第12話 夢! そうっ、これはきっと夢なの泣!






「……ここって」



目が覚めた先の光景は、知らない天井だった。


……なんちゃって。


風ちゃんはゆっくりと体を起こして、消毒液の独特の匂いが充満する空間を見渡す。



「……保健室」



美術の課題でスズと一緒に校内の風景画を描いていたところまでは覚えている。


それからなぜか気を失って。


気を失っている間、何か恐ろしい夢でも見ていたような……何だったっけ?



「ふぅ〜〜〜ちゃぁ〜〜〜ん!!!」


「ぐふぅっ……!」



横から強烈な突進と抱擁を食らい、腹から息が漏れ出た。


間違いない。


この躊躇のないタックルは親友のものだ。


風ちゃんはしがみついてくるスズの手を取り、引き離そうと……



ーーギリギリギリギリ……



「痛い痛い痛い! 鈴! 締まってる! 首が締まってるから!」


「あっ、えっ? あっ、リョウ兄と加減間違えちゃった」



親友の熱烈な抱擁から解放された風ちゃんは、ぜぇはぁと肩で息をする。


普段とノリは変わらないが、なぜか今日のスズは少し加減が違ってだいぶ激しめのスキンシップだった。


呼吸を整え、改めて周りを確認する。


時間を見るに、どうやら授業時間は終わっていて今は下校時間だ。



「良かった、目が覚めたのね」


「村雨先生……」



スズが大丈夫かと風ちゃんの色んなところを触って確認していると、保健室の村雨先生が様子を見に来てくれた。



「ちょっと失礼……うん、熱も特にないし呼吸も安定してる。泡を吐いて急に気を失ったって聞いた時はビックリしたわよ金森さん」


「え? 私って倒れた時泡吹いてたの?」


「え、えぇ、それはもう見事な」



明らかに戸惑いを隠せてない村雨先生の様子に、風ちゃんはなんだか居た堪れなくなる。


それに、倒れる前にとても大事な話をしていたと思うのだが、いまひとつ何があったのか思い出せない……



「何かショックでも受けるようなことがあったか、もしかしたら軽い貧血かしらね。親御さんにも一応連絡はしてあるから。今日は歩いて帰れそう? 無理そうなら車で送ってあげられるけど」


「多分、大丈夫です。心配ご無用ですから」


「本当に? 無理してない?」


「はい、ほんとです」


「先生! スズも一緒に付き添って帰るので大丈夫ですよ!」


「そう、なら花守さん。金森さんのこと、よろしく頼むわね」


「はい! 任せてください!」



元気いっぱいの返事でスズは自分と風ちゃんの分の荷物を肩にかけ、そして空いている手を風ちゃんへと差し出す。



「さっ、帰ろ!」


「……うん、そうね」



いつも通り。


変わらない親友の態度に風ちゃんはその手を取り、なんとなくモヤがかかった思考の中で保健室を出た。






夕方の商店街、スズと風ちゃんは二人並んで帰路に着く。


スズは風ちゃんの体調を気遣いながら、そして鼻歌まじりに元気よく通りを歩いていく。


対して風ちゃんは、まるで昨日見た夢の内容のように、思い出せそうで思い出せない何かをポーっと考えながら通りを歩く。



(何か……親友に関することでとてもとても大事なことを忘れているような?)



「風ちゃん?」


「……ん、鈴、どうかした?」


「いやいや、風ちゃんの方こそ大丈夫なの? さっきから話しかけてるのにずっと上の空だったよ」



どうやら風ちゃんは、忘れてしまった記憶を探るばかりで、スズの言葉を聞き逃していたらしい。



「まだ体調悪い? どこかでちょっと休んでく?」



そんな風ちゃんを見て、心配そうに顔を覗かせてくるスズの姿には胸がほっこりと温かくなる。



(もう忘れたことなんてどうでもいっか。鈴だっていつもと変わらないし)



なのでパッと気持ちを切り替え、そしてふと漂ってきた揚げ物の良い香りに、夕食前の胃が食べ物を寄越せと訴えかけてきた。



「ううん、大丈夫。それより肉屋さんでコロッケでも食べようよ。カバン運んでくれてるお礼に奢ってあげるから」


「えぇっ!? い、いいよそんなのなんだか悪いし。別にカバンくらいいつでも持つよ」


「いいから、いいから。揚げたてコロッケの誘惑に負けた私に付き合って」


「うぅ、そ、それじゃあお言葉に甘えて。……スズもちょっと気になってたし」



簡単に折れてくれた親友を連れ立ち、風ちゃんは肉屋のおばちゃんに声をかけて、ホカホカのコロッケにパクつく。



「おいしいねっ」


「そうね」



コロッケ一つで弾けるような笑顔を見せてくれるスズ。


けれど唇についた衣を指で拭う仕草が、やけに艶かしく見えるのはなぜなのだろうか?


親友のいつもと違う些細な変化に、風ちゃんは首をひねる。



『二十六歳……一人暮らし……会社員』



「!?」



そして唐突に、記憶の底から顔を出してきた謎ワードに風ちゃんの表情筋が条件反射で固まった。


何か……自分は今、非常にとんでもないことを思い出そうとしているのでは無いのだろうか。



『恥ずかしいけど、名前じゃなくてたまにお兄ちゃん、って呼んだらすごく嬉しそうな顔をしてくれるんだ〜』



「!?!?!?」



今度はとてもはっきりと、照れた表情で嬉しそうにそう語る親友の姿がフラッシュバックした。



(なに!? この先を絶対に見てはいけないようなおぞましい記憶は一体なんなの!?)



風ちゃんは訳がわからないまま、謎の焦燥で動悸がバクバクと早くなっている。


隣にいるスズをバッと見ても、ぽけーっと首を傾げるだけだ。


思い出してはいけない、だけど続きが気になる。


そんな思いに取り憑かれている風ちゃんの前に、たまたま。


そう、たまたま女子高生と腕を組むおじさんが前を横切ったのだった。



『……毎日、一緒に寝てるよ』



頬を赤らめてそう告げる、小一時間前の親友の姿が、それはもう鮮明に頭の中で浮かび上がった。


その記憶に風ちゃんはと言えば、



(んあぁあああーーーーー!!!!! 思い出したぁあああ!!!!! 思い出しちゃったよぉおおお!!!!!)



固まった表情筋を逆手にとって、能面のような微笑みを顔に貼り付けながら、心の中では激しくもんどり返っている。



(そうだよ! スズに男ができたんだよ! 彼氏ができたんだよ! 相手はなんと十も年上! 会社員だよ! 社会人だよ! 立派なおじさんだよ!)



なんともまあ、一時間も遅れて、それも心の中で盛大に行われるリアクション祭り。


風ちゃんの心の荒れ具合を仮に現実世界に当てはめるのなら、地面に手と膝をついて頭を秒速三回のスピードで打ち付け、ゴロゴロと前転だけで町内を一周し、深呼吸を繰り返しすぎて過呼吸になってもお釣りがくるほどだろう。



(待て待て待て待て。あの鈴だよ? 純真無垢で『けがれ』の『け』の字も知らない鈴がだよ? まさかそんな急に十も年上の男に言い寄られてそれを受け入れるわけがないのよ…………そうよ! てことは、全部私の勘違い?)



心がオーバーヒートした途端、不意に頭が冷えて思考がクリアになり、突如として沸いた勘違い説に風ちゃんは全力で乗っかった。



(そうだよ。鈴に年上の彼氏ができただなんて全部夢。夢のまた夢。私の勘違いに決まって……)



「ねぇ、風ちゃん。さっきまで話してたことなんだけどさ、私今日もご飯作ってあげるつもりなんだけど、合い挽き肉で料理するならコロッケとハンバーグ、年上の男の人ってどっちが好きかな?」



そして全力で転げ落ちた。



(だよね! 勘違いなわけないよね! 知ってたよ! だって全力で現実逃避してたもん私!)



もはや逃れようのない突きつけられた現実に、風ちゃんは抗うことができず、



「ぐすっ……鈴ぅ、子供は……まだ作っちゃダメなんだからね」


「ふぇ?」



ホロリと涙を流しながら、自分を置いて一足飛びに大人の階段を上ってしまったスズに、せめてものアドバイスをするのだった。





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