episode・5 変身
今日は2限からだからと油断して寝坊してしまった。
昨夜遅くまでPCの前で唸っていたのも原因の1つだろう。
実はネット小説を書き始めてからしばしばこういう事がある。
初めの頃は親父に謝ってたんだけど、趣味を楽しむのはいい事だから気にするなと言われてから、謝る事をしなくなった。
目が覚めると親父はもう出勤していて誰もおらず、シンクに親父が使ったであろう洗い物だけがあった。どうやら今朝はトーストと珈琲だけで済ませたようだ。
俺はシャツの中に手を突っ込み腹をポリポリと掻きながら、朝食に何を作ろうかと思案していると、テーブルに置いてあったスマホが震える。
通知を知らせるスマホを手に持ち画面に視線を落とすと、瑛太からのメッセージで今夜のコンパに遅れないようにと釘を刺す内容に、朝からため息が漏れる。
俺は『分かってる』とだけ返信して、スマホをソファーに投げ捨て冷蔵庫の中身と相談して、簡単に作れるメニューで朝食を済ませ大学に向かった。
大学というのは本当に素晴らしいと思う。
中学や高校と違い、ボッチでも悪目立ちしない。
同じ大学だといっても学部や専攻が同じじゃないと、事前に待ち合わせでもしない限り、簡単に知り合いに会ったりしないからだ。
だから大抵の学生達は、1人で動いている事が多い。
当然、日常的に1人でいる事が殆どの俺も、周囲からみればボッチとは思われないのだ。
因みに一応言っておくが、俺は『ボッチ』ではなく、あまり友達がいない『セミボッチ』である。
つまりカースト制度で比較すると、最底辺のボッチよりも格が上だという事になる。
ここ大事だから、忘れない様にな!
最近はよっ友に興味あるけど。
14時過ぎに大学を出て、バイト先の書店に向かった。バイト先と言っても『元』であって、もう俺のシフトは全部終えている。
明日に今の店を閉める事になっている為、お世話になった挨拶だけでもと向かっているのだ。
「お疲れ様です。店長」
「あれ? 月城君じゃないか。どうしたんだい?」
「いえ、営業は今日で最後だから、お世話になった挨拶をと思いまして」
「そんな事気にしなくていいのに。ホント君は律儀というか今時珍しい子だよね」
ここでのバイトは楽しかった。だから正月でも店を開けると言われても、少しも嫌な気持ちにならなかった程だ。
まぁ、正月ですら一緒に過ごす相手が、親父しかいなかったというのもあるんだが。
「この店も今日で見納めですね」
「そうだね。いつも一生懸命働いてくれていたのに、こんな事になってごめんね」
その後も店長と雑談してから、もう一度お世話になったと挨拶をして帰宅した。
時計を見ると15時前でコンパは18時からで少し時間を持て余してした俺は、PCを立ち上げてホームセンターのチラシ特価で買ったパソコンチェアに腰を下ろした。
液晶画面に映し出される真っ白は空白スペースをぼんやり見つめながら次回作の構成を考えていると、段々瞼が重くなってきた。
そういえば昨夜もこうして考え込んでいて、寝るのがかなり遅かった事を思い出して、頭が回らない状態ではいくら考えても意味がないと、俺は執筆する事を諦めてコンパの支度する時間まで仮眠をとる事にした。
ベッドの軋む音と共に、体を横たわらせて天井を見つめる。いつも視界を妨げている前髪を手で掻き上げて、視界をクリアにして溜息をつく。
そういえば、髪型もセットしていかないと駄目なんだったな……。
正直面倒臭いし、あまり顔を晒したくないんだけどな……。
そんな事を考えているとやっぱり寝不足だったのか、俺はいつの間にか意識を手放していた。
この仮眠が数時間後、とんでもない事態になってしまう事も知らずにというフラグを立てて。
◇◆
同日18時過ぎ、某居酒屋の座敷席に暗い影が蔓延していた。
座敷のテーブルには、男女合わせて15人が性別に別れて対面する形で座っている。
この配列だと1人だけ正面に誰もいない状況になってしまう格好だ。
この場を仕切る幹事の俺にとって、この空気は気まずいなんてもんじゃなかった。
(あの野郎……遅刻だけはするなってあれ程、警告したってのに)
そうこの現場は、俺がカテキョのバイトを紹介する条件として雅を無理矢理引き込んだコンパの席だ。
そして、1人の女子が浮いてしまっている原因は、雅が遅刻している為だ。
『コンパの鉄則、男は絶対に遅刻するべからず!』
昨日雅に送ったメッセージの内容だ。
この最低限のマナー違反を犯した雅に対して、心中穏やかではなかった。
(――あの野郎……日本語読めねぇのかよ!)
「ねぇ、そっち側1人足りないみたいだけど、どうするの?」
女性陣の1人から苦情が漏れる。
当然といえば当然の苦情に、俺は苦笑いを浮かべるしかない。
「これで始めるわけじゃない……よね?」
苦情を漏らした女子の隣に座っている女子からも、苛立ちを募らせる声があがる。
さっきから何度も雅にメッセージを送っているのだが、既読すら付かない状態で手に持っているスマホを握りしめる力が増していく。
気が付けば女性陣だけではなく、並んで座っている
もう限界だ。
観念した今回のコンパの幹事として席を立ってこの失態を詫びようと立ち上がった時、この座敷に繋がる廊下をドンドンと体重が床に乗った音が聞こえてきた。
「お、遅れました!」
勢いよく襖を開けて、息を切らせた雅がコンパ会場に姿を現す。
立ち上がっていた俺は、間に合ったと安堵の表情を見せたのも束の間の事だ。
「何やってたんだよ! おま……え?」
大遅刻した雅に詰め寄った足が途中で止まる。
大遅刻で女性陣は解散の空気になってしまったが、ギリギリであっても間に合いさえすれば爆絶イケメンの顔面を拝ませれば一瞬で場の空気が好転する。(原因が大いに不満ではあるが)
そうなれば幾多の戦場を駆け抜けた俺のトークで狙いをつけたターゲットを頂く算段だった。
(……そういう青写真を描いてたってのに……)
服装は注文通り、絶対に雅が選んだ物ではないと断言出来る程の、いい感じなお洒落男子の恰好をしている。
だけど髪は整えるどころか、鬱蒼と茂るように伸び放題の前髪に付け加えて寝ぐせと思われる跳ねがあちこちにある。その上あれだけ外せと言っていたガリ勉眼鏡をしっかりと装備された格好で座敷に登場しやがったのだ。
そんな雅の姿を見て、ガックリと両膝と両手を地面につきたくなる心境を理解してもらえるだろうか。
俺が血の涙を流す思いで恨めしそうに雅の頭を睨みつければ、女性陣の半数が顔を見せ合いアイコンタクト会議を終えたのか、席から立ち上がるのが視界の端に映る。
俺以外の
終わった――雅以外の俺を含めた戦士達は戦わずして敗北を覚悟した。
絶対にカテキョのバイトなんて紹介してやらねぇ!会費だって倍請求してやると息を切らす雅に再び止めた足を動かした時だ。
この場の状況を察したのか雅は少し天井を見上げたかと思うと、奇数で1人向かいの席に誰も座っていない席に座っていた女の子に視線を落とした。
「おい、みやびいぃ!」
この場をぶち壊した雅に詰め寄って胸ぐらを掴もうとした俺の手をひらりと交わすように、何を思ったのか視線を向けていた大人しそうな女の子の前で同じ視線になるようにしゃがみ込んだ。
いきなり目の前に膝をついたあいつに驚いた様子を見せる女の子に、雅が一言二言何か話しかけたかと思うと、女の子が付けていたカチューシャを指差した。
「お前なにやって――」
帰ろうとする女性陣を引き留めるのではなく、オロオロしている地味な女の子に話しかけている雅に文句を言ってやろうとした俺に、待てと言わんばかりに手を突き出してきた。
話しかけられた女の子は自分の頭につけているカチューシャを外して、恐る恐る雅に手渡す。
何がしたいんだと首を傾げている先に、戦士達の引き留めも空しく女性陣達が座敷の出口手前にいる雅達の横を通り過ぎようとした時だった。
受け取ったカチューシャを額の辺りに当てながら俯いて、雅がモゾモゾと何かをし始めた。
「もういいでしょ。後よろしく」
引き留める戦士達を無視して幹事役の俺に一方的にそう告げる女性陣のリーダー格と思われる女の目は滅茶苦茶冷たいものだった。
もう駄目だ。
その冷たい目に諦めようと返事をしようとした時、蹲っていた雅が突然先頭にいたリーダー格の女に「ちょっと待ってもらえませんか?」と話しかけた。
「は? 誰のせいでこうなってるか分かってるわけ?」
リーダー格の女の言い分は当然で今更引き留めたところでと、俺も雅の遅すぎる行動に苛立ちの目を向ける。
「俺のせいですよね? 今日の事が楽しみであまり眠れなくて、大学が終わってから少し仮眠をとるつもりだったんですけど、寝坊してしまったんです。本当にごめんなさい」
そう話すと、雅は蹲っていた体を起こして撤収しようとする女の前に立ちあがった。
雅の身長は180㎝ある為、女の目の前に立つと大体こうして見上げれられる体制になる。
それは特段変わった事じゃないが、俺は雅を見上げているリーダー格の女……いや、その後ろにいる女性陣の動きが気になった。
立ち上がって女性陣の方に体を向けたから、俺の方からは雅の背中しか見えない。
その肩越しから何も発しなく黙り込んでいる女性陣を見れば、女達は自分より背の高い雅を見上げて口をポカンと開けている。
俺はそんな女達の姿を確認して、間に合ったと大きく息を吐くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます