491 敬虔と劫罰

 ファティは暗い地下道を一人走っていた。この選択が正しいのかどうかはわからない。だが迷うよりも悩むよりも行動で示した方がいい気がした。

 そのまま走っていると……わずかばかりくらりとめまいがした。疲労や立ち眩みではない。

「毒? ううん、毒ガス……?」

 敵はそんなものまで開発しているのだろうか。そして、そんなものを吸っても自分は平気なのだろうか。平気なのだろう。

 もうこの体はどんなことでも疲れないし、何も食べなくても飢えはしない。毒ガスくらいで傷つくことはないだろう。そう判断して再び走り出した。

 ちなみに彼女は気付かなかったが、この地下道は中ほどからやや上り坂になっている。その理由は空気よりも軽い気体を溜めるようにするためだ。そしてこの場所にたまっている気体は水素。この世で最も軽く、そして燃焼性の高い気体である。もしも常人なら酸欠でとっくに倒れていただろう。だが、ファティは再生能力によってそれらを無視した。

 つまりこの地下道は初めから、銀髪を殺すためだけに作られていた。

 そして、罠は発動した。




 火山の噴火よりも激しい爆炎が噴き出す。その衝撃で巻き上げられた土砂は雲にさえ届きそうだった。

 地下道に埋め込まれていた爆弾。地下道に充満した水素。それらが一斉に起爆した衝撃だ。怪獣でも暴れたのかと思いたくなるような惨状が広がっている。

「流石にこれで銀髪を倒せなきゃもうどうやって倒せばいいのかわからんな」

 上空1000メートルで待機していたカッコウからの映像を眺める。ちなみに石の破片が掠めて心の底からビビったのは内緒。

 多分今の技術で叩き出せる最大火力だ。しかも奴は水素を吸い込んだはず。酸欠で倒れなかったとしても、肺の中の水素が起爆して体の内部から焼き尽くされたはずだ。これで無理なら核でも撃ちこむしかない。

 だが。

 がれきの山から銀の光が漏れ出し、人影が這い出てくる。それはぼろぼろに焼けこげ、ところどころむき出しの中身が漏れていたが、生命活動に支障はないようだった。

「……いやもう……あれ、ほんとに生物か? クリーチャーでもあんなのいないぞ」

 でたらめすぎて呆れた笑いがこみ上げてくる。やっぱり力であいつに勝つのは不可能だ。そうなると搦手に頼らなければならないか。

 ……ううむ。ちょっと釈然としないかな。ここまでせっかく鍛えてきた軍事力が全く通じないなんて。ま、しょうがないか。

「やはり無理だったか」

「ああ。あいつどうやって殺せばいいのか全く分からん」

「そうか。ではやはり妾が行くぞ」

「千尋。別にお前が行く必要はないだろ」

「いいや。理由はあるさ」

「何だよ」

「妾たちはあれの結末を見届けなければならん」

 たち、か。

 多分、そこにはオレも含まれている。確かにあれがどうなるのか。あいつと長く戦ってきたオレや千尋はそうするべきなのかもしれない。いや、そうしたいのかな。

「そうか。じゃあなるべく死ぬなよ」

「無論。せいぜい馬鹿面を眺めるとしよう」

 千尋はゆっくりと舞台に向かっていく。




 ファティは自分の肉体を眺める。黒ずんだ手から肉が盛り上がり、元通りになっていくさまをじっくり観察する。

 はっきり言って不気味だった。

「本当に……化け物なんだ……私……」

 これでは見捨てられてもしかたがないとすら思う。だが同時に化け物出なければこれまでの戦いを生き延びることはできなかったのだろう。

 ふわりと風に流されてきた大きな布を掴み、それを体に巻いた。衣服はどこに行ったのかわからない。

 地下道の跡地から出ると一斉に魔物が襲ってきた。それらすべてをこともなげに一刀両断する。今までのように爆弾や大砲ではなく、魔法、あるいはその爪や牙で挑んでくる。それらすべてを切り伏せる。

 辺りを見回すとどうやら要塞の内部だった。いや、城壁の一部が吹き飛んでいるのでもう外と内の壁の違いなどたいして意味はないが。

 とりあえず大砲らしきものが見える城壁の上まで移動することにした。その間にもひっきりなしに魔物が襲ってきたが、傷一つつくことはない。

 不意に気が付いた。自分は今、とてつもなく戦いやすい。今までのどんな戦いよりも今が一番うまく戦えているという実感がある。今までとこれまで何が違うのか。答えはすぐに出た。

「私、今一人なんだ」

 今までは仲間がいた。どんな時でも誰かが一緒にいた。だから思う存分戦っていなかった。今は仲間がいない。だから戦える。

 つまり。

 自分にとって。

 仲間とは。

 ただの足手まといでしかなかったのだ。




「おーおー。派手に殺してくれちゃってるなあ」

 ちなみに今戦いを挑んでいるのは全員志願した人員だ。これで銀髪との決着がつく。もしもあいつに挑みたいならこれが最後の機会だ。そう説明すると競うように戦いに志願した。

 はっきり言えばこれも間引きだ。銀髪に対して異様な憎しみを抱いている人員はもういらない。だから、そうでない奴もここですっきりさせるためにあえて戦わせる。

「にしても、ずいぶん戦いやすそうだな」

 周りを気にしなくていいせいか、銀髪はのびのびと戦っている。

 皮肉なもんだ。仲間だの家族だのと言っていた奴が一人になると強くなるなんて。

 周りに戦わせることしかできないオレと、自分だけで戦った方が効率よい銀髪。果たしてどっちが幸せなのかね。

 オレが奴の立場なら……どうしたのかな。

 少しばかり感慨にふけっていると和香から連絡がきた。

「コッコー。地下道から脱出した部隊は連中が処理しました。ただし、タストとかいう男はいなかったようです」

「ふうん。じゃ、念のためにタストは捜索しておいてくれ」

 さして興味も薄かったが、タストには一応利用価値があった。






 地下道を脱出し、タストと別れたウェングたちは必死に松明の見える味方に走っていた。

 そこで不意に近づいてくる松明の群れ、つまりは味方の部隊があった。そう、思った。

「あれは迎えでは?」

「やはり教皇様は我々をお見捨てになるはずはなかったのだ!」

 歓喜する同行者に対してウェングは顔を青ざめさせた。あれは迎えなどではない。むしろ逆。あれは――――。

「伏せろ!」

 ウェングは叫び、その言葉を忠実に実行したが、他は誰も彼の指示には従わず、むしろ近づいていった。

 そして、いくつもの<光弾>が飛んでくる。百? 二百? もしかしたらそれ以上の<光弾>が頭上を通過し、伏せていなかった味方をことごとく薙ぎ払った。

(ああ。タスト。お前が正しかった。戻っても、どうにかなるわけないんだ)

 少し時間が経ち、顔を上げると……誰も動いていなかった。

 呆然としていると誰かが近づいてくる。逃げる気力さえ湧かずにへたり込むと……見知った顔が現れた。

 サイシー。自分の血のつながっていない妹だった。


「サイ……シー? お前どうしてこんなところに……?」

 こんなところにいる理由など一つしかないが、間抜けな問いを発してしまう。あるいは否定して欲しかったのかもしれない。

 よく見ると仲間であったはずのトゥッチェの民もサイシーに付き従っている。

「お兄様……私は悲しいです。お兄様が聖女様を裏切っていたなんて……」

「は?」

 問いに答えず沈痛な表情で訳のわからないことを言い出した義妹に困惑する。

「でも安心してください。お兄様の穢れは私が払います。楽園に旅立ち、安らかに眠りましょう。私もいつか必ずそこに行きます」

 楽園に旅立つ。その意味はつまり死ぬということ。

 死?

 自分が?

 何故?

「どうしてだよ……」

「何度も言わせないでください。王族の血を引きながら聖女様を裏切った罪はあまりに重い。ですが聖女様から私にお兄様を清める機会を頂きました」

「聖女って……俺は裏切ってなんかない!」

 声に少し力がなかったのは、確かにファティを利用していたという自覚があるからか。

「まだ認めないのですね。ええ。これこそ悪魔に魅入られた証でしょう。聖女様の仰っていた通りです」

 明らかに会話がかみ合っていない。どうにも致命的な勘違いをしている。それが何かを探る前に、その勘違いが目の前に現れた。

 顔をヴェールで隠した銀髪の女。どう見てもファティではない。だが、どこかで見たことがある気がした。

「聖女様! このような穢れた男の前に立っていては御身が穢れてしまいます」

 穢れている。セイノス教徒にとって最大の侮辱である言葉を、唯一慕ってくれていると信じていた義妹の口から出たとは信じたくなかった。だが、それ以上にあの銀の聖女の正体を明かそうとすることでその動揺を鎮めた。

「お前! 誰なんだ! どうして銀の聖女のふりなんかする!?」

「ふり!? 身の程をわきまえなさい下郎! 聖女様に何という暴言を!」

 サイシーの言葉がまたも胸を抉った。もはや自分には銀の聖女の偽物の数百分の一の敬意すらないらしい。だが、もしも偽物の正体を明かすことができれば……それを取り戻せるかもしれない。

「いいから答えろ!」

 サイシーは仇を見るような目で自分を見て、何かを喋ろうとしたが、偽の銀の聖女がそれを遮り、口を開いた。

「私こそが真の銀の聖女です」

 たった一言。その一言でさえサイシーは天上の至福を見つけたようなとろけた顔をしていた。

 そして同時にウェングにも十分だった。この偽物の正体は声でわかった。

「あんたサリだろ! ファティの付き人! あんたの髪は赤かった! その銀髪はかつらかなんかか!? くっだらねえ! そんなことしても本物にはなれねえよ! サイシー! そいつは銀の聖女なんかじゃない! ただの偽物だ!」

 万全の確信と共に真実を叩きつける。これでサイシーも正気に戻ってくれるはずだ。

 だが。

「お兄様。何を言ってらっしゃるのですか? この方がサリ様だとは知っています」

「……は?」

 サイシーはサリとも面識があったはずだ。少なくとも見かけたことくらいはあるだろう。それでもなお銀の聖女だと信じられるのか?

「サリ様の髪が赤かったのは世を忍ぶ仮の姿です。世界をあるがままに見るための御心をご理解するどころか非難するだなんて……やはりお兄様はもう穢れ切ってしまったのですね」

 その視線は憐憫さえ感じさせる。ダメだ。サイシーはサリのことを信じ切っている。自分の言葉が全く届かないほどに。

 サイシーの配下……自分と同じトゥッチェの民が近づいてくる。……中には顔見知りもいる。明らかに自分を殺すためだ。

「ひ……」

 恐怖のまま後ずさり逃げようとして……足に激痛が走った。サイシーの<光弾>だった。痛みでのたうち回っている隙に取り囲まれてしまった。取り押さえられるために伸びてくる腕が悪魔のように見えた。ただ闇雲に暴れまわり何とか逃げようとするが敵うはずもなくウェングは取り押さえられた。

 目の前には笑みを浮かべたサイシーが立っている。

「ではお兄様。楽園で安らかにお眠りください」

「……だ」

「はい?」

「嫌だあああああ!」

 ウェングはさらに暴れまわり、予知能力を最大限に発揮する。何千、何万通りもの未来、さらにはもしもあの時こうしていればという可能性の未来さえも予知したが……そのいずれも、自分が生き残る未来は存在しなかった。

(どうしてこうなったんだ?)

 自問。疑問。目まぐるしく走馬灯が駆けまわる。何をしても、この未来が変えらなかったというのなら、初めから何もしない方がよかったのか。一体自分の人生に何の意味があったのか。

 喚き続けるウェングに――――。

「見苦しいですよ」

 軽蔑しきった表情のサイシーの刃が振り下ろされた。




「よくやってくれました」

「聖女様! もったいないお言葉です。平にあの男の言葉はご容赦くださいませ」

「構いません。あなたは真の信仰を示しました。必ずや楽園に旅立てるでしょう」

「そんな……なんと恐れ多い……」

 感極まり涙ぐむサイシー。

 ヴェールに隠されたサリの唇が醜く吊り上がっていることに気付かなかった。


 なお、サイシーやサリの行動はエミシの指示ではない。行動を黙認していたのは事実だが、積極的に活動したのはサリの指示だ。

 サリの思考は複雑ではない。もっと褒めそやされたい。崇められたい。ファティよりも、もっと。

 そのためにファティのような武勲をあげる。

 そのための生贄としてウェングたちが選ばれただけだった。

 戦略的にも、戦術的にも、何ひとつ意味なくウェングは死んだ。いや、サイシーやトゥッチェの民にとって身内の恥を雪ぐという絶好の機会だった。

 強いて意味を見出すのなら、それしかなかっただろう。

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