126 くるりくるり

 騎士団から離れたサリは闇雲に森の中を走っていた。自分でも何故こんなことをしているのかはわからない。ただ震えだけが止まらない。

 滴る汗に気付いて思わず袋に詰まった水を飲む。潤いが体中を満たす。空腹は満たされなかったが。最後に食事らしきものを食べたのは隠し持っていたベイを食べた今朝だ。

 これだけ森を走っても、来た道を戻れる自信はある。彼女の中の信仰心は例え命を失ったとしても戻るべきだと囁いていた。

 だが、体が動かない。震えは止まらない。

(母さん……トラムさん……私は……)

 思案に暮れる彼女の耳にガサリと茂みが揺れる音が聞こえた。とっさに身を潜めると、そこにいたのは、

「聖女様!? どうしてあなたがここに!?」

「サリ!? よかった! 無事だったのね!」

 だがファティは再会を喜ぶよりも先に顔を青くさせた。

「ごめんなさい。ひどい怪我。無事なんかじゃなかった」

「いえ……これは」

 彼女自身でも気づかなかったが左肘辺りから血が流れだしていた。走っている最中に切ったのかもしれない。

「手当してあげたいけど……今は時間がないよね。アグルさんたちがどうなっているか知っている?」

「アグルさんとティマチ様は……今、蟻と戦っています。私は……その……はぐれて……」

「えっと、そこまでの道はわかる?」

「い、いえ。わかりません。で、ですが近くまでならいけるかもしれません」

「それなら道を教えてくれる? 後は私が何とかする」

「い、いけません! 貴女様を危険な場所へと行かせるわけには!」

「でも、それじゃあアグルさんが……」

「いけません!」

 森中に響くほどの大声を発する。

 その言葉の後に訪れた沈黙に耳が痛くなりそうだった。

「ねえ、サリ。あなたはどうして、そこまで私が危ないことをするのを止めようとするの?」

 どうしてか。そんなものは自分自身が自分に問いたいくらいだ。彼女は自分が何故そうするのか自分自身でもさっぱり理解していない。去年熊に会った時も、今まさにここまで来たこともそうだ。何故セイノス教徒らしからぬことをするのか、何度問うてもわからなかった。

 微妙にファティの意図とはずれている思考だが幸運なことにそれに気付けるほど賢明でもない。

 だから自分にとっての自分らしさが、つまり敬虔なセイノス教徒らしさが現れている言葉を探して紡ぎだす。

「私は、貴女とアグルさんが熊を倒した時、誓いました。あなたを必ず守ると。それがトラムさんを守れなかった私の償いだと、そう思います」

 語りだせば驚くほど滑らかに話すことができた。

(そうか。私はきっと誓いを守ろうとしていたんだ)

 きっと何故かここに辿り着いたのも偶然ではない。神の思し召しに違いない。何も考えていなかったのではなく、神の御意思に従ったまでのこと。

「もしかして……私に厳しい態度だったのも、その誓いのせい?」

「はい。私は貴女が敬虔なセイノス教徒らしく育つようにと、せめてトラムさんの代わりになるようにと……あまり親しくし過ぎては、親代わりは務まりません」

 そうだ。そうに違いない。

 なぜ自分でもファティに厳しいかはよくわからなかった。ファティが称賛されるたびに心に何かが入ろうとしていたのは、きっと子離れをさみしく感じる親のような気持ちだろう。

 そう思うことにした。

「サリ……あなたの思いやりはとっても嬉しいけど、私はその……あなたともっと親しくなりたいの。あなたのことはえっと、お姉ちゃんみたいだと思っているから」

「姉ですか? 私が?」

「そうなの。迷惑かな?」

「いえ、光栄です」

「だから、せめて二人でいる時だけはもっと親しげに接してくれない? 私はその方が嬉しいの」

「それは……」

「あなたの誓いをないがしろにしてるわけじゃないの。村のみんなの好意は嬉しいけど、もっと気安く話せる人が欲しいの」

「それが、私ですか?」

 ファティは無言で首肯する。

「そう、ですか。私も嬉しいです。私もあなたの母を姉のように慕っていましたから」

「お母さんを?」

「ええ。彼女はいつも優しく……今はそんな話をしている場合ではありませんね。早くアグルさんたちのもとへ戻らなくては」

「サリはここで……」

「駄目です」

 そう。それはいけない。私は必ずと一緒にいなければならない。何故なら、

「姉は妹を放ってはいけない。そうでしょう、ファティ」

 ファティは暖かい日差しのような笑顔を弾けさせる。

「うん! サリ、一緒に行きましょう」

「ええ。では私について来てください」

 一瞬だけ唇を吊り上げる。ファティも、サリ自身ですら気付かない一瞬だけ。


「こっちでいいの?」

「ええ。時間がありません。走りましょう」

 森の木々をすり抜けるように走る。しかしファティには予感のような、かすかな声が聞こえている気がした。

 こちらではない。違う。そっちではない。お前の敵はそこにいない。

 頭の中で誰かがそう言っている気がする。強大で、巨大な何かが、頭を……

(そんなはずない。サリがこっちだといってくれるなら、きっとこっちが正しいんだ)

 声を振り払い信じるべき姉と慕う女性を追いかけ続けた。




「よかった……間に合った!」

 彼女がここに間に合うまでには様々な苦難があった。

 嵐のせいで大河を渡れず、街道は魔物の出没によって封鎖され、ある村で病に苦しむ人に逗留を求められ、本来なら駕籠に乗るはずだったがなぜか駕籠者が怪我をした。まるで悪魔が彼女の道に立ち塞がるかのようだった。

 しかし、人々は奇跡の実在を見た。川に銀の橋を架け、魔物を打ち倒し、病める人々を癒し、道なき道を切り開いた。

 その神秘は神々しく、その髪は月の如く輝いていたという。

 これこそが銀の聖女の新たなる伝説の一幕である。その一幕の最後は――――。

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