episode・7 嫌な女! 

 とあるラーメン屋の前で、さっき西宮さんに手渡された茶封筒を仕舞っている懐をポンと叩く。


 予定外に入った臨時収入だし、そもそもそれを貰えたのは俺が頑張ってきた証なんだから、そんな自分にご褒美をあげたって罰は当たらないよな。


 正当化半分、もう半分はこれから帰って料理するのが面倒なだけだったりする。


 俺はこう見えて、中々のラーメン野郎だと自負している。

 行動圏内に新しい店が出来たら、とりあえず食べに行く程度には。

 だから当然この店も以前から気になっていたんだ。


 カラカラと音を立てて店の暖簾を潜ると、「へい! らっしゃい!」と威勢のいい声が店内に響く。


 うん。ラーメン屋はこう威勢が良くないと駄目だよな。


「お1人様でしょうか?」

「はい」

「カウンターならすぐにご案内出来ますが」


 スタッフにそう言われて店内を見渡すと、座敷を使っているのは一組だけで、逆にカウンター席は一席空いてるだけだった。

 平日のこの時間で、この客入りは悪くないんじゃないかと、期待が高まる。


「はい。構いません」


 始めからカウンター席で食べるつもりだったから、全く問題はない。偶に1人で座敷で食べてる人を見かけるけど、余りまくった空間に罪悪感を覚えないのだろうかといつも思う。


「こちらの席でお願いします!」


 スタッフに案内された席は、端の壁際の席の隣の席だった。

 というより、その席しか空席がなかっただけなんだけどね。


 席に近付くと、一番壁際の席に座っているのは女性の客だった。

 仕事帰りなのか、デート帰りなのか判断が難しい服装をしていたが、中々個性的なファッションをしているように見えた。

 この場に石嶺がいたら、採点モードに突入したであろう恰好なのは、俺にでも分かった。

 それよりも、そんな恰好をした女性が1人でラーメン屋でラーメンを啜る姿は、何と言うかシュールな光景だと思った。


「ご注文はお決まりですか?」


 そんな事を考えていると、スタッフのお兄さんが威勢よくそう問いかけてきた。

 この店は初めて来る。

 俺はそんな店で注文をする時、必ず言う台詞がある。


「この店が初見なら、まずはこのラーメンって奴をよろしく」


 そう。まずはこのラーメン屋の基礎となる看板ラーメンを食べる事にしている俺は、必ずスタッフにこう告げているのだ。


 俺がそう注文するとスタッフがニヤっと笑みを浮かべて「畏まりです! 少々お待ちください!」とまた威勢のいい声を返して席を外した。


 カウンターテーブルに置いてあるメニューに目を通す。

 普通順番が逆だろうと思われるかもしれないが、俺はこの台詞を言ってからメニューに目を通すのが楽しみなのだ。

 この店の看板メニューはすぐに分かった。

 よくある店の名前を入れたラーメンがそれだろう。


「あのー、お兄さん!」


 ワクワクとメニューを眺めていると、突然後ろの座敷席から声をかけられてラーメン脳を一旦中断させて振り向く。

 振り向いた先の座敷に2人の女の子が座っていて、俺に小さく手を振ってニコニコ顔を向けている。


「……はい?」

「その席狭くないですか? 私達の席って4人用なんだけど、2人だけだから良かったら一緒にどうです?」


 なんだ?こいつら。ラーメン屋って相席なんてあるのか?

 そんな事を考えながら首を傾げていると、隣のお姉さんがニヤニヤと笑みを浮かべている。


「えっと、カウンター席で食べるの好きだから、俺はここで……」

「え~? いいの? 折角君の顔を気に入って誘ってくれてるのにー」


 とりあえず断っておこうと2人にそう返事すると、隣のお姉さんが割り込んできた。


 今度はこいつか。なんなんだ。


「アンタには関係ないですよね?」

「まぁ、そうなんだけどさ。折角の逆ナンをサラッと断るとか、お兄さんは女に困ってないって事だねぇ。まぁ、その整った顔なら喰いつく子は沢山いそうだもんね」

「は? そんなのどうでもいいですよ。俺は1人でラーメンを食べるのが好きなだけで、初見の店だから特に集中したいんですよ」

「あぁ、その必要はないよ。ここのラーメン期待外れだったからさ!」


 ホントなんなの!? カウンター席でそんな事言ったら、スタッフに丸聞こえじゃん! ほらー、湯切りしてる店長さんらしき人の顔が引きつってるじゃん!


 もう声をかけてきた女の子達の事を気にする余裕なんてなくなり、俺はまだラーメンを食べていないのに変な汗が滲み出てきた。


「へい! ご注文のラーメンおまちどう! お口に合ったらいいんですが!」


 ほら見ろ!アンタのせいで、俺も酷評した仲間だと思われたじゃねぇか!


「そんなに睨まないでよ。ホントの事なんだからしょうがないじゃん」

「そんな上から目線で意見する奴に限って、料理なんてまともに出来ない奴って相場が決まってるって知ってます?」


 仕返しがしたくなって、嫌味たっぷりにそう言ってやった。

 実際、料理なんてまともにした事がないようにしか見えないしな。


「言ってくれるじゃない。母親が料理出来ない人だから、ずっとあたしが作ってきて、こう見えても料理歴は長いんだけど」

「そうは言っても、所詮お手軽時短料理の域の話でしょ」

「ほぅ、喧嘩売ってるって事でいいのかな?」

「どう解釈してくれても構わないですけど?」


 もう売り言葉に買い言葉状態でバチバチと火花を散らしていると、声をかけてきた女の子達は何時の間にか店を出ていた。


 腹の虫は治まりそうになかったけど、麺が伸びてしまうのは避けたかった俺は、隣の客から視線を外して無言でラーメンを啜る事にした。

 一口二口食べ進めた頃だろうか、ムカつく隣の客が席を立ち会計をしようと鞄から財布を取り出した。


「それじゃあね」

「……」


 無視してやった。何でこいつに反応してやらんといかんのだ。

 ムカつく女が俺の対応に何も言わずに店を出て行った事を確認して、やっと味わって食べられると安心して箸を進める事にした。


 店員との気まずい空気の中、ラーメンを完食した俺は疾風の如く会計を済ませて店を出た。疾風ってどんなか知らんけど。

 あいつのせいで楽しみの一つであった店の雰囲気や、スタッフ達の仕事っぷり等の観察もする事なく、逃げる様に店を出ざる負えなくなった事に、内心で舌打ちして帰路につく。


 まぁ、確かにラーメンの味は期待していた程じゃなかったけど。


 味は兎も角として腹を満たす事が出来た俺は、ふと西宮から受け取った臨時ボーナスが入っている茶封筒の中身が気になった。内ポケットにある封筒を取り出して、封を切って中身を取り出してみると、なんと諭吉さんが5人もおられた。


「マジか! こんなに貰っていいんか!?」


 薄暗い路地で不用心な事をしたなんて事は気にしていなかったんだけど、中の金額を知った途端、挙動不審全開で慌てて金を内ポケットに仕舞った。

 大金を懐に忍ばせて周囲に気を付けながら自宅であるタワマンを目指してると、あっという間にエントランスに辿り着いていた。

 カードキーでロビーに入り、そのカードを使ってエレベーターのドアを開けて乗り込む。

 相変わらず高速で上っていくエレベーターの動きに慣れず、そんな事する必要はないのは分かっていても、俺はおもわず足と腰にグッと力を入れて踏ん張る様な姿勢を作った。

 そんな俺をあざ笑うかのようにエレベーターが瞬時に19階に到着して、静かにドアが開きホテルを思わせる落ち着いた雰囲気の通路が出迎えてくれる。

 いつまで経っても慣れる気がしないと、頬をポリポリと掻きながら新しい我が家の玄関にカードを読み込ませて、鍵を開錠した。


「ただいま」


 広い玄関ホールに迎え入れられて、奥にいるであろう家族にそう一言告げながら靴を脱いだ時、一番奥にあるリビングからいつもより賑やかな声が聞こえてきた。

 楽しそうな笑い声の中に、誰かに文句を言っているような夕弦の声が聞き取れた。


 家族の声色は覚えている。

 だから違和感があった。

 親父や沙耶さん、それに夕弦の声の他に誰かの声が混じっている気がしたからだ。


 こんな時間に客か?と俺は首を傾げながらリビングのドアを開けて、中の様子を伺うようにしながらもう一度「ただいま」と告げた瞬間、まるで漫画の様に目が点になり思考が完全に停止した。


「お? おかえり、弟君。さっきぶりだねぇ!」

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