episode 33 同志との出会い side 心

 接客というのは想像していたより面白いと思った。

 人間なんて十人十色とはよく言ったもので、店に来る客も当然みんな違う。

 ザックリとパターン化は出来るけど、やっぱり完全に同じとはいかないから、その場その場で対応に変化が求められる。

 アーシがこの仕事が面白いと思ったのはまさにそこで、失敗する事もあるけど「ありがとう」と言ってくれた時は嬉しさが込み上げたものだ。

 夕弦の家にお泊りした時に聞いたガチ勢に対して、センセから余計な口を挟むなと言われてたから先回りしまくってセンセと関われる時間を尽く潰してやった。

 余計な事は言わずに接客という仕事をしただけなんだから、誰にも文句は言わせない。


 そんな生まれて初めてのバイト生活も残り数日になったある日の夕方の事だ。

 いつもは静かで落ち着いた店内にビリビリとした空気が充満する事件が起きた。

 それはアーシのシフトが残り30分を切った頃、テーブルが全部空いている店に1人のオンナの客が入ってきた。


 もう一か月近くここでバイトしてるけど、初めてみる顔だったから初見の客かと思ったんだけど、同じシフトに入ってる人見サンが気安く「いらっしゃい」と声をかけるのを見て、中々の常連サンなんだと察した。


「今日も暑いですねぇ」

「そうね。こんな暑い日にわざわざこんな所に来て何の用なのかな? 石嶺ちゃんの家ってこの辺じゃないよねぇ?」

「えっ? あーほら! ここのアイスコーヒーが飲みたくて、ね」

「ここの珈琲ってどこにでもある味だと思うんだけどなぁ」


 人見サンの棘しかない一言に項垂れるマスターサンを横目に、どうやらこのオンナもセンセ目的で店に来たんだと戦闘態勢にはいったんだけど……。


(なんで人見サン仲良さそうなん!?)


 いつもなら舌打ちに始まってしつこい客には能面モード発令するまでがデフォのはずの人見サンが、あのオンナには仲良さげに話してるのに首を傾げた。


「……あの、人見サン。この人って」

「うん? あーそっか、心ちゃんは初めましてだったよね。この子は石嶺ちゃん。雅君の幼馴染なんだよ」

「はあ!? 幼馴染ー!? そんなんいるなんてアーシ聞いてない!」


 幼馴染って事は昔のセンセの事をよく知ってるわけで、子供の頃からの付き合いとなればお互い当然のように呼び捨てで呼び合ってたり――うぎゃー! 想像しただけで鬱になるうぅぅ!


「はじめまして、西宮さん。貴方の事は聞いてるよ。がいつもお世話になってるね」


 くっ、彼女面通り越して嫁面かよ! たかが幼馴染ってだけのくせに……うらやましい!


「どうも。セ……雅、さんにはいつも、いっつもガッツリとお世話になってる現役JKの西宮です。よろしく石嶺おばさん」

「ん? アタシの苗字の上に妙なルビふられた気がすんだけど?」

「気のせいじゃないっすかー?」


 こんなおばさんなんて十代の若さで溶かしてやろうとすれば、どうやらアーシの心のルビに気付いたみたいだ。心だけにってしょーもな!


 アーシはあと30分であがりだけど、大人しく帰るわけにはいかない理由が出来た。なぜなら今日はアーシと入れ違いにセンセがフロアに立つからだ。


 このおばさんが今は客だとか関係ない。負けられない戦いがここにあるから!


「ご注文伺いまーす。渋茶っすか? 昆布茶っすかぁ? あ、どくだみ茶は扱ってませんよー」

「祖母ちゃん扱いすんな!」


 いくらローカルな喫茶店といっても、そんなババ臭い茶なんて扱ってるわけないけど牽制パンチとしては上々っしょ!


 ここは若さを全面的に押し出す必要がある。なにせ付き合いの長さでは到底勝てないんだから。


「人見さん! スタッフの躾がなってないんじゃない!?」

「あ、はは……。そんな事言われても、ねぇ」


 ふっ、すぐに人見サンに助けを求めるとかダサいぜ、おばさん。


「人見サン。このおば……お客様はアーシが対応するよ」

「今わざと言い直したよね!?」

「他のお客様にご迷惑なので静かにしてもらえないっすかー」

「ぐっ、だ、誰のせいだと」


 さてどうやって口撃してやろうかと思案してると店のドアがカランと鈴の音を鳴らしたかと思うと、この場を離脱したそうにしてた人見さんが素早く対応に回った。


「いらっしゃいませって、琴美ちゃんかぁ」

「こんにちは、人見さん。師匠もう来てます?」

「ああ、うん……いるには、いるよ?」

「?」


 人見サンの反応を見る限り、どうやらこのオンナも親しい客みたいだ。


 店に入ってきたオンナはおばさんの姿を確認すると、ニコニコと嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。狭い店内で走るなっての!


「ごめんなさーい、遅れちゃいましたぁ」

「おっそい! なんで誘ってきたアンタが遅刻すんの……よっ」

「えっと、どうですか?」

「可愛い……可愛い! 絶対可愛くなるとは思ってたけど、予想以上だよ! でも、よくこんなに早く切ってもらえたね!」

「あ、はい。電話したら初見特別枠キャンペーンってのがやってて、いつもより閉店時間を遅らせて切って貰えたんですよ」

「そうなんだ。いやー! それにしても可愛いよ!」

「あ、ありがとうございます」


 どうやらかなりのイメチェンを敢行したみたいだ。確かに超可愛いとアーシも思う。


「にしても、それはそれとして遅かったじゃん」

「いやー、昨晩のネトゲが思ってた以上に盛り上がっちゃいましてぇ」


 ネトゲ? このオンナもゲームすんのか。

 パッと見、ゲームなんて無縁って感じのオンナに見えるけど、人は見かけによらないって事か。ま、アーシもなんだけど。


「ほら! お客が席に着いたんだからお冷くらい持ってきなさいよ」

「へいへーい」

「なんだその態度は! アタシたち客なんだぞ!?」


 うっさいおばさんに無視を決め込んでアーシは一旦カウンター奥に戻る。2つのグラスにミネラルウォーターを注ぎながら、さっきの席に目線を移してみると、2人は楽しそうにお喋りしてる。というより、後から入ってきたオンナが袋から取り出した物を興奮気味に説明しているみたいだった。


 つか、オンナが手に持ってるアレって……。


 見間違えるはずがない。アレはアーシも欲しくて狙ってたけど、先着順の限定物で秒で画面から姿を消した幻の……。


「そ、それ!!」


 手に持ってる正体が分かれば早かったと思う。

 気が付けば仕事を放棄しておばさんの席に突撃してて、後から来たオンナが持ってるブツを指さしてた。


「え? え? なに?」


 目を見開いて驚くオンナ。いきなり店員が突撃してきたんだから当然だ。


「ちょっと西宮さん!? アンタなにやってんの!?」


 そんなアーシにおばさんからクレームの声。

 分かってるけど、今はそれどころじゃない。


「そ、それどこで手に入れた!? 2か月前に秒で溶けた限定カラーのキーボード!」


 アーシが食いついたのは有名メーカーから発売された、世界一気持ちのいい打鍵感が売りの限定カラーキーボードだ。

 世界的に有名なプログラマーも愛用しているモデルで、値段はかなり高いキーボードだけど世界中に支持するファンを多く抱えるガジェットだ。

 かくいうアーシも超ファンで鑑賞用と作業用の2枚所持していて、そんなキーボードの限定カラーモデルが出たというんだから買わないという選択肢はなかった。


「こ、これ? ていうか誰!?」

「琴美、この子だよ。月……雅がカテキョしてるっていうJK」

「あー、あの。ってえ? 雅って!?」


 どうやらこのオンナもアーシの事を知ってるみたいだけど、それ以外の事に驚いてるみたい。なんで?


「それどこで手に入れたか教えるし!」


 諸々気になった事はあったけど、今の最優先事項はそれだ!


「へー、この価値が分かるんだ。西宮さんだっけ、いい趣味してるねぇ」

「当たり前だし! アーシそのキーボードのファンで2枚持ってるし!」

「ふふ、まさかこんな所でガチ勢に会えるとは思わなかったなぁ」


 ニヤリと笑みを浮かべるオンナは手に持っていたキーボードが入ってる箱をテーブルに置いて、スマホをポツポツと弄りだした。


 そして見せてきたスマホの画面が目に入った瞬間、オンナのスマホをぶんどった。


「……1,5倍だと!?」


 画面に表示されてたのは所謂転売族の出品サイト。

 勿論買えなかったアーシはすぐにサイトを漁ってお目当てのキーボードを探し当ててた。

 だけど、出品価格は安くて3倍、調子にのってる奴は5倍とふざけた値段ばかりが躍ってたんだ。

 いくら欲しくてもこの値段を出して買ってしまったら転売族の思う壺だと、我慢してサイトを閉じたのは1度や2度じゃない。

 確かに1,5倍も悪徳といえば悪徳だけど、他の馬鹿共と比べれば良心的な価格だと言える。

 あれだけ国会の方から警告が発せられても減らない転売ビジネス。ホントに欲しい人が手に入れるべき物が欲しいわけでもない奴らの手に渡って価格を釣り上げて売る悪徳商法。

 そんな馬鹿げた値段でも買ってしまう人間が後を絶たないから消滅しない商売ではあるけれど、極まれに手数料的な値段だけ乗せて売るバイヤーもいる。

 それでも定価以上の値段なのは変わらないけど、許容範囲であればアリだと思ってるアーシにとって、このキーボードの値段が定価の1,5倍なら買いだ。


「ここ鍵付きのサイトなんだけど、よかったら私のアカウントで買ってあげてもいいよ?」

「マ!?」

「うん、マジ。なんか同じ匂いするんだよねぇ」

「……うん。それはアーシも思う」


 同じ趣味を持つ者同士だけが感じる匂い。何だか中二病みたいな事言ってるけど、実際にあると思ってる。

 その匂いがこのオンナからもするのは、おばさんに自慢気にキーボードについて語ってるのを聞いた時から感じてた。

 そうだ。例えばフレンドの【コト】みたいな。


「おいおい、琴美ってばいつもと違くない? アタシ以外の相手にはいつもオドオドしてるってのに」

「えへへ、だねぇ。なんだか西宮さんとは初めて話した気がしなくて」


 それはアーシも同意だ。

 自分で言うのもアレだけど、アーシも初見相手だと構えちゃう方なんだけど、このオンナには素で話ができてる。


「あ、西宮さん。キーボードの送り先教えて欲しいからID交換しない?」

「あ、うん――あいたっ!」


 オンナと連絡先を交換しようとポケットに忍ばせてたスマホを取り出そうとした時、突然頭上にパカンッと子気味のいい音と一緒に痛みが走った。


「誰だし!!」

「何が誰だしだ? 何やってんだ、お前」

「セ、センセ!? あ、いや……」

 

 頭を摩りながら睨みつけるように振り返った先には、ちょっと凹んだトレーを持ったセンセがいた。


「何やってんだって訊いてる。さっさと答えろ」


 怒ってる。センセが怒ってる。

 お金に煩いセンセは、仕事に対してとても真面目なのは一緒にバイトしてて知った事だ。

 それだけに仕事中に客と盛り上がっていた事が気に食わないんだろう。


「いや、アーシもうすぐ上がりだし」

「だからなんだ? もうすぐってだけで終わったわけじゃないんだろ? お冷入れてる途中だったんじゃないのか?」

「あっ! わっすれてたし!」


 アーシは慌ててダッシュでカウンターに戻ろうと振り返ったら、水の入ったグラスを2つ乗せたトレーを持ってる人見サンがいた。


「私がやっとくから心ちゃんはもうあがりな」

「人見サン……。ホントごめん」


 センセと違って後輩にとても優しい人見サンがアーシの変わりにおばさん達に「スタッフが失礼しました」と頭を下げて水を2人の前に置いてくれた。


「本当にごめんな、石嶺、三島さん」

「あ、いえ! 私は楽しかったので」

「アタシはババア呼ばわりされて気分悪いんだけど」


 三島さんとやらフォローありがと。

 チッ! それに引き換え余計な事チクってんじゃねえよ、おばさん!


「まぁまぁ師匠、落ち着いて」


 ぷっ! なに? このおばさん師匠とか呼ばれてんの? だっさ! ――ん? あれ? その呼び方どっかで……。


「こーこーろー!」


 何か引っかかるものがあって考え込んでたら、余計な事をチクったおばさんのせいでセンセのお怒りモードが復活した。


「ご、ご、ごめんなさーい!」


 誰に何と言われようと気にしないアーシだけど、センセに怒られるのは怖い。いや、ホント怖い!


「心? ……このキーボードをよく知ってて、あの話し方……」

「ん? どうしたの三島さん。もしかして三島さんも心になんか言われた?」


 しっつれいな! アーシが毒はいたのはおばさんだけだっての! って言いたかったけど、センセの怒りが増すのが怖くて脳内で叫んでたら「あー!!」と三島ってオンナが勢いよく立ち上がって、アーシを指さした。


 人に指さしたらセンセに怒られるよ? なんて呑気な事考えてたら、三島ってオンナの口からとんでもない単語が飛び出したんだ。


「もしかして――Kokoroちゃん!?」

「…………へ?」


 心はアーシの名前だ。

 さっきセンセがアーシの名前呼んだんだから知ってるのは分かる。分かるけど、初見のしかもお客のこのオンナがアーシの名前を、しかも苗字じゃない下の名前を呼ぶとか有り得る!? 

 しかもセンセ達と違って微妙にイントネーションが違う気がする。気がするだけだけど……。


「なに? 琴美ってばこの子と知り合いなの?」

「え? あー、どうなんでしょ」


 琴美っていうのか。

 琴美……琴美……ん? コトミ? ――コト。


「まさか……コト……なん?」


 そんなわけないと思いつつも、アーシは思わずゲーム仲間のコトの名前を口にすれば、琴美と呼ばれてるオンナは無言でコクコクと頷いた……。


「……う、うそっ」

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