5 / ⅻ - だから、わたしは -

 自分が『失楽園ディエス・イレ』の災害で手足を失ったこと。


 そして義手義足を着用した生活を送っている故に、プールの授業のようにその四肢を見せる機会が今でも恐いこと。


 それを周りの人に知られずに一人の普通の女性として平穏に生きていければ、それだけで何よりの幸せだということ。


 でも、だからこそ、知られてしまったなら距離を置かれてしまうのではないかと、拒絶されてしまうのではないかと、それを何よりも恐れていたということ。


「みんなと違う人って、嫌だよね?」


 ───嗚呼、その言葉は。


「みんなと一緒じゃない人なんて、いない方がいいよね?」


 だって、


 だって、わたしは。


「大丈夫だよ、世良さんまきちゃん


 真紀奈の頬に伝う一筋の雫を拭う有土の手は、夜の空気に当てられ少し冷えてしまっていたが、彼女には何よりもあたたかな心に満ちたものに思えた。


 そして彼は、笑いながら言ってくれたのだ。




世良さんまきちゃんがどんな人だって、ボクは味方だよ」




 幼い頃の答えとは、ちょっとだけ呼び方が背伸びしてしまったけど。


 あの日と同じ優しさが、彼女の胸の内を聞いても変わらなかった優しさに満ちた同じ言葉が、真紀奈を優しく包み込んでくれたのだった。


「う、ん……うん……っ」


 ありがとう、ありがとうとその言葉をゆっくり噛み締めるように反芻する真紀奈に流れる涙は、もう悲しみによるものではなかった。


「でもね、最近はこの姿だったからこそ、良かったなって思えることもあったの」


 しかし、真紀奈が続ける言葉は、


 有土を、絶望させることとなる。




「小郷くん、私の義肢を作ってくれてるんだってね」




 誰が、


 誰の、


 何を?


「───……え?」


 最初は、その言葉の意味がわからなかった。


 その言葉を理解するのを脳が拒絶していた。


「光皆社長にね、教えてもらったの。空を飛ぶようにする義肢の製造をやってて、わたしがそのテスターになるんだってね」


 彼女の言うことはとてもではないが信じられなかった。


 信じたくなかった。


「なん、だよ……それ」


 どれだけ思考を巡らせても言葉が出てこず、感情が抜け落ちた顔が真紀奈にどう写っているのか、いやそもそもこれは夢ではないのか、様々な感情が駆け巡るだけで言葉にならない思考は空回りしている。


 感情を絶望の淵へ投げ掛け、その底から跳ね返って響く言葉はあまりにも弱々しく疑惑が色濃いものであった。


「小郷くん?」


 思い返せば確かに、光皆は国防局の被験者に最高司令官として伝えると話していた。


 少し考えてみれば義肢を必要とする人はいれども、四肢の全てを必要とする人など限られるだろう。


 武装を施した義手義足の開発と、手足を失った親しき少女。


 点と点を線で結べなかったのは、それが余りにも有土にとってはかけ離れた、思考の両端に位置していたものだったから。


『……そ、それはつ、まり、わ、私に、人を殺せと仰るものと、捉えてよろしいのでしょうか』


「ふざ、けるな……ッ!」


 彼の腕に預けられた命は、世良真紀奈のものであり、


『……これが、一人分の、命の値段ですか』


「ふざけるな……ッッ!!」


 彼が買い取った一生涯は、世良真紀奈のものだった。


「こんな……こんな! ち、違うッ! 俺は、世良さんを、そんなつもりじゃッ!」


 支離滅裂な訴えは、見苦しい言い訳のようにも、助けをう悲鳴のようにも聞こえる。


 彼女はそんな彼をなだめるように、優しい口調で応えた。


「ねぇ、小郷くん」


 握り拳に籠る力は増すばかりで、行き場のない怒りが有土の身体を震えさせる。


 声を掛けられた彼は焦点の合わない虚ろな瞳で、真紀奈の顔を見ていた。


「わたしはね、小郷くんを信じてるよ。どんなことをするのか、まだ自分でも何がどうなるのかはよくわかってないけど、それでも、わたしなんかでも小郷くんの役に立てるなら、それは嬉しいなって思うんだ」


 迷いのない真っ直ぐな笑みを向けられた有土は、しかし対照的に悲嘆と苦悶をかき混ぜた、脆く弱々しい糸で辛うじて支えられているような、今にも泣き崩れそうな顔をしていた。


「で、でも……俺は世良さんの、人生を」


 もしこんな笑顔と共に近い将来、彼女を死地へ送り出さなければならないと思うと、いや、もしかしたら全てを知った絶望と拒絶、悲鳴を聞きながらもそれを無視して、彼女を無理矢理にでも戦場に出させなければならない未来があると思うと───胃から込み上げてくるモノを形容する言葉は、決して二、三では表しきれないものだった。


「それにね、小郷くんの役に立ちたいのもそうだけど、逆もそうなの。わたしの身のことで何かをする時に、小郷くんなら任せてもいいなって思ってるよ」


 もし有土が言うように、これが自身の人生を左右するような重要な出来事ならば、それこそ一番に近くにいて欲しい人の手が含まれているのなら、それほど喜ばしいこともないと彼女は微笑みながら言う。


「泣かないで、小郷くん。小郷くんには、いつもみたいに皆の先頭に立つ自信に溢れた格好良い顔の方が似合ってるよ」


「……ありがとう」


 今の自分ではその涙を拭ってあげることは出来ないけど、と。


「わたしの命を預けるって話なら、小郷くんが相手で幸せなんだ」


 それは何にも霞むことのない、誰にも穢されることのない真っ直ぐな愛情。




「あのね」




 ずっと伝えたかったその言葉は、自然と口に出来た。




「わたしはね、世良真紀奈は、小郷有土くんが大好きだよ」

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