266 天幕は上がる

 蟻の陣営が語るところ遊牧民――――つまりトゥッチェの民の野営地のある天幕では苛立ちを抑えきれない声があふれていた。


「族長! 今こそ攻め時です!」

「その通りです。この機を逃す手はありません!」

「聖なる土地を取り戻しましょう!」

 まさに喧々諤々けんけんがくがくという言葉の通り慌ただしく、複数の声が入り混じっていたが、砦を攻めるべからずという意見は少数だった。

 単調な意見の押し付け合いに終始するその姿は議論百出とは程遠かった。


 そしてそんな天幕の内側の様子をつゆ知らず族長の義理の息子であるウェングは――――ヤギの番をしていた。戦時中でも、彼のやるべきことは全く変化しておらず、それにうんざりしていた。

 そんな彼に声をかける影が一つ。

 四天王の一人、チャーロである。

「こんにちはウェング。昨日また叔母様と言いあいになったらしいですね」

「あー……見られてましたか」

「ええ。いつもの話ですか?」

「いえ……もうあの砦は無視した方がいいんじゃないかって、そう話したんですけど……突っぱねられました」

「……それは何故ですか」

 思った以上に真剣な眼差しにやや気圧されるが、気付かないふりをしてそのまま話し続ける。

「いや、あの砦はずっと守ったまま攻めてこないじゃないですか。そんな奴らを相手にしても時間の無駄でしょう」

 それくらい子供にだってわかることだ。守っている相手を攻め崩すのは簡単じゃない。援軍が来ない籠城は下策だって聞いたことがあるけど、言い換えれば援軍が来る籠城は有効な作戦だ。

 そして援軍が来ないという保証はどこにもない。どうしてそんなことがわからないのか不思議でならない。

 そんなウェングの考えを見透かしたように憂いを帯びた顔つきで諭すように語り掛ける。

「叔母様もあなたの考えはわかっておいでです」

「え? でも昨日は……」

「ええ。あの砦を無視はしないと話していたそうですね。ですがそれは周りの目があったからです」

「周りの目……? 母さんは族長でしょう? そんなものを気にする必要は……」

「いいえ。族長だからこそ、それらを気にしなくてはなりません。皆を纏める立場ですから。我々は普段離れて暮らしていますから族長の権限はあなたが思っているほど強くありません。砦を攻めるべしという意見が大勢を占めている今うかつなことは口にできません」

 つまり実は砦を無視したいけど、族長としては賛成や反対を明確に口に出すわけにはいかないってことか?

「ええっと……じゃあ俺が口にしたことは……?」

「叔母様の足を引っ張ってしまったことになります。ですが叔母様を失望させてはいないでしょう。あなたが優秀な戦士であることを証明しているのですから」

 フォローはされたけどとてもそうとは思えない。つまりオレがやったことは周りの事情をさっぱり考えていない子供の駄々と一緒だからだ。

「その、すみませんでした」

「わかってくれればいいんですよ。でも叔母様の前ではそうしてはいけませんからね」

 それくらいは自分にもわかる。母としてはとにかく意見を秘めておきたいはずだ。一度攻めると公言してしまえば無視、あるいは撤退という時に障害になる。

「そもそも何故みんながあの砦を攻めようとしてるんですか? あ、いえ土地を取り戻そうとしているというのはわかるんですが……」

 ウェングはこの辺りの土地がかつて昔の王様である銀王が所有していた土地だと聞いていた。

 これはトゥッチェのみならずクワイ全体でごくで、それこそ千年以上前からここに住んでいるのが誰なのかということはそもそも気にしていない。


「……英邁なあなたにはむしろわからないのかもしれませんが……皆はあの砦にいる蟻に知性があるとは思っていないですよ。だからすぐに倒せると思っている」

 いやそれは無理があるだろう。だって知性がなければ砦なんて作れるわけないじゃん。そういう心境が顔に出ていたのだろう。苦い顔をしたチャーロが言葉を繋いでいく。

「いいですかウェング。魔物とは知恵無き哀れな存在です。もしも知恵があるとしたら魔物が悪魔に憑りついていたに違いありません」

「なら、悪魔が憑りついているんじゃないですか? 今まで戦った魔物の中にそういうやつらはいたでしょう?」

 普段戦っている魔物にはきちんと戦術を用いて戦っているし、場合によっては逃げる。何故蟻にはそうできないのか理解できない。

「それは我々に決められません。小手先の小細工はできますが、我々は許可がなければ根本的に今までとは異なる戦術を振るえません」

「じゃあ誰が決めるっていうんです?」

 声音は苛立ちを超えて怒りに変わりつつあった。その怒りを堪えているのは相手が尊敬するチャーロだからだろう。

「高位の聖職者です。修道士しかいない我々には判断できません」

「……」

 シンプルすぎる回答に答えを失う。

 じゃあ何か? 聖職者が魔物に憑りついた悪魔が何なのか判断するまでは対策を練ることさえ許されないのか? いったい何人死ぬんだ?

「じゃ、じゃあその、司祭様とか、司教様になればいいじゃないですか! チャーロさんや母さんが!」

 チャーロは苦痛を堪えた、今までに見たことない表情で俯きながら声を絞り出す。がっしりとそびえる体が小さく見えた。

「それは……できないのです。我々は司祭には決してなれません」

「どうして!」

 反駁すると、やがて顔を上げたチャーロは首を横に振った。

「すみません。話過ぎました。……この話はおしまいです。ここでのことは決して他言無用ですよ」

 厳しい表情で断言されてはそれ以上の言葉はかけられない。やがてチャーロは去っていった。嫌なしこりを残したままだったがとても追いかける気にはなれなかった。

 魔物。そして知性。それらはセイノス教にとってセンシティブな意味を持つのは理解できた。

 実のところウェングは正式な教育を受けていない。様々な事情が複雑に関わり合った結果なのだが……そこに転生者であるがゆえの人生経験からセイノス教の本質を理解できていなかった。

 理解できていなかったが……転生者であるがゆえに理解できてしまっている事実が一つある。砦の中心にある、回る何かを見つめる。

「あれ、どう見ても風車だよな」

 くるくる回る砦よりも高い塔のような物体をもう一度見つめる。風力を利用して物体を回転させる装置は地球で何度か見たことがあった。しかしこの世界では見たことがない。それどころか誰に聞いてもあれが何なのかわからず、悪魔が邪悪な儀式を行う祭壇に違いないなどという要領を得ない答えが返ってくるだけだった。ちなみにそれはチャーロでさえ例外ではない。彼が知る限り最も冷静で見識のあるチャーロがそう言うのだから誰に聞いても同じ意見だろう。

 そう。

 つまり、あの

(じゃあ転生者が作ったってのか? いやでも発電してるわけじゃないよな? 別に照明なんか使ってないし……じゃあ何に使ってるんだあの風車)

 あの風車を何度見ても何に使っているかは予知できない。自身に与えられた予知能力は自分が知っていることしか使えないのだ。


 例えばオランダの田園風景と聞いて風車をイメージする日本人は多いだろう。しかしその使い道、例えば水のくみ上げや製粉などを正確に想像できる人間はそう多くない。

 むしろ風力発電という近代文明らしい使い道を思いつく人の方が多いはずだ。蟻の王自身も発電という人類にとっての大偉業を試みようと考えたことはあるものの資材不足などを理由に心の中だけで断念していた。

 そして基本的に蟻たちは照明どころか松明の類を用いない。単純に夜目などが利くのと、木材などでさえ食料であるため何かを燃やすという行為を極力行わないようにしていたためだ。特に籠城戦である現在はなおさらのこと。

 だからこそ、本当にあの風車が転生者の作ったものであるかはウェング自身も確信を持てていなかった。


 馬蹄の響く音が重なり、近づいてくる。

 下を向いていた顔を上げる。産まれて数か月、場合によっては赤子のころから馬に乗るトゥッチェの民の一員なら馬の足音を聞いただけで乗り手の心情を読み解くことなど難しくもない。何かが起こったのだろう。恐らくは望んでいた何かが。

 新たなる魔物の群れが発見されたといううわさが野営地に広まったのはそれからすぐ後だった。

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