52 道のり

 子守唄が聞こえる。昔どこかで聞いた歌を頭の中で繰り返しているのか。

 もしかするとこれは走馬灯だろうか。正確には走馬灯だった物だろうか。前世での最後の記憶だ。

 くっきりとあのバスに乗っていた人間の後ろ姿と周りの景色、通行人の顔が思い出せる。バスに乗っていたのは小学生と、大人の女性、大学生だけだった。犬を連れた子供、顔色の悪い男、どこにでもあるような街路樹、嫌な角度でひしゃげたガードレール。

 これほど記憶に残っているならやはりこの直後に何かあったはずだ。その何かはさっぱり思い出せない。しかしもしも死ぬほどの重傷を負えば記憶に齟齬がでるのはやむを得ない。以前もそうだったからだ。


 中学生になってすぐのことだ。オレは事故によって生死の境をさまよったらしい。

 事故前後の記憶は抜け落ちているため、何故そうなったのか何があったのか全く思い出せない。確かなのはオレの事故は両親に原因があるということだけだ。少なくとも本人たちはそう言って、オレに謝った。そこまではあいつらもまともだったはずだ。

 十日以上意識不明の重態だったらしく、その間両親はオレが快復するよう四方八方手を尽くしたらしい。でもどんな名医に診せても一向に目が覚めることはなかった。

 結果として怪しげな教祖様が祈りの言葉を唱えるとすぐにオレは目を覚ましたらしい。両親は教祖に深く感謝し、謝礼として多額の寄付を行った。そこまではいい。実際に祈りとやらが功を奏したのかはわからない。でもオレの為に形だけとはいえ祈ってくれた人間に礼を尽くすのは当然だ。

 しかし両親はだんだんとおかしくなっていった。要するにあいつらは罪悪感につけこまれた。後は滝壺に落ちるが如し、だ。

 まず両親は親類との縁を切り、誰からも連絡できないようにした。すでに両方の祖父母が他界していたため、どちらの親類とも疎遠になっていたことが状況を悪化させた一因かもしれない。今思えば教科書に載せたいくらい典型的な洗脳の手口だ。

 この時唯一冷静だったオレがもっと強く反対していればよかったのかもしれないけど……もうどうにもならないことだ。

 当然ながら両親のハマリ具合は加速度的に悪化していった。オレが歩けるようになったのも、退院できたのも神様教祖様のおかげだと言い出した。

 違うだろ。それはリハビリを頑張ったからだ。そう言ったら、

「この罰当たりめ」

 そう言って殴られた。

 この時、オレは完全に両親だった物を見限った。

 今まで育ててくれたことには感謝しているし、事故にあったオレをどれだけ心配していたかは理解しているつもりだ。だがそれでもオレの今後の人生の全てを決めて良いわけではない。こんな奴らといたらオレの人生はダメになる。そう確信したオレは様々な方法でカルト教団と両親から縁を切る方法を模索し始めた。

 ありがたいことに元両親はオレに物理的な教育をふるっていたためあいつらから離れるのは難しくなかった。もっとあいつらが利口なら今でも地獄は続いていたかもしれない。カルト教団の方は特にオレには干渉しなかった。下手につついて藪蛇になることを避けたかったんだろう。あるいはオレ一人どうでもよかったのか。

 話してみればすぐにすむことだけど、当時のオレからしてみれば必死だった。命懸けの闘争だったと言ってもいい。今聞けば鼻で笑ってしまえる程度の命懸けだけど、それでも努力はした。

 それからも一人で生き抜くために自分なりに努力したつもりだ。

 そして、自分の努力が形になっていくのは嬉しかった。少なくとも社会だとか愛だとか世界だとかそんなあいまいな物のために努力するより、自分のために努力するのは心地よかった。その過程で夢なり目標なり見つけられたらもっとよかったけどな。

 それでも今までは自分の意思ではなく、無理矢理両親に努力させられていた。例えば母の夕飯を食べるためだったり、父から殴られないためだったり。だからこそそんな誰もが当たり前に感じる感情を理解するのに十年以上かかってしまった。


 自分が生き延びるための努力は決して悪いことではない。

 生物として、人として、蟻として本能においても論理においても何一つとして間違ってはいない。


 オレの努力はオレの物だ。その代わりオレの失敗もやはりオレの物だ。この敗北はオレの無能ゆえの必然。生き延びたのは幸運ではなく他人の努力の賜物。負けたのは不運ではない。むしろあの戦いは驚くほど幸運に恵まれていけど、それでも実力差は埋まらなかった。そしてオレの無能のつけを他人が払うことになった。

 そこについては責任を感じる。でも奴らの戦いもまた自分自身のためだったと信じている。蟻は種族としてオレを生かすことを自分の意思で選んだ。蜘蛛も何らかの利益を見出したからこそ、オレに助力したはずだ。それが何なのかわかる時がくればいいが………。


 うん。まだもう少し頑張れる。何故ならまだ死にたくない。このままでは死ぬ。色々と思い出したおかげでそれを再確認できた。なら――努力しなければ。死にたくない。もう一歩進もう。

 子守唄はもう聞こえない。

「死んでたまるか――――――!」


 心と脳と喉の奥から思いっきり叫ぶ。どうやら寝ていたらしい。こんな状況でも眠れるならオレは意外と大物かもしれない。

 よし、まずは出口を探そう。そう考えていたらいきなり通信が入った。

「紫水、大丈夫?」

 その声を聞いてほっと安心する。眠る前に二番目の巣にいる蟻と連絡をとっていたらしい。

「大丈夫だ。今どこにいる?」

「すぐ近く。もうすぐ着く」

 確認したところもう夜らしい。結構な時間眠っていたようだ。これからどうするべきだろうか。もしあのラーテルが戻ってくれば今度こそ死ぬ。ならここに残る選択肢はない。二番目の巣にオレ自身が移るしかない。

「お前らが到着したら、ここを離れる」

「わかった」

 もうここは安全じゃないとわかっているらしく、反対はしなかった。その前にやっておくべきことがいくつかある。

 蜘蛛の牢屋から糸を持ちだす。何の変哲もない糸にしか見えないが、何か意味があるはずだ。持っていこう。

 水と少しだけ干しリンを齧り、残りは持っていく。色々な情報が詰まった石板に少しだけ文字を付け加える。それで大体の準備は終わった。


 そしてオレは生まれて初めて巣の外に出た。

 満天の星に少し小さな月。樹からはほのかに甘い香りが漂う気がする。幻想的であり、牧歌的だ。だが、

「あんまり感動しないな」

 状況が状況だということもあるし、感覚共有で散々見ていたから生まれて初めて海を見た子供のような感動はない。

 むしろテレビで見た観光地が実際に行ってみるとイマイチっだった時の残念感すらある。よし。少しは調子が戻ってきた。


 そして、迎えがきた。ここまで来た蟻が、今働ける全人口だ。半減、いやそれ以上の被害だ。

 流石にここまで来た蟻に何の休息も取らせないわけにはいかない。渋リンをいくつか食べさせて最低限の荷物を持たせてからからこう言った。

「二番目の巣に行くぞ。護衛は任せた」

 誰も異論を挟まずにオレを囲うような陣形を自然と組んだ。

 最後に生まれてからずっと過ごした我が家を振り返る。この巣に残すのは幼虫に、食物、弟や先祖の墓、今まで作った道具。あまりにも多いが、置いていくしかない。

 悔しいし、惨めだ。だからこそ忘れるな。次こそは負けないために。

 こうして暗い森へと足を踏み入れた。まだ、希望が尽きていないことを信じて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る