125 黄昏はただ銀色
真摯な祈りに蟻が気おされた後、騎士団は悪戦苦闘しながらもようやく敵の城壁を破壊した。
「ティマチ様。このまま進みますか?」
「もちろんです! 今こそまさに決戦の時」
「は。直ちに進軍しましょう」
アグルは先ほどの撤退が偽装ではないかと疑っていたが、ここまで来た以上もはや退くわけにはいかない。
だが先ほどから違和感がある。何かが足りないような……?
少しばかり思いを巡らし気付いた。
(サリがいない?)
先ほどの戦闘で死んだのか? それとも……? いずれにしてもあんな奴はどうでもいい。そう判断した彼は周囲を見回し始めた。
「これは、畑でしょうか?」
背の低く、紫がかった白い花を咲かせた植物が規則正しく並んだ開けた場所だった。
「悪魔の知恵によって育まれた植物です。今すぐにも燃やすべきでしょうが……」
「我らが勝利した暁にはここを燃やし、清めましょう」
「ええ、そうしましょう」
いきなり燃やさないだけの分別はあったらしい。流石に炎に巻かれながら戦う気にはなれない。
前方には塔のようなやや高い物見台がいくつか建てられていた。
(あそこから何か撃たれれば厄介だな)
さらにその奥には明らかに蟻よりも巨大な何かに木の葉を張り付けられていた。アレが何かを判断することはできなかったが、よからぬものだと予想はできた。
そして物見台を取り巻くように蟻たちは布陣していた。
「よしよし。ここからは正面衝突だ。多少の被害は覚悟しろよ。あ、千尋。お前まだ壁の上にいるよな? 何人か連れてお前は外に回れ。生き残ってるヒトモドキがいたら捕えろ。あと開いた扉を塞げ。予定通りにな」
「何故妾がそのようなことをせねばならん」
こう反発してはいるけど実際には中で直接戦う奴が心配なんだろう。
「たまには人に任せることも覚えろ。全部自分でやってたら時間が足んねーよ」
「……わかった」
不承不承頷いたけど、自分以外にも周りを統率できる奴が必要なのは理解しているみたいだ。
「じゃあ、小春。戦闘指揮は任せたぞ」
「はーい」
実にいい返事。少しばかり相手が弱すぎる気もするけど、何事も経験だ。
ティマチは戦闘前に演説を行っているようだ。お得意の説法だろう。聖職者とやらは校長先生の次くらいに長い話が好きみたいだな。
「ねえねえ。もう撃っていい?」
せっかくだから気分よく最期の演説をさせてやろうかと思ったけど話長そうだしさっさとやるか。
「おっけー。でもティマチには当てるなよ?」
ティマチから学んだことがあるとすれば無能な敵は有能な味方よりも役に立つことか。気に入ったので殺すのは最後にしてやろう。
どっごーん。
避難訓練のように行儀よく並んでいたヒトモドキたちに大岩が直撃する。以前に開発した投石機とは少し違う。
以前の投石機は錘に岩を使った平衡錘式。今回は人力でアームを引っ張る牽引式だ。
正確には蜘蛛の魔法と投石機の組み合わせだな。蜘蛛糸を複数の投石機に電線みたいにくくりつけて<糸操作>で引っ張る。魔法で引っ張る異世界方式だ。
このやり方のいい所は糸さえくっついていれば例え離れていても協力できるってこと。アリジゴクみたいに複数人で魔法を発動させて強力にできないかどうか試した結果がこれだ。数十人の蜘蛛の魔法を一本の糸に集中させることによってとんでもない力を発揮する。一度には撃てないけど、少人数で間断なく打ち続けることができる。
蜘蛛たちの力加減である程度着弾地点を調整できるのが一番のメリットかな。岩の弾を装填するのは蟻の仕事。なので蟻と蜘蛛の連携が悪いとどっちかが暇になったりするけど、小春の指揮のもと、見事な連携を発揮している。見張り台もきちんと機能して誤差があればちゃんと修正している。
ヒトモドキの様子を窺うと一人の女性が気炎を張り上げている。
あ、ティマチさんおこ? ねえおこなの? 怒声一喝、ヒトモドキが突撃してきた。今回はティマチも含めて突撃するみたいだ。<盾>を構えて突撃してくる。魔法を走りながら使うのは難しい。<盾>はともかく<弾>を発射するのは難しいみたいだな。しかし投石機という火力の高い武器がこちらにある以上距離を詰めるしかない。
こちらは敵が攻撃してこないからいくらでも攻撃できる。しかし何とか肉薄しようとヒトモドキは必死に走る。五十m、四十m、距離は縮まる。だが、先頭のヒトモドキがいきなりこけた。それを合図とするかのように地面に足を取られるヒトモドキがますます増える。
もちろんヒトモドキに超絶ドジっ子が盛りだくさんなわけはない。ワイヤートラップならぬ蜘蛛糸トラップだ。ただ転ばせるだけという殺傷能力ゼロの単純な罠だけど、走っている相手には極めて高い効果を発揮する。
流石に転んだ味方を踏みつぶすのには躊躇してしまうようだ。
つまり騎士団全体の動きが止まった。当然ながらその隙を見逃すわけはない。
矢を雨あられと降らせる。
「卑怯者! この悪魔め! 邪悪な知恵に染まった悪魔は姑息な手段ばかり弄する!」
姑息? 卑怯? 何のことだ? こいつは戦術というもんだ。罠や投石機が姑息だって言うんなら、あんた戦いを舐めすぎだよティマチさん。
だがヒトモドキの狂気はオレの想像を上回っていた。転んでも、矢が突き刺さっても走り続ける。グモーヴは使ってないみたいだけど……バケモンだな。
ならここでとどめを刺すはずだ。小春がな!
ゴロゴロと大岩が転がる。もちろん蟻ジャドラムだ。この一戦には今年学んだことがいかんなく発揮できている。これにはさしものヒトモドキも度肝を抜かれたらしく、遂に混乱は始まった。
「進め! あと少しだぞ!」
「無理よ! この岩――きゃあああ!」
混乱が始まった理由の一つとしてティマチが倒れてしまったことが挙げられる。能力はどうあれ彼女は指揮官だ。指揮官が不在であれば混乱の度合いはひどくなる。混乱したままのほうがまだましである可能性はあるが。
「ご無事ですか、ティマチ様」
アグルはなるべく小声で倒れ伏したティマチに話しかける。それにつられてかティマチもやや声が小さくなる。
「ええ、転んだだけです。すぐに復帰します。一刻も早くあの蟻に憑りついた悪魔を根絶やしにせねば!」
「それには及びません」
「アグ――――?」
ティマチの言葉は最期まで続かなかった。彼女の喉はぱっくりと横一文字に裂かれていた。ひゅーひゅーと空気が漏れる。アグルの腕を呪うかの如く強く握りしめると、パタリと力を失った。
「……無能が。お前が今まで無駄に殺した者たちの報いを受けろ。今回が初めての戦じゃないんだろ」
ぼそりと呟いた声は誰にも聞こえなかった。しかし次の言葉は誰にも聞こえるように声を張り上げる。
「これより、ティマチ様の最期の言葉を伝える!」
衝撃的な言葉を受けて騎士団員は争いのさなかだというのに手を止める。
「生きて村に帰れ! 以上だ! よいか! 帰れと仰った! 生きてと仰った! ここで逃げるのはティマチ様自らがお許しになった行為だ! 決して聖典に違反していない!」
さらに数瞬動きを止めた騎士団員は一斉にもと来た道を戻り始めた。
「ほおおおお。ティマチが死んだ? 念のためにティマチは攻撃しないように言っておいたはずだけど、小春はどう思う?」
ティマチが生きていた方がむしろ都合がいいから生かしておくつもりだったけどさて。
「嘘、じゃないかなあ」
「ですよねー」
ものの本では上官の死因の二割は味方からの流れ弾だとか。いやあ流れ弾ならしょうがないね! ティマチさんってば運がないなあ。
あれだな。羊に率いられた狼の群れは弱いってのは間違いだ。羊が率いることができるのは羊だけ。真の狼なら羊を食い殺し、自らが群れのトップに君臨する。
しかし、狼に率いられた羊の群れが弱いかどうかはまだわからない。そんなことをさせるわけにはいかないな。さっさと――――
「紫水。いっそアグルを捕まえるのはどうかな」
「ほお。それは面白い考えだな」
アグルは今まで見たヒトモドキの中では唯一部下にしたいと思えるヒトモドキだ。他は手駒としてならありだけど、部下にしたいとも友人になりたいとも思えない。
オレたちにとって苦手な相手の思考を読み、
有能な人材なら過去の遺恨を水に流す程度の度量はオレにもある。
ただ性格は難物だ。裏切る可能性はかなり高そうだけど、そこはちゃんと見張っておけば大丈夫かな?
てか去年苦労したのはこいつのせいだし、体(労働)で返してもらわないと。ならまずあいつらを追いこむか。
「小春。任せていいか」
「うん」
ゆっくりと隊列を組みかえ、ヒトモドキへの追撃を開始した。
「ア、アグル様! 門に糸が! この糸! 斬りづらい!?」
「落ち着くのだ。まず糸を切り払え!」
何とか脱出を試みるが、そう上手くはいくはずもない。彼らにはあずかり知らぬことだが、外にいた千尋率いる一団が既に脱出を防ぐための措置を講じていた。もっともそれはアグルにとって予想の範疇だ。
(やはり投降するしかないな。奴らには知性がある。ならばここにいる連中を差し出せば交渉できる可能性はある。俺はまだ死ねんのだ。こいつらも兄さんの理想の礎になるのなら本望だろう)
彼の最後の策は、蟻との交渉だった。セイノス教徒としてはまずありえない選択肢を選び取る彼はこのクワイにおいては間違いなく異端だろう。地球においては……どうだろうか。
賢明だろうか。卑劣だろうか。いずれにせよ誰一人として気付いていなかったが、アグルと彼の思惑は一致していた。
今まさに大声で蟻との交渉に臨もうとしていた彼は動きを止めた。
いや、この戦場の誰もが動きを止めた。
銀色の光が壁を布のように切り裂いた。
時間をかけてようやく扉を壊すのが精いっぱいだった壁がガラガラと崩れる。瓦礫の向こうから現れたのは、少女だった。
赤く染まった斜陽にすら負けぬほど輝く銀色の髪。つまりは、
「よかった……間に合った!」
ファティ・トゥーハがそこにいた。
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