第5話 隊員その4─末の王子と異国のお姫様─

 ガタガタと揺れていた馬車が一際大きく揺れて、第三王子──シリル・イェーガーが、馬車の壁に頭をゴチン、とぶつけた。


『あ……うたた寝してた』


 頭をぶつけた事で、今自分は寝ていたのだと自覚する。

 久し振りにやってしまった失態に顔から火を噴きそうだったが、目の前に座る少女の驚いた顔を見て、ハッ! と、意識が覚醒した。


『ごめんね。せっかく二人きりなのに寝てしまって……』


 素直に謝罪すれば、婚約者である異国の姫君──レイハーネフ・アル・ハリームは、彼の申し訳ないという表情に微笑むと、「いいえ、私は大丈夫です」と、首を横に振って答えた。


「疲れていらっしゃるのですよ。この後公務はありませんし、王都までまだ時間もあります。少しお休みになられても大丈夫ですよ」


 レイハーネフのその労いの言葉に、シリルは感動で胸がいっぱいになった。


 実のところ、ほんの数ヵ月前まで二人の仲は最悪だった。

 シリルは異国の姫という、見た目も文化も違う少女に尻込みし、レイハーネフは嫁ぎ先の言葉や知識がまだまだ不馴れで、二人の距離は近くなるどころか、日々のすれ違いで徐々に離れて行っていた。

 そんな二人の仲を改善させたのが、他でもないヴァイオレットだった。

 時に優しく、時に厳しく二人を論し、足りないものを一緒に学び、三人でお茶会を開いてはすれ違っていた部分や知らなかった良さを見付けさせ、今では誰もが羨むパートナーになった。


「何かあったら起こしますので、シリル様はお休みになってください」

『うん……ありがとう、レイ』


 お互い相手の母国語で会話をするようになったのも、『二人の秘密のやり取りみたいで素敵ですよ』という、ヴァイオレットの勧めだったりする。

 何だか乗せられた気もしなくはないが、レイハーネフが気に入っているのでそれで良いかと、シリルも勉強がてら使っている。

 そんなシリルとレイハーネフにとって、ヴァイオレットは良き師であり良き姉であった。


「……あら?」


 レイハーネフの言葉に甘えて目を瞑ったシリルだったが、彼女の不思議そうな声に再び目を開けた。


『どうしたの? レイ』

「シリル様、あれ……」


 そう言って窓の外を指差すレイハーネフに釣られ、シリルも指のさす方に目を向ければ、一羽の烏が馬車に向かって飛んで来ていた。


『あれ、フォーレスト様の使い魔だ』


 ユリシーズが使い魔を飛ばして来るのは、大体……というよりほぼヴァイオレットの事に関してだった。要は、隊員たちへの連絡手段である。


「ヴァイオレット様に、何かあったのかしら」

『何もない方が珍しいけどね』


 あの兄上だから、と、呆れたような声音で言ったシリルは、御者に止めるよう声をかけると、ドアを開けて外に出た。



  *  *  *



 使い魔から一通り話を聞いたシリルは、はぁぁぁ……と、大きく溜め息を吐くと、ダンッ! と拳を馬車のドアに打ち付けて、鬼の形相で叫びだした。


『だから言ったんだ!! クリフトフ兄上には鞭でひっぱたいてくれる様な令嬢の方が良いんだって!!』

「鞭はともかく、掌で転がすような方がお似合いなのは確かですね」


 我を忘れて怒鳴るシリルに対し、冷静に返しながらレイハーネフは使い魔に報酬のクッキーをあげていた。


「どうしましょう……このままでは、ヴァイオレット様の名に傷がついてしまいます」

『きっとシンシア姉上たちも同じ事を気にしてるよ』


 外交に気合いを入れている二人だが、まだ十六という年齢では、隊員の大人たちのように出来る事は少ない。

 自分たちに出来る事は、国内の公務や外交でヴァイオレットの良さを売る出すぐらいしか思い浮かばなかった。


『……あとさ』

「なんでしょう? シリル様」

『知らせだと「パーティーの時には他人」って言ってたでしょ?』

「はい。そう仰られていましたわ?」

『そのパーティーでさ……婚約破棄とか言い出しそうじゃないか?』


 沈黙が、周囲を包み込む。

 二人を護衛する騎士も従者も、クッキーを食べていた使い魔も固まり、シリルの発言に息を飲んだ。


「か、考えすぎではないでしょうか?」

『いや……クリフトフ兄上ならやりかねない。だってイライザ姉上の誕生日パーティーで自分の初公務祝いをやれって騒いだ人だぞ!?』


 クリフトフの失態を数えればきりがないが、その中でも目に付くのは、兄弟姉妹がメインの式典やパーティーで、自分のものを祝えという、なんとも傲慢なものであった。


『ジェラルド兄上の式典は他国の主要人たちも呼んでいる。その中で浮気相手の令嬢に良いところを見せようと派手に騒ぎそうだろう?……いや絶対騒ぐ』


 兄弟が言うと説得力が有りすぎて、レイハーネフは顔を青ざめた。

 もしそんな事になれば、ヴァイオレットだけでなく、国そのものの印象が地に落ちてしまう。


「ど、どうしましょう……」

『取りあえず、可能性をフォーレスト様に伝えて、俺たちは“子どもだから出来る事”をしよう』

「……子ども、だから?」

『うん、そう……』


 耳元でそれを教えれば、レイハーネフは大きな瞳でシリルを見つめ、両手を握って不安そうに呟いた。


『上手く、出来ますでしょうか?』

「大丈夫だよ。俺もいるし……絶対、上手くいくから。ね?」


 レイハーネフの手を上から包み込むようにして重ね、安心させるようにシリルは微笑んだ。


『大人じゃ来れない場所は、俺たちの得意な場所なんだから』


 最年少の隊員二人は、自分たちに出来る事を遂行するため、馬車に戻って作戦を練り始めた。

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