吾輩はトカトントン

みつお真

第1話 吾輩

吾輩は猫という身分に生まれ、ある豪雨の過ぎ去った街中をヨタヨタと歩き、腹を空かせながらニャーニャーと泣いていたあの日のことを切に感謝している。

真夏の月夜はアスファルトの水溜りを宝石のように照らして、未だに強い風は、試練に耐え抜いた木々の枝を賞賛しながらも我が道を貫き通していた。

あてもなく彷徨い、はじめて目にする垣根の側を通り過ぎた時、吾輩に近付いてくる青年と、惜しげも無く肌を露わにさせた若い女と出くわした。

これが運命の出会いであった。


二人とも傘は持たず、全身はびしょ濡れではあるものの、吾輩からしたらそれは当然の成り行きである。

荷物を持ち歩く面倒を、何故人という身分の者達は好むのだろうか。

人について考えるとキリがないのは承知はしているが、この世に生を受けてからの二年間。吾輩の周りは人で溢れているのだから致し方ない。

二人は笑顔で吾輩の頭を撫で、身体を撫で、顎の下を撫でながら甘ったるい声を出している。

そう、身分が違う相手。

特に猫を目の前にした際の、人の変化は可笑しくもあり滑稽でもあった。

人でありながら猫なで声で本家の猫に迫って来るのだから、吾輩はいつもニャーニャーと笑ってしまうのだ。これは止めようがない。


青年はかなりの二枚目で、ツンと尖った高い鼻が印象的だった。異国からの使者と吾輩はあだ名をつけた。

女はこれまた美人で、スラリと伸びた長い足としなやかな指先。そして厚い唇からのぞく白い歯がとても美しく、べっぴんさんなる呼称は申し訳ない気もしたが他に候補は見つからなかった。


吾輩の腹は先程からぐうと音をたてている。

しかし、御構い無しに吾輩の身体を触り続ける二人は相変わらずの猫なで声。

無駄な時間という人生悪に耐え切れなくなった吾輩は、この場から立ち去ろうと後ろ足に重心をかけた。その時だった。

頭の中で奇妙な音がした。


トカトントン。


人生悪とか身分とか、もうどうでも良くなってしまった。

ひょいと青年に持ち上げられて、吾輩と人との共同生活が始まった瞬間から、空腹という概念はなくなっていった。

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