2 / ⅷ - 寓話の語り部 -

 当時話題を呼んでいたのが、あるいは野次馬達がこぞって餌にしていたのが彼のこぶし、男子生徒達との喧嘩沙汰だった。


 諭しても無駄な人には殴ってでも話を聞かせる、という恐怖政治の思考を地で押し通す人であり、悪事を為す人には年上だろうと見付け次第罰則を与えた。


 時にはその恨みを買う形で多勢に囲まれることもあり、過激にもなれば流血の惨事になった。


 ただ、彼は一切の妥協なく、一切の屈服もなく、そして一切の容赦もなく正義を振るった。


「『姫ね、一度だけあの人のことを見たことあるんだけど、悪いことをした人とはいえ、あそこまで躊躇いなく相手に出来るもんなんだって凄吃驚しちゃった』……へぇ、俺は一度も見なかったなぁ。ってか『自分で姫って言っちゃうとかオッサン乙』」


 その在り様は化け物と呼ぶ人すらいたという。


 最初こそダークヒーローだと謂れのない憧れを抱く人が彼を闇や陰に住まう大人っぽい暗部の正義と陶酔していたが、紛れもない現実と気付けばそれはただの恐怖の対象でしかなかった。


 彼は己が悪と判断した者に対し、非常にまで非情、そして冷酷、苛虐、残忍だった。


 単なる正義感が強いという言葉だけでは済ませられない。


 悪を屠る為ならどんな手も厭わない───清廉潔白、純真無雑を形にした風紀委員の純白の詰襟学ランも、彼のものだけは紅く穢れていた。


 『んでスレ主さんよ、なんだって今になってヤツの話が出てくるのさ』『あいつ、まだ生きてるの?』『いや勝手に殺すなし』『とはいえ三年も音沙汰なくなってんじゃん』『忙しいんじゃねーの? 当時大学部なら今は社畜会社員だろうし、高等学部だとしても今は大学に行ってんじゃん』


 取り留めもない与太話が流れる様子を、道定は何の気なしに眺めながら作業を進める。


 根も葉もない与太話、言ってしまえば適当な言葉が羅列されていく中で、その人の口調からはどこか確信めいたものを感じた。


『姫知ってるよ、彼はの委員長だったのよ。だからやろうと思えば高等学部に属する今でも純白を纏えたけど、彼はそうしなかった』


 なぜなら、彼は血塗られた己の姿で自分の想い人を恐がらせてしまったから。


 なぜなら、彼は穢れた己の手ではその涙を拭えないと気付いてしまったから。


 だから彼はその在り方を否定した。


 だけどその危ういまでもの倫理観は、自身の内に燃ゆる正義感は捨て切れずさいなまれていたの。


 そのメッセージはこう続いていた。


「『お、どうしたオッサン。信者の上にポエマーか?』『姫―! 俺だー! 結婚してくれー!』……まぁ、今までにない新情報とはいえ、唐突に語られてもハイそうですかって感じだよな。ってか、これがマジなら “血染め委員長 ”って同級生じゃん」


 口にはするが本気には捉えていないし、ぶっちゃけて言ってしまえば真偽には興味がない。


 掲示板の向こうにいる誰某だれそれもきっと同じ考えであり、自分の身の周りに関係ないことについてなど、暇潰しの題材になればいい程度の認識なのだ。


「『姫はそれでも悪を屠りたいとこいねがう彼の姿に惚れたの。だからその歪んだチカラを評価し、正しき義の力に正当な報酬を与える世界へ、手を差し伸べたの』……なんてね、こんな掲示板のこんな巫山戯ふざけたコメントが世界の真相だなんて、一体全体誰が思うでしょうね」


 ───夜闇に淡い明かりを灯して浮かぶNLCディスプレイはさながら朧月ようで、潮風が運び艶やかに靡く漆黒のロングヘアーは、清水の小川みたいな澄んだ美しさがある。


 そして何よりも目を惹き、息を呑み、絵に成るのがその呉服姿。


 紫苑を溶かした濃紺の地色の裾に流れるように桜花が咲き、花紋や唐華が金彩で紡がれた一品。


 その上半身は藍の無地で清純で澄み切った美しさを出し、脚元に咲き誇る絢爛けんらんな刺繍が美麗を形作る。


 みやびを具現化した女性、墨染めの清流の持ち主である女性が静かにたたずむ光景は、ほのかに揺らぐ明かりも相俟って幻想的な風景を作る。


 彼女が一つの人影に気付きその顔を見て笑みを浮かばせてみれば、それはまるで夜の国に住む妖精からのいざないのようだった。


「こんばんは、【堕天使サリエル】」


 人工島『アンゲロス』の末端。そこはおおよそ港とは呼べない島のきっさき


「あぁ。こんばんは、【女王蜂ハニー】」


 影の主、青年の方も女性に挨拶をし、その小さな声は人知れず静寂へ消える。


「貴方はらしくないなんて言ってたけど、その格好も随分と様になってきたんじゃない?」


 青年は闇に溶け込むような漆黒のロングコートを羽織り、中に着ているシャツやネクタイも黒一色に染め上げてスカーフで口元を覆う。


 それだけでも姿からは雰囲気がガラリと変わる為、彼がかつての “血染め委員長 ”だと気付く人は大凡いないだろう。


 否、そもそもとして彼の場合は二つ名のみが独り歩きどころか名ばかりが全力疾走で若者の間を駆け巡っていた故に、その実態、その容姿までを知る人のほうが少数なのだ。


「うん、格好いいよ。よく似合ってる」


「……そいつはどうも」


 ぶっきらぼうとも聞こえるその言葉は、もしかすると照れ隠しなのかもしれない。そこまで見透かしているのか、女性のほうは小さな笑みを浮かべた。


「今日は【蜜】が二件に【蜂】が一件ね。二つ目の方が、取引材料として【目】を交換してもらえる手筈となってるわ」


「了解。とは言え、そっからの製造時間も考ても徹夜コースになるのはなぁ……」


 彼は自分の腕にある時計を見やる。


 アナログ時計は原材料の高騰から美術館の展示物とまで希少価値が上がる中、デジタル時計が広く出回るこの世界においてはあまり馴染みのない数字となったが、彼等の言う【八四〇】などの数字は、時計盤における短針が示す角度を意味する。


 〇〜三六〇までは時計の短針の一周分、つまり午前〇時から正午の一二時までの午前の時間を示し、三六〇〜七二〇は午後の一二時から深夜〇時の午後の時間を表す。


 また日を跨ぐような深夜帯は更に加算する形で数えることも出来る。


 つまり【六九〇】から【八四〇】というのは、午後の11時から始まり、日を跨ぐ七二〇から更に一二〇足された数字、つまり深夜の28時、即ち明け方の4時までを意味する。


「異性と二人で夜を共にするっていうと、なんだか耽美な響きじゃない?」


 私はそれでもいいんだけどね、と女性は悪戯っぽく笑う割には冗談を言っているように聞こえない。


 青年は溜息で返答しながら、薬指に刺繍が施された革のグローブをはめ直した。


「大丈夫、悪を罰せんとする貴方は間違っていないわ。もしその手が血に染まるのが恐いなら、私が穢れない方法を差し出してあげる。もしも世界がその在り様を侮蔑しても、私達は貴方を評価する。例え世界が否定しようと、私だけは貴方を肯定し続けるわ」


 だから───と。


「だから私に、貴方の正義を見せて」


「あぁ、今日も仕事を始めよう」


 黒雲、暗夜、静寂しじまの中で、彼女らの【蜜】【蜂】と称される仕事が始まる。

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