161 みんな生きている

 晴れた日のとある草原にて。

 蟻と、豚羊との極めて重要な合議が行われていた。


「ではこちらからは毛と乳を提供する。そちらは、らぷとるが我らの同胞を殺すことを禁じ、また他の魔物に我らが襲われた場合我らを守護する。そういう約束でよいですね?」

「ええ。その通りです」

 寧々の目の前にいるのは大僧正と呼ばれている豚羊の頭目。

 我が国始まって以来の和平条約を結ぼうとしている。まさか豚と蟻が国際条約を結ぶなんてムワタリやラムセスでさえも想像していなかっただろう。

 寧々の傍らには翼も同行している。ある意味こいつが今回の主役のようなものだからな。


 例の僧侶の紹介で豚羊の頭目と面会を果たした我々は遂に明確な約定を取り付けるに至った。豚羊のほうでもラプトルには頭を悩ませていたようで意外にすんなり話は進んだ。

 ラプトルの方は散り散りになっていた仲間たちと連絡を取り、説得した翼の功績が大きい。ラプトルにとってはリーダーが下剋上によって変わることはそれほど珍しくないらしく翼に従っているようで、その翼が認めたオレたちを無視するつもりはないらしい。さらに豚羊を襲わなくてもいいように食料を供給してくれるならとりあえずは従っておこう、という考えのようだ。当たり前だけど好き好んで襲っているわけではないのだ。どっかの二足歩行種でもあるまいし。

 つまりこの合議は誰にとっても利益のあるある意味理想的な取り決めだ。

 で、そんな重要な場所にオレがいないのかというと……怖いからです。や、お外怖い。引きこもりのようなことを言ってるけど結局のところ敵地だからな。豚羊の群れのど真ん中に行って無事でいられる保証はどこにもない。ていうか別に代理でいいって言ってたしそもそもこいつらオレと他の女王蟻の区別がつかないから気にしてないみたいだ。


「ではお互いに鼻を突き合わしましょう」

 大僧正は文字通り目と鼻の先に寧々の顔があるところまで近づいた。

 どうやら豚羊にとって鼻と鼻を触れ合う行為は握手のようなものらしい。地球の豚も地面を掘ったりするのに鼻を使ったり、コミュニケーションツールとして利用しているらしい。

 大僧正が寧々と鼻を触れ合わせ、さらに翼とも鼻を触れ合う。

「ではこれにて我らの友愛は確かめ合いました。この友情が永久に続かんことを」

 大僧正が坊さんらしい言葉でその合議を締めくくった。


「お疲れ様。寧々、翼」

「「もったいない御言葉です」」

 わお、ハモった。忠誠心が高いのはいいことだ。

「ただ翼。お前にはちょっと話したいことがあるから帰還したら教えてくれ」

「委細承知いたしました」


 ラプトルたちとの戦いから少し時間が経ち、ひとまず落ち着いて生活ができるようになった。

 豚羊たちとの関係はさっきのように利害関係が一致しているなら続いていくだろう。茜たちがいるおかげで乳製品の開発にも着手することができた。たち、という言葉からわかるように一匹じゃない。どうやら赤毛の豚羊は他にもいたらしく一部を引き取った。

 はみ出し者を上手く囲うことができれば敵を引き抜くことができるわけか。覚えておいて損はなさそうだ。

 以前戦った千尋たちの群れ以外の蜘蛛も今のところおとなしい。実はあいつらが育てきれない子供を引き取ってオレたちで育てている。ま、こいつらもきっと後々役に立ってくれるだろう。


 そして行動範囲がまたもかなり増えた。カッコウによる上空から探索、ラプトルによる高速移動。できないことができるようになるというのは気分がいい。特にカッコウにはとある物を探してもらっている。アレが見つかるかどうかで今後の方針がだいぶ変わってしまう。

 ただしラプトルたちはあまり定住という行為がなじまないらしく、移動を繰り返しながら魔物を狩ったり、オレの指示で探索を続けている。時々巣で美味いもん食ったり、負傷したり子育てしている奴を預かっている。

 その関係でテントみたいな移動式住居をいくつか試作中。モンゴルのゲルが理想的だけどなかなか難しい。ただ、テントそのものは気に入ってもらえているようだ。

 もちろん豚羊には絶対に手を出させない。かなり厳しく言い聞かせておいたおかげか今のところ豚羊を襲ったラプトルはいないようだ。というかお互いを監視し合うことにおいてラプトルはとてもこなれている。法令の遵守を徹底することも容易いようだ。もちろん豚羊と会わせないようにはしているし、ラプトルの方でも意図的に豚羊と顔を合わせないようにしているらしい。

 ま、殺す殺されるの関係から一朝一夕で仲良くすることはできないだろうね。

 その辺に目をつむれば概ね順調と言っていい。


 しかし問題とは思いもよらぬところから発生するものだ。

 さて、今皆さんお食事中かな? だったら申し訳ない。もうお分かりだろう。いつもの汚い話だ。

 国家運営においては物理的にも精神的にも汚い話が避けて通れないわけだけど今回は前者だ。さあ、準備はいいか? 3、2、1。


「だ・か・ら・あ! 糞は道端にすんなっつってんだろうがああああ!!! 翼あああああ!!!」


 オレの叫びの通りの有様だ。オレたちは基本的に決まった場所にトイレをしてそれが溜まると肥溜めや川なんかに移すという方式をとっている。なので普段は清潔だ。しかし現在の巣にはいくつもの糞がこびりついている。いやほんと汚くて申し訳ない。

 何が起こったか大体わかると思うけどラプトルがトイレに糞をしてくれない。

 ……異世界にまで来てトイレトレーニングで頭を悩ませるとは思わなかったよ・


「はあ。そうは申されましても。なぜ一か所に固めておかなくてはいけないのですか?」

 この執事然とした態度から想像できるか? 道端にの〇そしてるんだぜこいつ。しかも日常的に。

 いきなり瑞江、あ、海老女王の名前だ。水属性だからそうした。我ながら安直。

 その瑞江から苦情がきて何事かと思ったら糞がいっぱいあって困っているときた。


「ワタクシたちの仕事の一つが清掃であることは理解しております。与えられた仕事を果たすことに異論はありません。ですが限度というものがあります。毎日毎日我が子らが掃除した後にまた汚物をまき散らされれば嫌にもなります。おわかり?」

 こんな調子でずーっとねちねち嫌味を聞かされた。

 それが全くの不合理ならオレも無視するけどさ。ちゃんと論理として成り立ってるもん。無視できねえよ。オレ、王様なのになー。なんでクレーム係してるんだろう。

 ぶっちゃけ他種族同士の交流が薄いため窓口がトップであるオレになってしまったことが原因だ。縦割り組織の問題点の一つかもしれない。

 最初ラプトルがそんなことしてるだなんて信じられなかったけど、よくよく考えれば決してないとは言い切れない。

 意外かもしれないけど糞便はその生物の生態を実によく表している。その証明の一つとして狩人や生物学者なら糞を見ただけでその生物を当てられるどころか健康状態すら予測できるという。

 糞を食料とする生物も少なくないし、糞便をマーキングとして使う生物は数知れない。

 人間の膀胱が発達しているのは尿を出す回数を少なくして肉食動物の追跡を困難にさせる習性だったとか。

 また、タヌキにはためフンといい、トイレを一か所に決めて糞の様子などから健康状態を予測し合うという。こういう性質がラプトルにもあったら楽だったはずだ。

 しかし、ラプトルには一か所に排便排尿を行う性質がない。というかむしろ一か所にすることを嫌がる。推測だけど他の肉食動物に見つからないようにするためにあえて一か所に糞を固めることを嫌がるようになったんじゃないかと思う。それに移動しながら生活するからそこら辺に糞をしても衛生面の問題が発生することはなかった。

 今まで定住したことがなかったわけだ。だからトイレをわざわざ決める必要がなかった。故にそこら辺に汚物をまき散らしてしまった。

 流石にこの問題を予測するのは無理。あーでも人間の歴史においてトイレは大事なんだよな。中世ヨーロッパでは下水設備が発達していなかったからそこら辺の通りに汚物をまき散らしていたらしいよ? それがペスト流行の一因になったとか。

 滅亡の原因がトイレトレーニングの失敗とかまじで笑えない。いやしかし笑い事じゃない。当たり前だけど糞便には多数の細菌などが混入している。その中には別の魔物にだけは有害な微生物がないとは言い切れない。

 なので必死になって翼を説得中。


「いいか? 糞便は衛生環境を悪化させる一番の原因なんだ! だからちゃんと処理させてるし、お前らもそれに協力してくれ!」

「具体的にはどうすればよいのですか?」

「ひとまずトイレを作ってるからそこだけにしてくれ」

「……承知しました」

 超、不満そう。こいつらにとってそんなにトイレは受け入れがたいのか? わかんねえ。わかんないけどここははっきりさせよう。というか同じようなことがまたあったら困る。

 実際問題として糞ってのは有害であると同時に有用な資源でもある。

 豚羊の放牧にはある程度規則を持たせている。これも将来的にはホールディング、つまり糞によって土壌の改善を目指している。あの草原は今一つ土地が豊かじゃない。だから糞をした土地に有用な植物を植えて農業がおこないやすい土地に改良する予定だ。ノーフォーク農法の一歩手前くらいの技術だな。化学肥料が発達する以前だと特にイギリスとかではやっていたらしい。

 あんまりやりすぎると糞が増えすぎて不衛生になったりするから慎重にならないといけないけどね。確かオーストラリアかどっかで持ち込まれた家畜のフンが問題になってたんだっけ。土地をいじるってことは環境を変えることだからちょっと慎重にならないと。

 というわけでここはかっちりとしたルールを決めましょう。


「はーい。みなさん新しくルールを決めましたよ。排便排尿をするときは野外でない限りトイレですること! 守らなかった奴は罰則があるからな!」

 こんなことを法律として定めないといけないって……現実は理想通りにはいかないよなあ。

 トイレの話のついでだけど硝石を採るために草と糞なんかを交互に穴に入れて発酵させる。いわゆる培養法という奴だ。できれば硝酸菌を単離してからの方が良かったけど……なかなかうまくいかない。硝酸菌の単離ってめんどいって聞いてたけど……その通りだったよ。

 はあ、暗い、いや汚い話はこれで終わり。もっと楽しい話をしよう。

 具体的には――――サッカーしようぜ!

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