ジェラルドが思考を遮る様に、フィリップが目線の先を手で示した。


『腕だけで振ってはいけません! 身体全体で斬り込むのです!』

『はい!』


 子どもの練習用の剣を持ち、師の指示を必死にこなそうとする、赤い色の少女がそこにはいた。

 凛とした表情と、原色の青の瞳。赤い薔薇の様な真っ赤な髪に、髪を揺らす剣を振るう勇ましさ。そして全身から漲る生命の輝きに、ジェラルドは目を奪われ、ただ唖然と稽古の様子を見つめていた。


『おや! ジェラルド殿下ではないですか!』


 気づいた師の言葉と視線に、薔薇の様な少女は剣を納め、ジェラルドの方に身体を向けた。


──っ!


 令嬢と話す事は初めてではない。今までも、婚約者探しにと何回かお茶会が開かれ、その度にご令嬢と話したジェラルドは、今この瞬間、感じた事のない激情を覚えた。


『き、きみ……は?』


 顔中が熱く、息が苦しい……。

 周囲の大人が微笑んでいる中、ジェラルドは見事なカーテシーを披露した、自分より年下である目の前の令嬢を、瞬きも忘れてただただ見つめた。


『お初にお目にかかります。オルブライド家長女、ヴァイオレットでございます。……お会い出来まして、大変嬉しゅうございます』


 勇ましさから一変、少女らしさが溢れる微笑みを見た瞬間、ジェラルドの世界に、色が着いた。

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