282 議論は踊る

 一方そのころトゥッチェの民は冷たい戦いの気配が漂いつつあった。


 ずらりと並んだトゥッチェの民が一斉に敬礼を行う。

 ある天幕に向けて、より正確にはその天幕にいる一人の少女に向けて感謝の念をできる限り込めて敬礼を捧げる。

 これが彼ないしは彼女たちの最近の日課になっていた。それらは若者が多かった。しかしその列に厳しい視線を向けているものたちも、いたのである。反対にそちらには大人が多かった。

 つまりわずかながら若年層と成人を超えた年齢層との間に亀裂が広がっていた。よくある構図といえば実際にその通りなのだろう。その亀裂の中心にいるのは銀の聖女なのだが……当人にあまり自覚はなかった。


 外観よりもはるかに広く、風通しの良い天幕の中でファティはいつものようにサリと語り合っていた。しかしその話の内容はあまり軽くはない。

「そうなんだ。じゃあそんなにたくさんの人が犠牲に……」

 ようやく犠牲者の埋葬……死体が見つかっている信徒の埋葬が終わり、正確な数が割り出されていた。

「彼女らは邪悪な魔物を倒すために戦ったのよ。埋葬も行ったから悔いなどないでしょう。楽園で安らかに過ごしているわよ」

 サリは先日の夕日よりも赤い髪をなびかせ、迷いなく断言する。

 その姿から死者に対する悲しみは感じられない。死生観そのものの違いからなのか死者に対してとてもさっぱりしている。それを咎めようとは思わないのだが……。

「ねえ……やっぱり一度きちんと私がトゥッチェの人たちと話してみた方がいいんじゃないかな?」

 ファティ自身は一度もトゥッチェに属する人々と会話したことはない。

 間にアグルやサリを挟むことが多い。それでも天幕や御簾越しに声をかけてくれる人は後を絶たない。一度礼を述べておきたいというのは当然の反応だった。

 それに、彼女には一度会話したい人が、転生者がいるらしいと聞けばなおさらだった。

「やめておいた方がいいわ。トゥッチェの人々は今までとはあなたを見る目が違うわ。中には尊敬している人もいるでしょうけど、そうじゃない人もいるわ」

 他人の視線に敏感なサリはトゥッチェから送られる視線が二種類あることに気付いていた。

 一つはいつものように銀の聖女に向けられる畏敬の視線。

 もう一つは理由がわからなかったものの敵愾心のこもった視線。戦闘が終わった直後からそれを感じていた。

 後者の視線を向けられるのはサリにとって心地よくはなかったので、あまり積極的に交流を持っていなかった。

「そうかな……」

 が、そういう視線に鋭敏ではないファティにはいつも以上に人との接触がない現状に疑問を感じていた。

 ほんのわずかにサリは眉根を寄せたがすぐに笑顔に戻った。

「もしも何か足りないものがあれば言ってちょうだい。すぐに用意するわ」

 やや強引な話題転換だったが、サリはこういう言い方をするとファティが意見を引っ込めることを学んでいた。

「う、ううん。何か足りないわけじゃないの。ちょっと……その……」

 口が上手く回らずに言い淀む。適当な言葉を見つけられずにサリ以上に強引に話題を切り替えた。

「タスト……じゃなかった、御子様はどうしているのかな」

「御子様ならお出かけになったそうよ。何でも王族だった人を探しに行ったとか」

「そうなんだ」

 ひとまず最後の転生者との会話はタストに任せるしかなさそうだった。




「おっす。こんにちは」

「こんにちは」

 タストが探していた男性であるウェングに近づくと、自分から声をかけるより先に向こうに挨拶された。この世界には存在しない言語、日本語で。

 ウェングは地面に置かれていた道具を調べていたらしい。

「あー……いや、何か妙な感じだな。異世界にまで来て日本語で会話するなんて」

「僕は慣れたけど……君は他に転生者と会ったことはなかったの?」

「……直接会ったことはないな」

 微妙な間と、考え込むような表情が気になったが先に自己紹介を済ませることにした。

「僕はタスト・ヌイ・ルファイ。前世は藤本雄二っていう名前だった」

「俺はウェング・トゥッチェ。徳井晴也だ」

 お互いに差し出した手を握る。ウェングにとっては今世初めての握手だった。

「一応聞いておくけど君もバスに乗っていた一人でいいんだよね?」

「あ、そうそう。バスに乗っててそんで……それからは覚えてないな。あんたは?」

「僕もバスを運転していた後のことは覚えてない」

「ん? 運転? じゃあバスの運転手なのか?」

「……そうだよ」

 タストにとっては罪の告白のつもりで肯定したのだが……ウェングの反応は実にあっさりしていた。

「ふーん」

「ふーん……て、それだけ? 僕が事故を起こしたのかもしれないのに?」

「それ以外にないだろ? あんただって死んでるんだし文句言っても仕方ないだろ。そもそもあんたのせいかどうかもわからないんだろ? 信用してくれるかどうかはわからんけど」

「いや……まあ、君が嘘をついていないのはわかるし」

 もしもタストに嘘を見抜く力がなければ気を遣われているなどと邪推したかもしれないが、神から授かった能力がある。

「ん? それあれか? 神様からもらった能力ってやつ?」

「そうだよ」

「やっぱりあんたにもあるんだな」

「にもってことは君もそういう能力をもらったの?」

「一応未来を読める能力がある」

 そう語る彼の表情は渋い。少なくとも自分の力を誇っている様子はない。

「何かあったの?」

「未来が読めてもどうにもならない状況があるってこと。多分あの銀髪の子が来なかったらもっとたくさん死んでた。あの子も転生者だよな」

「ああ。彼女はファティ。前世の名前は林奈夕」

 ウェングは大きくため息をついた。その気持ちはタストにも理解できる。

「俺もあの能力が良かったなあ」

「だよねえ」

 一度くらいは憧れる。敵軍をたった一人でなぎ倒すという、無双に。

 彼女が望んであの力を手に入れたわけではないし、あの力故に苦労していることも理解しているがそれとこれは別なのだ。

「ちょっと聞きたいけど転生者って何人いるんだ?」

「全員で四人だって聞いてる。君で最後の一人だけど、それがどうしたの?」

 今までよりも険しい顔をして考え込んでいる。

「なあ、俺は今のところ出会った転生者は三人だけだけど、四人目の転生者の能力ってなんだ?」

「一度だけ見せてもらったことがある。<光剣>を見せた相手を操る能力だった」

 操る。

 ぼそりと呟いたその言葉をゆっくりと吟味しているようだった。

「それ……魔物にも使えるのか?」

「どうだろう。彼女はあまりその能力を好きじゃなかったから使ったことがないかもしれない」

「ほんとか? 騙されて……あ、嘘がわかるのか」

 明らかにウェングの様子がおかしい。奥歯にものが挟まっているように何か言いだしづらいことがあるのだろうか。

「確かに彼女は嘘をついていなかったよ。君、さっきから何が言いたいんだい?」

 ウェングは答える代わりに地面に置かれた道具を指さした。

 そこには血まみれの弓と、服が置かれてあった。

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