288 聖職者民主制
「具体的にどんな方法ですか……?」
慎重に、警戒を隠すことなく、問いただす。
「まずは銀の聖女様に教皇の座についていただきます。そののち聖女様の地盤を引き継いだタスト様に教皇になっていただきたく」
銀の聖女という言葉に警戒心を強くする。が、それ以上にその提案に心惹かれている自分がいることにも気づいていた。完全な世襲である国王と違い、教皇は聖職者による選挙によって決定する。教皇は圧倒的女性多数である聖職者のみが投票権を持つという不完全で不平等ではあるものの、一応選挙によって選ばれた指導者であるのだ。だからこそ可能性はゼロに近くてもゼロではない。
例えば聖典に男が司祭より上の役職になれないとは明言されてはいるが、教皇を選出する選挙に出てはいけないとは記載されていない。屁理屈も甚だしいが、アグルはそう言ったルールの抜け穴を知っているのかもしれない。
が、しかし。
「聖女様を利用するつもりですか?」
その疑問は常々感じていたことだ。彼女を利用する誰かが現れないか、と。
「そう思っていただいても構いません。しかし目的が果たされたならば必ずやあの方もお認めくださるでしょう。まず頂点が変わらなければ周囲はついてこないのです」
アグルは嘘を言っていない。それは自分にならわかっている。
少なくともこの荒唐無稽な計画を実現できる自信があるに違いない。だからこそ聞いておきたい。
「何故あなた自身が教皇になろうとしないのですか?」
「私では教皇までは遠すぎます」
悔恨を感じない瞳で決然と断言する。
「私とてできるのならばこの手で自らクワイを改革したいと望んでおります。ですがただの修道士でしかないこの身では道筋を作ることさえ不可能でしょう。教皇猊下の御子息であらせられるタスト様とは違います」
「もしも、僕が貴方の期待に沿えなかったらどうしますか?」
「我が眼が曇っていたことを恥じるのみです。あなたを恨むことは決してありません」
タストとウェングは目の前の柔和そうな男が火のような苛烈さと山のように巨大な意思を持っていることを実感せざるを得なかった。
そうでなければここまで自分に厳しくなれないだろう。
「あなたは何故それほどまでに平等を望むのですか」
意図した質問ではなく不意に口から滑り出した疑問だった。
「私の兄は誰もが平等に暮らせる世界を夢見ていましたが、志半ばで倒れることになりました」
聞いたことがある。アグルの兄トラムは蟻との戦いで命を落としたと。
「その兄の理想を遂げるためならばこの身命が砕けたとて惜しくありません」
何一つ迷いなく断言するアグルの姿は太陽のようにまぶしい。ことここに来てアグルを疑うという心は二人とも持ち合わせていなかった。
だが彼らは知らない。あるいは知っていても忘れている。
悪魔とは弱った心につけこむことが得意だということを。弱ったひな鳥を狙う蛇のようにひっそりと忍び寄るのだと。
厄介なのは蛇にして悪魔であるアグルが完全に無私の存在であることだ。彼に権力欲などない。あるのはただただ理想を遂げようとする純粋で清廉な意思。そのためならばいかなる犠牲をも惜しまないという岩の心。他人はもちろん自分自身でさえその犠牲の範疇に入っている。
対して、ウェングとタストには何ひとつ欲望がないと言い切れるだろうか。
苦杯をなめた記憶と、輝かしいと感じる未来を比べるその心に、何の欲もないと言い切れるのだろうか。
「タスト様。ウェング様。私に協力、いえ、あなた方が本懐を遂げるためのお手伝いを私にさせてはいただけないでしょうか」
最後の一押しをするためにアグルが一歩前に踏み出す。
「俺はやりたい」
「ウェング……」
「トゥッチェのみんながいつまでもこんな状況だなんて嫌だ。クワイが正しい姿だとはどうしても思えない。世界を変えたい。お前はどうだ? タスト」
「僕は……」
正直に言えばファティを利用することに抵抗はある。
だがそれ以上に二の足を踏ませているものは別にある。
「僕は……怖い。僕が期待に応えられるほどの実力があるとは思えない」
実に情けないが、先行するのは恐怖だ。ここまで説諭されても勇気がわかない。
母である教皇の冷厳な瞳。
周囲の女性からの蔑視の視線。
そして、前世の失敗の記憶。
どれもこれも先駆者としては凡庸極まるありふれた恐怖だったが、本来凡人でしかない自分にその重責は重過ぎる。この責任に晒され続けてもなお上を目指し続けることができるのだろうか。
「タスト様。現教皇猊下は今でこそ権威を保っていますが、昔はただのルファイ家の一員だったそうです」
「母さんが……?」
「ご存じないかもしれませんが、お子の流産や、幼児の夭折など、様々な苦難があったそうです」
どれ一つとして聞いたことのない話だ。恐らくは意図的に隠していた話なのだろう。あるいは、タストに優しさを見せないのは、いなくなった子供の中に、後継者になれる女児がいたからかもしれない。結果的に生き残ったのが跡継ぎになれない男子ならいら立つのも無理ないかもしれない。
何故、こいつが生き残っているのだ。何故、あの子ではない。そんなぶつけようのない怒りがあるのかもしれない。
「しかしそれら全てを乗り越えました。決して教皇になることは絵空事ではないのです」
あの氷のような母でさえ脆く崩れそうだった過去がある。母と自分を比べるわけではないが、それは確かに一歩踏み出す勇気をくれた。
「わかりました。やりましょう。教皇を、目指しましょう」
「よくぞ、ご決断くださいました」
<光剣>を捧げて一礼するアグルは忠実な臣下のようにも見えた。
「もしも俺にできることがあれば協力するよ」
ウェングも笑顔でうなずく。
「アグルさん。この話を他に知っている人はいますか?」
「いません。お二人が初めてです」
「……じゃあ協力してくれる人を増やした方がいいな」
手勢が三人というのはあまりにも心細い。
「まずは聖女様かな?」
ある意味この策謀の中心人物でもあるファティを仲間に引き入れるのは当然だろう。しかしアグルは異なる意見を持っていた。
「聖女様は嘘がつけないお方です。あの方は謀略に関わらず、ただ御心の行くままに行動していただき、適宜私たちが助言した方がよろしいでしょう」
「聖女様って、そんな子なのか?」
「……うん、まあね」
タストとしてもあまり彼女に積極的に汚いことに参加してほしくはなかった。そういうものは自分でやればいい。
「ならチャーロさんはどうだ? あの人は司祭になれないことに不満はあったけど口に出すことは躊躇っていた。芽はあるんじゃないか?」
「チャーロ様ですか。五年前の戦いで活躍したお方ですね。チャーロ様なら実績の面でも不足ありませんし、ウェング様がそこまでおっしゃるなら信用でできるお人でしょう」
「わかりました。何とかしてチャーロさんと話す機会を作れるかな?」
「任せとけ!」
星のように遠くとも目的がはっきりした彼らは顔を上げ、未来に夢を見ていた。
「今はまず、聖女様についていき、あの方を傍で支えたという実績が必要です」
「結局彼女頼みなのは不甲斐ないけど……」
「今は力を蓄えなければならない時です。辛抱くださいませ」
こくりとうなずく。
もう少し話そうとしたところでウェングがそれを遮った。
「二人ともちょっと静かにしてくれないか?」
ウェングはそう言うと耳を地面に当てた。まるで忍者のようだが……何か感じているのだろうか?
「足音がする。それも大人数の音だ。馬には乗ってないな。ただ、わざと足音を響かせてるような気がする」
タストも、アグルも何ひとつとして聞こえないが、ここはこの土地の住人であるウェングの言うことを聞いておいた方がいい。今この場所に大人数で訪れる集団の心当たりは一つしかない。
「まずはラオの客人と歓談するべきでしょう」
「ですね。これは僕とウェング、聖女様に一任してくれた方が上手くいくと思う」
「承知いたしました」
彼らは待望していた志を同じくする仲間を手に入れた。
このごく少数の革命家がクワイに、世界に何をもたらすかを知る者はまだ誰もいない。
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