488 登極

 銀の光が蒼い影を切り裂く。思わずひれ伏しそうなほど神々しい光景だった。それを見る誰もが神話の一端を垣間見ていると確信するほどに。

 だが誰も彼も拝むばかりでファティの顔を見ていなかった。サリなら気付いたかもしれない。ファティの顔がいつもよりもがむしゃらで、野性的で、必死だったことに。

 もしかすると彼女は今初めて本気で敵を倒すためだけに戦ったのかもしれない。今までの戦いのほとんどは彼女が命の危機にさらされることはなかった。いや、本人の認識としては必死だったのだろう。それでも、傍から見れば圧倒的な力の差があり、同時にその力に彼女は守られていた。それこそ死にかけた時でも自分が生き延びるために戦うという意思はなかった。

 だが、今彼女はエゴを認めて戦っていた。平たく言えば、彼女はようやく覚悟が決まったのだ。


 結局瞬きの間にアベルの民の体はバラバラに刻まれた。なお、彼女は無意識的に刃からさらに小さな刃を瞬間的に繰り出し、アベルの民の細胞一つ一つに致命的なダメージを与えるという不死殺しと呼ぶべきすさまじい神業を披露していたのだが、それにはアベルの民でさえも気付いていなかった。

 嵐のような猛攻が終わったとき、アベルの民はもはや細胞の一片さえも生き残ってはいなかった。


 はあはあと肩で息をする。ぐるりと周囲を見渡すと誰もが傅いていた。立っているのは自分だけ。絶海の孤島のようだ。もしも他者を見下し、自分の絶対性を信じられるような人ならこの光景を見て喜ぶのだろうか。そんな人間にはなりたくない。でも、そう望まれている。自らが絶対だと、神聖だと、そうであれと望まれている。

 だから、それに応えなければならない。ふと思い出す、前世の記憶。

(そう言えばお母さんやお父さんの期待に応えようとして、やりたくもない勉強を必死でしてたっけ)

 今ではもうどれくらい前だったのかもよくわからない。結局自分はこういう生き方しか選べないのだろうかと心の中で自嘲する。

 もちろん、そんな内心を見透かされないように慎重に言葉を選ぶ。


「皆さん! えっと、残念ながらアベルの民さ……アベルの民たちは私たちを裏切りました!」

 信徒たちからはやはりそうなのか、というたぐいのため息が漏れる。

「ですが安心してください! 私が……皆さんを安全な場所まで連れて行きます……必ず、守り抜きます!」

 演説としては拙劣に過ぎたが、つぎはぎの言葉でさえクワイの民の心を掴むのは十分だったようだ。今までよりもはるかに大きな歓声が曇天の空に木霊した。




 喜劇を鑑賞し終わった観客のようにゆったりと千尋と語らう。

「どう見る?」

「妾が思うに、多少なりとも聖女らしく振舞うことを覚えたのではないかな?」

「ははっ、すげー今更」

 銀髪の演説はその内容もさることながらどの口が言うのかと憤慨……いや、失笑したくなるほど滑稽だった。具体性に乏しく、アベルの民の口車に乗ったのはお前の責任だというのに自分なら問題を解決できると主張するとは実に図太い。

「アベルの民も打倒した。敵の内部もすでに切り崩しておる。もうここで勝負を決めてもよかろう」

「そうだな。ここでぐだぐだしても始まらない。とっとと終わらせよう。プランBだ」




 その晩。

 ファティは天幕の一室に集められた。駕籠に誰かが来るのではなく、ファティを呼び寄せるというのはめったになかったが、それだけ緊急の事態であると察せられた。

 その天幕にはタスト、ウェング、アグルが集まっており、口火を開いたのはアグルだった。

「敵の要塞に侵入する経路が発見されました」

 室内の全員が一斉に表情を引き締める。次に口を開いたのはファティだった。

「どこにありますか?」

「砦の北西部にある茂みの中です。巧妙に隠されていました。偵察兵が発見したようです」

「そこを通って砦に侵入して、どうするつもりなんですか?」

「まずはあの穢れた兵器を聖女様が破壊すればよろしいかと。教皇猊下はそうおっしゃっていました」

「その間、私たちの守りは大丈夫でしょうか」

 もうすでに出撃するつもりでいるファティにタストとウェングは驚きを隠せない。女子、三日会わざれば刮目してみよ、というたぐいの言葉がクワイにはあるが、ほんの少し会わなかっただけでファティは途轍もなく行動的になっていた。

「聖女様がご不在では守り切れませんでしょう。故に、迅速に破壊し、迅速に帰還する必要があります」

「わかりました。いつ決行しますか」

「早い方がよいでしょう」

「では、今すぐにでも」

「かしこまりました。同伴の兵は私が選出します。なるべく少人数で信頼のおけるものを選びます」

 丁寧に敬礼するアグル。誰が見ても王と臣下にしか見えなかっただろうし、事実そうであった。

 自分たちの目の前で手早く計画が立案されていく様子をウェングとタストは黙ってみているしかなかった。

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