273 悪意の証明
トゥッチェの民は敗走であるがゆえに統率がとれていなかった。
さらに完全に乱戦に突入し、視界の悪さとなぜか倒れる味方が混乱に拍車をかけた。さらに前進や後退の合図である太鼓の音さえ聞こえ、それに従った兵士がぶつかり、あまつさえ同士討ちさえ発生していた。
もはや手の打ちようがないほどに指揮が崩壊した。しかしだからと言ってチャーロは全てを放り出せるほど愚鈍でも無責任でもなかった。
「落ち着け! 周りをよく見ろ!」
当たり障りのない指示しか出せないことに誰よりも彼女自身が憤りながら、それ以上にある疑問が胸の中に蹲っていた。
(何故敵はこれほどまでに――――)
だがその疑問は部下の声にかき消された。
「チャーロ様! 後方より敵が迫っております!」
この乱戦の中で彼女を見つけた部下は称賛されるべきだろう。
「一部の兵を殿とし、後方を対処させなさい!」
ここに敵が迫っていることは族長が、いや元族長がどうなったのかは想像に容易い。だが彼女に悼んでいる暇などない。
「それが、すでに後方に突撃した信徒がいます」
「……!」
独断専行を咎める余裕はない。誰もが自分で考え、最善の選択を行わなければ切り抜けられない状況にまで事態は進行していた。後方の敵はその信徒たちに任せるしかない。
そして翼率いる本隊がようやく――――それほど時間はたっていないが――――敵の本隊を視界に入れた。
「まずは虫戦車を前面に走らせてください。盾にします」
実のところ翼自身はあまり虫戦車の戦闘力を過信していなかった。細やかな機動力に欠けるため、身軽さを信条とするラプトルとの緊密な連携は困難だった。故に単純な役割を与えた。
囮。
大きく、なおかつかなりの強度を誇る虫戦車は動く盾としての役割を背負わせるつもりだった。その案を聞いた時紫水はとても嫌そうな顔をしたが、口に出すことはなかったのでそのまま作戦を進めた。
虫戦車による突撃は本当にそれ以外の手段がなくなったときのみ。それ以外は外側から射撃を行い、圧力をかける。あるいは逃れようとした敵の追撃を任せるつもりだった。この兵器の優れた点はこれだけの防御力を持ちながら高い速度を長時間維持できる持久力だ。そのため先頭を走らせ、風よけにすることでここまで体力を温存できていたが、それもまた紫水の想定していない運用方法だったらしく、嫌そうな(以下略)。
そして翼の予想した通り、敵の本隊から零れ落ちたように突撃してくる敵兵は虫戦車に攻撃を集中している。だがしかし強靭な素材で作られた虫戦車の進撃は決して止まらなかった。この距離からでも動揺と焦燥が伝わってくる。
飛び道具が通用しないことを確認すると馬を蹴り、一気に近づいてくる。
「今です。飛び出しなさい」
虫戦車の陰を走っていた騎兵が風のように駆け、突撃してきた敵兵を串刺しにした。敵の突撃がもう少し統率されていれば多少苦戦していたかもしれないが、もはや疲労しきった敵に余力はない。ここまで突撃してきたことでさえ驚嘆に値する。
虫戦車に視線を集中させていた敵は瞬く間に数を減らしていった。もう障害はない。
そして翼はこの戦いで最も単純な命令を下した。
「全軍突撃」
砂塵のさなかにて奮闘を続けるチャーロの耳に入ってきたのは群れが近づく音だった。馬蹄の音ではない。産まれて半年ほどから馬に乗り続けてきた彼女の鋭敏な感覚はそれが複数の種類の生物が駆ける足音だと気づいてしまった。部下の伝令がなくとも、目が見えなくとも、敵の追撃を阻もうとした味方がどうなったのかはまざまざと想像できた。
これからどうすればよいのか。一体どうなるのか。疑問は次々と浮かんできたがそれ以上にわからないことが一つある。
「何故、敵はこれほどまでに我々の行動を読めるのだ……?」
力なくつぶやいた問いは誰にも聞かれることはない。だがこの戦いの中盤に差し掛かってから脳裏を占めていたのはその疑問だ。
敵は明らかにこちらの戦術や信仰を確実に理解している。何故それほどまでに的確な行動ができるのかどうしてもわからない。
まさか、敵は真に世界を滅ぼす悪魔だとでも言うのか――――?
「どうしてオレたちが行動を読めるのか気になってるみたいだな」
そんな声が聞こえたわけではないけど、なんとなくそう言われた気がしたので独り言で答えてみる。
「答えは簡単。オレたちは知っていて、お前たちは知らない。それだけだ」
オレがこの世界で苦戦している理由の一つとして地球の戦術があまり通用しないということにある。
例えば孫子の兵法には地形に言及している項目がある。敵を囲みやすい地形や、進みにくい地形などに分類し、どのような戦術や進軍を行うべきかを説明している。
しかしこの世界の魔物には人間の常識は通用しない。
例えばトカゲなら垂直に切り立つ崖でさえ容易く踏破する。それどころか鷲なら飛べるからそもそも地形は何ら障害にならない。
蟻なら草でも木でも食べられる。補給線を整える必要はあまりない。ラプトルならエコーロケーションが使えるので、月すらない夜戦でさえ全く苦にしない。
魔物の能力は魔法を使わずとも人類なら十分にあり得ないことを実現できる。ましてや魔法を使えばどうなるか。考えるまでもないだろう。
せいぜい有名な戦いの概要や、偉人の伝記を読んだことがあるオレ程度ではこの世界の戦いに対応するのは簡単じゃない。それこそハンニバルやナポレオンみたいな戦争の天才や、古今東西の戦争に詳しい戦史研究家ならもしかしたら活路を見出せたかもしれない。
そうでないオレは魔物の能力を活用されれば、どうしても後手に回らなければならない。でも、ヒトモドキは別だ。地球人類と食性や、身体能力にそこまでの差はない。魔法は戦闘向きだけどシンプルだし、魔法という生来持っている機能に頼っているから発展の余地が少ない。その性能や戦術を予測するのは地球の常識で対応可能だ。
もしかしたら地球からの転生者が戦術などを伝えたのかもしれないけど、所詮劣化コピーに過ぎない。
対してオレが作っているのは地球の兵器。基本的には人間が戦いに用いて、人間を最大の標的として設計されている武器が多い。
それに対してヒトモドキは仮想敵が魔物だ。話に聞く限りではヒトモドキ同士の内紛はなく、あってもそう大きな規模じゃないらしい。同族同士の戦いを千年経験していない。
そう、奴らは知らない。
地球人類が道具を用いて幾星霜。おおよその天敵を駆逐しうる万物の霊長などと嘯(うそぶ)くようになってから数千年。暇に飽かした人類が何をしてきたのか。一体誰と戦ってきたのか。
ヒトモドキは知らない。
人類が同族に向ける兵器を。人類が同族を殺すための戦術を。人類が同族を罠にはめるための悪辣さを。
「お前たちは同族との戦争を知らない」
翼が率いる軍が、一つの悪意を纏った生き物のように砂塵で惑うヒトモドキを一飲みにする。
「負けるわけねーだろうが」
獰猛かつ野性的で、しかし理性によって統率された魔群が血風を呼ぶ。遂に敵の喉元に牙を突き立てた。
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