手帳

四季島 佐倉

栞とsecret code

 恋愛とは実に手応えのない一炊の夢であった。

 結末も呆気なく、それでいて後にはただ虚しさが心を突き刺す。

 

 初恋だったのだろうか……

 思い出せない。

──いや思い出したくないのか。

 

 遠い過去の記憶。忘れてしまいたい「愚かな自分」という黒歴史。

 その暗く混沌とした闇がいつまでも呑み込もうとする。

 

 あれは小学生の頃だったかな……


 恋がどんなものか想像もつかなかった。

 クラスのマドンナと云うと、古臭い感じがするが……まあそんな感じの女子だったと思う。 

 結果は言うまでもない。


 あの時の景色がフラッシュバックする。

 その際酷くこきおろされたことがトラウマになっている筈なのだが。


 つまり俺は阿呆だった。

 奴の本性を暴けなかった。

 冷静に考えれば分かったのに。

 後悔を募らせる。


「過ちて改めざるこれを過ちと云う」のだ。


  **************


 あの事件からもう数年が過ぎた。中学は何もなく、只平然としていた。

 友達を作って、適当に話して、平凡で明るい中学生を演じた。

 テストの点数も同じくらいに調節し、常に話題を探し、女子との会話もマニュアル通りにそつなくこなした。

 そうしていれば何の問題もなかった。

 すごく退屈な三年間だった。

 他人に合わせるだけの簡単な作業。

 またこんな日々が待っているのかと思うと地獄である。


     *********


 俺は普通の公立高校に進学し、相変わらず欠伸の絶えない日常を過ごしていた。

 湿気の多いこの季節、纏わりつくような空気の不快感を堪える。

 クラスは毎度ながら騒がしい。


「あ!今日、数学の宿題やってねぇ!」

 

 そう叫ぶのは友人Aこと渡辺。


「俺もだ!やっべ!」


 それに便乗するB、芦原。


「やってきたから、見せようか?」

 俺はそう提案する。

 二人ともサンキューと急いで写し始める。

 

 それから十分ほど経ち、朝のHR。


「今日は皆に転校生を紹介するぞー」

 

 は?


 心の中で短音を漏らす。


「へ?随分と急だな」

「そうだな。なんでこの時期に……」

「……」

「おーい」

「ん?あっ、そうだな」

 想定外のパターンに言葉を失う。

「入りなさい」

 眼鏡をかけた細身の担任教師が手招きをする。


「はい」


 落ち着いた柔らかい声と共に入ってきたのは金の長髪の女子。

 凛とした佇まい、朝日が反射して耀く姿。

 クラス中が大歓声を上げた。


「桐嶋咲良です。よろしくお願いします」


 なんとも胡散臭い女だ。

 睨み付けている俺の視線に気がついたのか、此方に手を振る。


「あーいいな。羨ましいぜ!」


 渡辺と芦原が茶化す。


「お、そこの席が空いているな、そこに座りなさい」


 教師が俺の隣を指差す。 

 羨望の的になってしまっている。

 まずい……

 まさか狙ってやったんじゃ……

 

 気のせいか。


 何故俺の隣が空いているのかはさておき、

対策を講じなければならない。


 桐嶋が居なくなったタイミングを見計らい机の中にしまっていた手帳を取り出す。

 このノートは俺が過去に犯した失敗を書き綴ったものだ。心なしかやたら殴り書きでインクが滲んでいる。


 桐嶋咲良。データを集める必要がありそうだ……


 桐嶋が戻ってきた。

 心の波紋を鎮め、笑顔で取り繕う。

「それ何?」

「ああ……何でもないよ」


 これの存在を知られれば社会的に抹殺される。油断禁物だ。


      *******


 やっと一日が終わった……

 慣れない人間の接待したせいでどっと疲れた。

「はぁ……」

「大丈夫?凄く疲れてるようだけど……」

 誰のせいだ。誰の!

 怒りが込み上げてきたが、力を振り絞って作り笑いをする。 

「ああ……大丈夫」

 歩き出そうとすると重心が崩れたのか、

桐嶋にぶつかってしまう。

 二つの手帳が床に叩きつけられる。

「あ、ごめん……」

「うん。私は平気だけど、本当に大丈夫?」

「うん。じゃあ……」

 逃げるようにして教室を後にした。

 桐嶋が焦った表情をしていたのはたぶん夢か幻だ。


   ***********


 案の定、熱が出た。

 くそ、しんどい……

 疲労が溜まっていただけなのか、その後数時間寝たら怠さが取れた。

 暇だから対策を練ろうと、ポケットを手探りする。

 しかし取り出した手帳は……


「これ俺のじゃねぇ!」 


 どうしよう!と藻掻きながら蒲団の上を転がると、ふと胡座をかいてうーむと考える。

 なぜ俺の相棒が無い?ではこのノートは誰のものだ?

「あっ!」

 散々思考を巡らせて、忘れていた記憶を取り戻す。

 あの時か……

 そう。あの目眩と立ち眩みが重なった時だ。

 だがちょっと待てよ。

──ということはこれは奴の手帳ということか!

 自分の秘密が暴かれようとしているのに、

俺は嗜虐的な笑みを浮かべ手帳を捲る。

 これで弱みが握れる!──と思ったが……

 ただの日記じゃん。つまんな。

 半分くらい読んだが、途中で飽きてやめてしまった。


     *******


 翌日、下駄箱を開けると、手紙が入っていた。

 無論、ラブレターなどではない。

 予想していた通りだ……

 俺は覚悟を決めて、手紙を丸めて投げ捨てると、屋上へと向かった。



   ************


 ガチャ

 扉の向こうには空虚な空間。そこにぽつんと女子が立っている。


「何の用ですか?」


「用も何もこれよ……ぷっ」


 桐嶋は嗤いを堪え、誤魔化そうとしているが……

 ──自害したい……


「はぁやっぱり……」

「哀れだね。さあどうする?」


 煽りとも脅しとも取れる言い回しで抉るようにまくし立てる。


「わかった……これは返す」

 俺の物と類似した手帳を取り出す。

「それは……」

 桐嶋が衣嚢を探り、中身をバラバラと落とす。

 え?てっきりこれを返して欲しいのかと想ったが……

 

 そもそも無くしたことも知らないのか?

「見たの……?」

「ああ、少しな」

「ッ……!」

 不思議と桐嶋の顔が赤くなる。

 そこで彼女の手帳をパラパラと捲る。

「えーと?『友達の作り方』?」

 

 そんなタイトルの小説ありそうだな……


 その瞬間掌からブツが消える。

 見回すと屋上の柵の隅で蹲っている。

 その腕にさっきの手帳が抱き締められている。

「おーい、桐嶋」

「くっ!一生の不覚だわ!」

 悪態をついてグチグチ呟くと、俺に近寄ってくる。

 嘘と虚構で創られたヘラヘラとした顔ではなく、真剣な素の顔だ。

「お前の秘密は口外しない。だから私の情報も機密にしろ」

「お、おお……」

 切れの悪い生返事をする。

 人の口に戸は立てられないというが、その宣言は妙に信憑性があった。

「チッ!」

 突っ立って、去っていく桐嶋を見届ける俺に彼女は大きな舌打ちを残す。

「良いじゃねぇか。友達作り!」

 ご立腹の彼女に追い撃ちをかけるように皮肉を浴びせる。

「うるせぇ!ふざけんな!」

 バンッと勢いよくドアが閉まる。

 捨て台詞と共に。


「『友達作り』か……」


 屋上に寝ころび、その聴き慣れた響きに思いを馳せる。

 愚かにも、彼女を好ましく思ってしまう。


 ****************


 それから彼女と関わることは無かった。

 袂を分かったというよりは暗黙の不干渉の契約をしたのだと思う。

 金輪際かどうかは定かではないが、元々これが有るべき姿なのかもしれない。

 

 彼女の願いはそんな無下にしていいものなのか、判りかねる。現代思想のなかでは異端であることは明白。「努力」なんて侮蔑の対象でしかない。

 それでも改訂の余地はある。他人なんぞいないものとすればいい。

 掻き消すようにチャイムが鳴る。


   **************


 あの事故か数ヶ月が過ぎ、仄かに赤に染まった樹木が秋を知らせる。

 普通なら積もった落ち葉のように気分が舞い上がるところなのだが、生憎とそうもいかない。

 まさか、面倒な文化祭委員をやらされるとは……

 適当に推薦を受け流していたのが仇となった。

 しかもよりによって桐嶋が一緒とは……


 今は実行委員会議の真っ最中。そんな中、桐嶋の横目が重圧を放っている。

 漫画風に表すと、ゴゴゴゴゴゴという感じだろうか。

 身体に戦慄が走り、動きがぎこちなくなってくる。何とも言えない圧迫感に苛まれる。


「文化祭のテーマ等について意見ありますか」

 教壇に立つ委員長らしき人が皆に諮っている。

 ひそひそと周りの人間が話しているのだが、全く耳には届かない。

 カツカツと爪が机を叩く。

 

「で……なんで桐嶋が実行委員に?」

「クラスの奴らが押し付けてきたのよ……」

「推薦されただけだろ?邪推しすぎじゃないか?」

「あんた、ホント分かってないわね……」


「クラスに友達はできたのか?」

「チッ……」

 純粋な質問を皮肉と受け取ったのか、桐嶋は舌打ちを繰り返す。

 残念なことこの上ない。最早猫を被ろうとすらしていない。

 結局会議は煮詰まらず、微妙な結果を残した。

 問題は絡まるばかりでこの微妙な関係もどうなることやら。

 類が友を呼ぶとは本当のようだ。


       *******


 あの会議からやっとのことで方針が決まり、着々と準備が進められている。

 俺はというと連絡係という名目の各係の橋渡し、所謂パシリっぽいことをやらされていた。

「この資料生徒会に渡しといて」

「はい」

「あとこっちもお願い」

「は……はい」

 天手古舞な俺を壁に寄りかかって見物している桐嶋は何やら不敵な笑みを浮かべている。


「おい、暇なら手伝えよ」


「嫌よ。なんでそんなことしなきゃいけないの?」

「てめぇ……」

「まぁ精々励みなさい」

「この野郎……罰よ下れ……」

 仕返しすら神頼みとは……

 我ながら情けない。

 

 憎たらしい女だな、相変わらず。


 不満たらたらで仕事を再開する。

 勤務はまだまだ長引きそうだ。


   *********


 とうとう文化祭前日となった。

 だが、桐嶋の姿が最近見えない。

 一週間前ほど前からだ。

 遂にサボりやがった……

 俺は精励恪勤の社畜だというのに。

 ここ毎日働きづめで疲れが溜まってきて

いる。

 もしかして、実行委員ってブラック?

 モラトリアムのうちからブラックの恐ろしさを知ることになろうとは……

 曇って微睡んだ目で周囲を見回すと、壁一面に装飾が施され、祭の接近を感じさせる。

 段ボールを生徒会室へ運ぶ。

 なんでも校閲や承認の為なんだとか。

 

 重いな……


 幸い下るだけなのでそこまで辛いことは無い筈だ。

 

「失礼しまーす」

 早々とノックをして部屋に入る。

 流石にずっと持っているのは気が滅入りそうだ。

「あ。来ましたか」


「この資料と広告、あとパンフレットお願いします」

「うむ。後は任せておきたまえ」

 腕を組んだ堂々たるその相貌。

 随分とキャラ拗らせてるな、この人……

 ペルソナの重畳したその微笑みはどこか不気味ですらあった。

 大いなる謎を残し、生徒会室を後にする。

 

 さて、準備を進めなくては。


    ***********


 いよいよといったところだ。

 事前準備が終わったと思ったら、今度は当日の巡回と来たものだ。

 一難去ってまた一難。

 俺の憂鬱は尽きない。

 騒ぎ立てる民衆、ぞろぞろと遣って来る来訪者。

 

 気を取り直して、仕事に専念する。

 ここは一年生の教室がある四階のフロア。

 上級生の下層に比べて、活気は見劣りするものの、それでも依然として静けさは微塵もない。

 

『これより文化祭を開始します』

 

 放送と共に彼らのフェスティバルは激しい音を立てて、スタートする。


 始まるやいなや彼らの興奮が堰を切ったように溢れ出す。完全なるアウェイ、爆音に思わず耳を塞ぐ。


 叫びは狭い建物内で反響し、はたまた別の笑い声と共鳴する。

 イヤホンを装着。

 狭い小道を当てもなく歩き廻る。

 独り身は言わずもがな、侵されるマイノリティ。ひっそりと大衆を掻き分け、自らの職務を全うする。

 

 校舎廊下の角に差し掛かると、見覚えのある顔がいる。

 ここ数日全く目にしていなかったから、てっきり行方不明だと思ったが……


「よう……」

「……」


 桐嶋は驚いたように押し黙る。

 暫く一方通行が続いた後、無言のまま合図し、人の少ない職員室前へと移動する。


    **********


「一体何してたんだ、お前」


 少し厳かに質問する。

 感情的になれない事に哀しさを募らせる。

「──」

「ん?」

 こそこそ呟いていたようだがイヤホンで遮られ、全然聴こえない。


「何でもいいでしょ……」


 怒ることなく、呆れたような表情で床に目線を落としている。

 曖昧模糊な反応からは何かを暗示しようとしているようにも見える。

 高飛車な態度とはうって変わり、弱々しい意外な反応に追及をやめて退く。


     ********** 


 そこから丸一日が経ち、二日目を迎えた。

 相変わらずの盛況で、若気の至りというものを嫌でも悟ってしまう。

 もはや委員会の傀儡と成り果てた俺は根気強く、仕事に精を出す。

 だが、精神にも限界というものがある。

 こう長時間人混みの中をさすらっていると気が滅入りそうだ。

  

 さーて昼はどうすっかな。

 昨日は結局店の物買いそびれてコンビニおにぎり×ボッチ飯になっちまったからな……


 校庭でウロウロしていると、ふとラーメンの看板を見かける。

 幸運なことに空いていたため、食べることにした。

 

 うむ……高校生が作ったにしては旨い。

 まぁ空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。

 スープまで一気に飲み干してしまった。

 カロリーを気にしてはいないが、我ながら凄烈な勢いで喰ったな、と眼を丸くした。

 

 ところで……

 隣のこいつはツッコまなくていいのだろうか……

「あら、奇遇ね」

 

 偶然じゃねぇだろ……


「で?何の用だ……」

「あんたに仕事を与えるわ!」

 やべぇ……籤引きの束子よりいらねぇ……

 唯でさえ切羽詰まった状況だって謂うのに。まぁ付き合うか。

 

 どういう風の吹き回しなのか上機嫌の桐嶋に悪寒がしながらも、不承不承協力することにした。


        *


 やって来たのは大音量のBGM が支配する暗い部屋。

 盛り上がりは絶好調。

「こっち、こっち!」

 手招きされた部屋は控え室代わりの物置。

 楽器やら派手な衣装が犇めき合う。


 どうやら次のパフォーマンスの準備をしろという事らしい。

 渋々作業を進める。

「よし。行くわよ!」

 は?

 桐嶋が烏合の衆を連れステージへ出る。

 あの衣装あいつが着るやつだったのか!?

 呆気にとられる俺へ勝ち誇ったような笑顔が向けられる。 

 あっという間にそれは終止符を打った。


      *******


 文化祭は終焉を迎え、後夜祭が滞りなく進行する。

 校庭に灯された焔は大きく揺らめく。

 陽炎に奴が映る。

 また行方不明か……


      *******


 ガチャ

 扉の向こうには以前とは違う宵闇。

 そしてそこに燦然と輝く少女。


「やっぱりここか」


「遅かったわね」


 柵に腕を乗せ佇む。

「あれを用意してたって訳か……」

「まぁね」

「何がしたいんだか……」

「決まってる。『充実させる』のよ」

 

 更に続ける。


「それが私にとっての復讐」

「……」

 

 此方に向き直る。


「だから……手伝ってくれる?」

 彼女はそうはにかむ。

「何故だ……」

「乗りかかった船でしょ」

「それは頼む奴の台詞じゃない」


「『友達』でしょ?」


 刹那沈黙が地を駆け巡るが、不意に飛び出したその単語に大笑いしてしまう。

 拗ねる彼女を前にして、水の粒が滴り堕ちていく。

 互いに感情が暴走しているようだ。

 クズは永遠にクズなのだ。

 心を蝕む呵責と叱責。

 あわてふためく様子が見える。

 膝から崩れ落ちるその男を彼女はずっと見つめている。


「やっぱり俺は阿呆だ……」


 夜空に届くことなく地の果てへと真っ逆さまに墜ちていく。



 

 

  


 

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