episode・19 どうも、家庭教師の月城です
ついにこの日が来た。
俺は決戦の場となる、とある住宅の前にいる。
予定時間の15分前、時間的に問題がない事を確認した俺は、鞄に入れている事務所から手渡された資料に再度目を通す。
『
都内の私立高校の2年生。
前回の模試 偏差値 46
推定偏差値60のK大進学希望。
毎週火曜日、木曜日の受講契約。
担当科目 数学、英語
出来れば男の生徒を希望していたが、この物件以外俺に回せる仕事がないと言われたら、背に腹は代えられん。
それに大久保がもう少し粘るつもりだったと言っていた意味が、この場に来て分かった気がする。
でかい家だ。これはかなりの金持ちだろう。
きっと成果を出せば、瑛太が言っていたボーナスを期待して問題ないはずだ。だから大久保はすぐに契約を切らなかったのだろう。
家庭教師デビューが高難易度の相手になってしまったが、難易度が高ければ高い程、見返りが大きくなるのは世の常だ。
(スイッチ入れていくしかねぇ!)
俺はインターホンを押す前に、自分の身なりを簡単にチェックする。
事前に仕事をする時はある程度の清潔感のある恰好じゃないと先方から事務所に苦情が来る場合があると、瑛太に言われていたからだ。
服装に無頓着な俺は縋るようにネットを徘徊して、コスパが良く印象が悪くならない服を口コミを頼りに準備して臨んだ。
清潔感を主張するチノパンに存在を主張しないスニーカー。無地のTシャツの上にダークグレーのサマージャケットを羽織り、俺なりにデキる男を演出したつもりだ。
勿論、髪もちゃんと整えたがコンタクトで勉強するのは苦手で、でもいつものガリ勉眼鏡だと印象が悪くなるかもと、子洒落れつつもスマートなデザインで人気があるのだと店員に勧められたフレームを新たに準備した。
要するに追加の先行投資を余儀なくされたってわけだ。
ここまで投資したんだから、キッチリ回収しないと大損だ。
それが今の俺の最大のモチベーションになっている。
1度深呼吸をしてからインターホンを押すと、スピーカ越しに品のある声の応答があった。
「あ、あの、家庭教師斡旋事務所【デスクスタイル】から派遣されて来ました月城と言います」
インターホン越しにそう答えると、少ししてから正面の玄関が開き、恐らく生徒である西宮 心の母親と思われる女性が姿を見せた。
「はじめまして。心の母です。よくいらして下さいました」
「はじめまして。月城 雅と申します。宜しくお願いします」
生徒の母と向かい合った瞬間、仕事モードのスイッチがカチッと入った。
以前から気になっていたのだが、どうやら俺はお金を稼ぐモードへ移行する際、頭の中でスイッチがカチッと入ったような音が聞こえるようだ。
単なる思い込みかもしれないが、音が聞こえた後は仕事が順調にこなせるから、この感覚があった時は妙な安心感がある。
俺は母親に案内されて玄関を潜り、奥のリビングへ通された。
直で娘の部屋へ案内されるものと思っていたのだが、リビングに入って理由が分かった。
通されたリビングは広く開放感があった。その解放感の原因の1つがこの部屋の天井の高さだ。見上げてみると、明らかに2階まで吹き抜けになっている。そしてこの部屋の端から螺旋状に階段が伸びていた。
恐らく2階へはこの階段を登るのだろう。
こんな家なんてドラマやアニメの中だけかと思っていたが、実在する事に目を丸くしてしまった。
「娘の部屋はこちらになります」
「あ、はい」
母親はやはり螺旋階段を上がり、2階の一番奥の部屋へ案内してドアを小さくノックする。
「心ちゃん。入るわよ」
「ど~ぞ~」
母親が声をかけると、中から如何にも気怠い感じの返事が返ってきた。
まぁ、問題児リストに載るくらいの生徒だからこの反応は予想の範疇だったのだが、部屋に入り
中にいた少女は母親と今日から家庭教師をする俺がいても、窓際のソファーに胡坐をかきスマホ弄りに意識を向けていた。躾がなっていないとは思ったが、問題児という以前に今時の女子高生らしいといえば、そうなのかもしれない。
だが、俺が驚いたのはそこじゃない。
見覚えがある着崩した制服。目に付く金髪の髪にしっかりしたメイク。
あの土手ですれ違った、訳の分からない因縁を吹っ掛けてきた女子高生が目の前にいたからだ。
驚きと血の気が引くのを感じた俺は、挨拶をしなければいけないのに既に頭の中で白旗を振って黙り込んだ。
そうなってしまうのは当然だ。
あの時、険悪は雰囲気のまま別れたのだから、この女があの時の続きを始めてしまったら、全て俺が悪者にされてクビが確定してしまうだろう。
いや、最悪の場合、あの時落としたスマホの弁償なんて話にだってなりかねないからだ。
「なに? あそこの事務所、散々カテキョをチェンジしまくってたから、今度は見た目がまともな男を回してきたってわけ? ウケるんだけど」
「心ちゃん! 先生に向かって失礼な事を!」
「へいへい。すみませんねっと」
あれ?気付かれてない……のか?
いや、まだそう決めるのは早計か。とにかくここは平静を装ってスイッチを入れ直す事にしよう。
「気にしないで下さい」
「でも」
「大丈夫ですから」
母親は申し訳なさそうに頭を下げて「宜しくお願いします」とお茶を淹れてくると部屋を出て行った。
「なに? ママが綺麗だから欲情でもした?」
「ん? そうだね。綺麗なお母さんだね」
「おいおい……マジかよ」
糞マセガキ。俺は心の中で舌打ちを打つ。
「それにしても凄く広い部屋だね。俺の家のリビングより広いよ」
俺は西宮の部屋を見渡しながら、お世辞ではなく本当に思った事を口にした。ざっと10畳は確実にある日当たりの良い部屋で、この辺の店ではお目にかかれそうにないブランド感が出まくっているベッド。ウチのリビングでは広さ的に置けなさそうな大型液晶テレビが壁付けされていて、恐らく値段を見た途端に踵を返す事間違いなしの、お洒落で独特なデザインをしている本棚。
カーテンも絶対に素材から高級な生地で作っていそうなオーダーメイドカーテン。机に至っては学習机なのか?と首を傾げてしまう未来的な機能でも備わっていそうな、どこのエンジニアだよって感じの机が置かれていた。
「あははは! なに? お兄さんの家って貧乏なん? ウケんだけど!」
確かに場を和ませようと、自虐的な事を言った自覚はある。でも、こいつにウチの家庭の事を馬鹿にされないといけない云われはない。
俺は奥歯をギッと噛み締めた。
「そうだね。羨ましい限りだよ」
俺は自分の気持ちを完全に押し殺して、サラッと流して見せると「チッ」と舌打ちをする音がした。
「それじゃ、そろそろ勉強を始めようか」
そう言って俺は机の側に移り、椅子に手を添えて西宮に呼びかけた。
だが、西宮はソファーから立ち上がる事なく、窓から見える空をぼんやりと見上げている。
「西宮さん?」
「今日はやる気出ないから、初日なんだし別にいいんじゃね?」
西宮は堂々と今日はサボろう宣言を俺に言い渡すと、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべている。
俺はその時、これまで大久保から聞いていた西宮の事と、部屋に入ってきてから見た西宮の印象を分析して、ある結論に至り人差し指でこめかみをトントンと2回叩き、フッと短い息を勢いよく吐いて口角をいやらしく吊り上げた。
「そっかぁ。親の拗ねをかじって生きていく西宮さんには、勉強なんて必要なかったね」
「――は!?」
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