薊(あざみ)の花言葉

瀬織菫李

薊の花言葉

「えぇー?うっそーぉ」


 取引先との頭の痛い折衝に目処がたったので、少し頭を休めようと休憩室へ向かうと、中から頭痛の原因の声が聞こえてきた。


 声の主はうちの課の荏田えだ。二年目なんだけど、入社直後から今の今まで厄介事ばかり起こす為、そろそろ上になんとかしてほしいとお願いしている所だ。


 今日も発注書の数字を一桁間違えて発注をかけてしまったせいで、数が足らないと取引先から怒鳴られたのだ。大慌てで頭を下げ、在庫をかき集め納品し事なきを得たのだが、肝心の本人は何処吹く風で、いつの間にか姿を消していた。こんなところで油を売っていたのか。


「だろー?荏田もそう思うよな」


 誰と話をしているのか、と思いつつ休憩室へ入ろうとした瞬間私の足が止まる。荏田と話をしている声に聞き覚えがあったからだ。


「思いますよぉー。だってあざみセンパイってスッゴクくちうるさいんですもん。こんなやり方じゃダメだの、ここはこうじゃないととか、指示が細かすぎでメンドクサくってぇ」


 ……何を話しているかと思えば私の悪口か。しかも相手は私の幼馴染みの笠原かさはらじん。実家が隣同士で小中は同じ学校に通っていたけれど、高校からは別だったのに偶然入社式で再会して驚いたのが五年前。課は違うし、時おり喧嘩はするものの、それなりの付き合いはしていたつもりだったけど。


「だよな。もう名前からして『あざみ』だろ?刺々しいよな。あいつ、お袋に頼まれたとか嘘ついて俺んちに上がり込んでさ、掃除やら洗濯やら勝手にしてくんだぜ?手料理押し付けてくるし、荏田が言うみたいに口煩くてさ、やれ服を出しっぱなしにするなとか、ごみは分別しろとか……嫁気取りで鬱陶しいことこの上ないぜ」


 …………ほーう? 嫁気取り、ね。


「えー、でもぉ、そんなこと言っててホントはそのあとお泊まりとかしてくんでしょー?」


「ないない。あるわけないって。あんな堅物の岩石女、抱く気になれると思うか? 部屋を勝手に荒らしたら満足して帰ってくぜ。それに俺はあんなお局みてぇな女よりも荏田みたいな可愛いほわんとした柔らかそーな子の方が好み」


「やぁだぁーー。笠原さんたらぁ。可愛いだなんてそんなことないですよぉ。うふふ」


 ……ああ。なんかサンドバッグ思いきり殴りたい気分。


 まるで気分転換にならないまま、私は休憩室へ入る事無く自分のデスクへと戻り、引き出しを開けて中の頭痛薬を取りだし、本来は水で飲むものをイライラをぶつけるように噛んで飲みこんだ。





 次の日の昼休み。他人の家の鍵を持ち歩くのは怖いので、自分の部屋に置いておいた迅の部屋の合鍵を持ち、食堂へ向かう。迅はいつもここでお昼を食べているからだ。


「迅」


 迅は荏田を口説き中らしく、案の定今日も一緒に居た。どうせ奢るからとか言ってここに誘ったんだろうけど、彼女は多分お洒落なフレンチレストランでお洒落なランチ(ランチでも三千円くらいするのとか)じゃなきゃ本気で有り難がらないのがわからないのかしらね。それともそういう店は週末にディナーで行くつもりなのかしら。どうでもいいけど。


「なんだよ、あざみ。俺今昼飯中なんどけど」


「はい、これ。返すわ」


 合鍵は迅の部屋に行くようになってある程度経った頃、『一々連絡してこられるのは鬱陶しい』と言って渡されたものだ。


「!?なんで……返すってどういう事だよ!?」


「えぇー!? 合鍵持ってるなんてぇやっぱりお二人お付き合いしてるんじゃないですかぁー?」


「ち、違うんだこれは勝手にあざみが!! お前、どういうつもりだよ!?」


 前半が荏田に向けて、後半は私に向けて言った言葉だ。勝手に、って私がなんで人んちの合鍵勝手に作る様な罪を犯さなきゃならないのよ。


「どういうつもりもなにも、もう私はあんたの世話はしないって事よ。悪かったわね部屋を勝手に荒らして」


「!? まさか昨日の……いや、あれは……!!」


 私を引き留めれば荏田に対して格好がつかない迅は、おろおろと私達を見比べている。


「よかったわね。これでいつでも彼女連れ込めるわよ。よく愚痴ってたものね。これからはその彼女に家事はやってもらってちょうだい」


 まあ、出来るもんなら、ね。少なくとも荏田じゃ無理よね。実家暮らしで料理も掃除も、洗濯すら自分でやってなさそうな手を見ながら思う。柄物も下着も一緒くたに洗濯機に突っ込みそう。そして乾燥機が無いと喚くのよ。


「無理に決まってるだろ!? 誰が率先してそんな面倒臭い事やってくれるんだよ!? お前俺の幼馴染みじゃねぇか!! 今まで俺が頼めばなんでもやってくれただろ!?」


 そうね。この男格好つけてるけど実は食べ物の好き嫌い多いし気まぐれだから、今日はアレが食べたい、今日はコレは食べたくない、と非常に面倒臭かった。しかも材料買ってきてからだったり、作り始めてから言うのよ。確かによっぽど尽くす系の女じゃないと無理かもね。


「驚いたわね。あんたの言う幼馴染みってそういうものなの? 毎日じゃないとはいえ、お金も出してくれないのに料理作って、洗濯して、掃除もして、その上『勝手に部屋を荒らしてった』って余所で言われても平気だと思うのね」


 ここは昼食時の食堂。当然回りには人がいっぱい。最後の部分は私達の会話に聞き耳を立てていた野次馬を見ながら言うと、『それはないわ』というように皆首を横に振った。そうよね。たとえ恋人だって嫌よねそんなの。


「残念でした。私にはそんな奴隷根性ないもの。もうこれ以上は付き合ってられないわ」


「そんな……じゃあ俺はどうなるんだよ!?」


 どうやらヒートアップした迅は、荏田の前にも関わらず最早格好つけるのを忘れている様だ。


「知らないわよそんなこと。ああ、そうだ一つ大事なこと言い忘れてたわ。あんたが昨日『誰かさん』に言ってた『おばさんに頼まれたって嘘ついて』っていうの、あんたは忘れてるみたいだけどホントだから。だって私おばさんからあんたの代わりにお金貰ってるもの」


「はぁっ!?」


 どうやらこの男、私が彼女面して部屋に上がり込むために嘘をついていると思い込んでいた様だ。以前ならまだともかく、最近は何を言っても信じやしないから放っておいたけど。私迅の事を好きだなんて一度も言ったこと無いのに、なんでそんな思い込みになるのかしら。


「毎回あんたんち行く時に買った物のレシート、出来た料理、部屋のビフォーアフターを写真に撮って、一ヶ月毎にレポートにまとめてに送ってるの。そしたらおばさんがそれを見て対価を振り込んでくれてたの。つまり私はあんたの言う『彼女面して勝手に上がり込む幼馴染み』じゃなくて、『雇われハウスキーパー』だったってわけよ」


 会社に入社してちょっとした頃、実家に荷物を取りに行った時偶然おばさんに会って、何気なく同じ会社だった事を話した時、おばさんに頭を下げられ頼みこまれた。どうも大学時代から一人暮らしだったらしいけど、自炊も家事もなんにも出来ないくせに格好つけだけで家を出たらしく、おばさんが部屋に行くと惨憺さんたんたる様子だったそうだ。私もまあ、小さい頃はそこそこ迅と仲が良かったし、親が共働きで留守がちだった為一人で家に居ることが多かった私を何かと気にしてくれてたおばさんに対する恩もあったので、その時は軽い気持ちで引き受けたのだが。


 おばさんはさっき言った正直ウザいくらいの尽くす系の女で、小さい頃から迅に対してすごく過保護だった。何もかも先回りしてやってしまうので、迅は家では王子様の様に扱われていた。そのツケで出来上がったのが、なーんにも出来ない見栄っ張りなダメ男。おばさんもちょっとは大学時代の様子を見て悔やんでるかと思いきや、かえって過保護が再燃したらしい、不自由しているのが可哀想とかいって。見栄っ張りなので、親に何度もこられて世話されるのが恥ずかしいのでもう来るなと言われたらしい。


 そこにうっかり私が入社式で会った事を話してしまったから大変。自分の代わりに時々様子を見て欲しいと頼み込まれたのだ。勿論最初からお金を貰ってたんじゃなく、料理の材料費とか洗剤代くらい出してくれと迅に言ったら『お前が勝手にやってるのになんで俺が』と言われたのでもう行きたくないと言ったら、お金は私が払うからお願いと泣きながら言われたので、仕方なくこの五年間続けていた。よく恋人を家政婦扱いする男がいるらしいけど、私の場合は正真正銘家政婦だった、という事だ。


 つまり私は親愛でも恋愛感情でもなく、おばさんへの義理で、仕事としてこいつの世話を焼いていたに過ぎない。


 まあ、昨日の悪口程度なら今まででも何度も聞いてるので、あれだけだったら鍵を返すところまで行かなかったかもしれないけれど、私にはもう続けられない理由があった。


「それと私、本社に転勤になったから」


「はっ!?」


 先日あった社内コンペティションで、私の提出した案が高く評価された様で、本社で立ち上がる予定の次期プロジェクトへお呼びがかかったのだ。出向期間はひとまず三年。その後も働き次第ではそのまま本社に居ることになりそうだ。そんな大きな仕事が待ち構えているのにこんなダメ男の世話なんていつまでもしてらんない。昨日帰ってから電話でおばさんに言ったらまた涙ながらにお願いされたけど、本社とここじゃどれだけ離れてると思ってんのかしら。休みまるまる潰してまでこんな男の世話したくないわ。私はあなたの息子より自分の仕事の方が大事です、ときっぱり断らせてもらった。


「ま、そういう事で今後は赤の他人だから笠原さん・・・・。私の事も仕事以外で呼び止めないでね。あ、それと荏田さん」


「はっ、はいぃ!?」


 途中から他人の振りの様に黙って食事をしていた荏田にも声をかける。まさか自分が呼ばれるとは思ってもいなかったらしく、声が裏返ってる。


「残念ね。折角念入りに作り込んでるのにこんなダメ男しか引っ掛からなくて。あなたには近日中に人事からお呼びがかかると思うから。私物とかまとめといてね。……じゃ」


 荏田のあのゆるふわ感はメイクの賜物だ。多分二十四時間、寝る時もメイクしてないとダメなタイプだと思う。そこまで頑張ってこの会社員で引っ掛かったのが、既婚者のセクハラ上司と迅だけだったなんて、笑えるくらいに残念よね。


 もう話すことはないので、後ろ手をひらひらと振りながらテーブルから離れる私を見て、呆然とする二人に対して何処かからか『ざまぁ』と小さく声が聞こえる。上司には媚びへつらうクセに同期や後輩に対して尊大だった迅と、仕事をしない、してもミスばかりの荏田の社内評価は低い。恐らく今のやり取りの事は、今日の終業時間までにはあまねく社内に広まっているだろう。


 ま、しょうがないわよね。あの二人どうせ花言葉なんて知らないだろうし。


 アザミの花言葉は『独立、報復、厳格、触れないで』。悪口言われた分は、きっちり報復させて貰ったわ。

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薊(あざみ)の花言葉 瀬織菫李 @paka3ta3

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