12 真社会

「危険確認。敵襲」


 さわやかな朝に鳴り響く冷静な金切り声。矛盾しているけどそういう風に聞こえるんだからしょうがない。


「うぐ。また筋肉痛が……。今はそんな場合じゃない」


 叫んだ奴と視覚共有。するとそこにはでかい、とにかくでかずぎる甲殻類がたたずんでいた。ちょっとした小屋並みの大きさでどこか死体を思わせる青い色をしている。


「海老、いやヤシガニか?」


  ヤドカリの中には幼生は海で育ち成体になると陸に上がるものがいる。オオヤドカリもその一種。オオヤドカリ科の中にヤシガニが含まれていたはず。




 蟹だか海老だか良くわかんないけど甲殻類がこんな陸に上がるはずないと言う人もいるかもしれない。だがそれは誤解だ。ヤシガニは肺呼吸ではなく鰓呼吸を陸上でも行うことができる。腹辺りに水分を貯めておき、その水に含まれる酸素を鰓によって吸収している。空気中の水分を吸収することでより長時間陸上での活動が可能らしい。




 ヤシガニの特徴の一つとして木に登ることが挙げられる。木に登って果実を食べるとか鋏で切り落とすことがあるとか。もっともこの世界のヤシガニはそんな面倒なことはしないと断言できる。




 なぜなら渋リンの樹は幹ごと叩き折られていたからだ。




 冗談だろう? 木を苦労せずに折れるなら確かにわざわざ樹に登る必要なんかない。渋リンの樹は柔らかくはない。少なくとも地球の野生動物なら絶対に不可能だ。しかもヤシガニの足元には岩棘の残骸まで転がっている。ちょっと遠くにあるリモコンを引き寄せる程度の気軽さでこの惨状を引き起こしたのだ。でたらめすぎる。


 しかもあの不味い渋リンをがつがつ食い荒らしている。これは本当に不味い。ヤシガニの食性は雑食であり、おそらくここでもそれは変わらない。


 蟷螂は肉食だから果樹園そのものには興味を示さなかった、だがヤシガニは渋リンを食べる上に岩棘をものともしないため、ここに居座ることすらありうる。




 つまりこの巣そのものが今危機に陥っている。




 まずい。からだが震えてきた。武者震いなんかじゃなく単なる恐怖からだ。蟻も恐怖を感じると震えが止まらないらしい。強敵と戦ってみたい? なんてあさはかさ。


 強い奴と戦うってことは、自分が死ぬ可能性が高くなるってことだ。そんな当たり前のことを全くわかっていなかった。地球でもこの世界でも戦いとか戦争は他人が勝手にやってくれるものだと、完全に他人事だと、そう思っていた。




 けれどもしヤシガニがりんごを食い尽くしてもまだ満足できなければ、オレを狙ってくるかもしれない。


 怖い。死にたくない。生きていたい。あんなのに食われたくない。ない、絶対にない!


 震えは止まらない。呼吸は落ち着かない。それでもできることをやるしかない。つまり―――


「あいつを狩るぞ」


 おびえを隠しきれていないが、せめて言葉だけは威勢のいいものを選んでおいた。虚勢もいいところだったが、それだけじゃない。せっかく今まで面倒を見てきた渋リンをこんな奴に奪われるのは正直に言って我慢ならない。


 他の生物を散々狩ってきておいて何をいまさらとも思うけど、生物ってそういうもんだろう。自分の為に他を蹴落とし、食うものに困ればどんな手段でも使ってみせる。野生動物であれ、人間でも、魔物でも変わらない。その法則はきっと変わらない。でも、生き物を殺したならそいつをできるだけ無駄なく、効率的に利用しよう。命は尊重されるべきだ。無駄に殺すなど以ての外だ。だがオレに害為す生き物を放置するつもりもない。




要するに、昼のおかずはお前だヤシガニ!




 少し落ち着いたところでどうやって戦うかだ。生物の強さは基本的にでかい=強い、だ。ファンタジーだと可愛い女の子が魔法でドラゴンを吹っ飛ばす! 何てこともありえるけど、この世界の魔法が体内のエネルギーを利用している可能性が高い以上、今まで見たなかで一番でかいヤシガニは魔法においても最強である可能性がある。


 しかも奴は今まで戦ったことのない甲殻類。硬化能力を使えばどのくらい硬いかはわからない。投石でダメージを与えればいいんだけど。




 ふむ。ならこいつを確実に倒せる罠を用意しなければ。幸いオレは昨日文明を大幅に進歩させた。類人猿から原人くらいまでは進歩したからな。昨日襲われていたら勝ち目は薄かっただろう。そうと決まれば罠の準備だ。ヤシガニが動いていない今のうちに……。げっ! 言ったそばから動き出しやがった! ぐぬぬぬ。


 のそのそと歩く姿は早くないが、外にいる蟻を獲物として狙っているらしく、まっすぐこちらに向かってくる。まあいい。これ以上渋リンの被害が拡大しても困る。迎撃するか。




「投石開始!」


 いっせいに風切音が唸り、ほとんど同時に9つのスリングから石が放たれた。蟻は機械的な動作を集団で正確に行う技能が非常に高い。この光景を見て昨日投石器を開発したと思う奴はいないだろう。まあ、正確な動きができるのと敵に攻撃を当てられるのとはまた別なわけだが。


 案の定当たった投石は2つだけ。しかも―――


「無傷かよ!」


 スリングは単純な武器だが、威力は高い。考えてみて欲しい。人間なんて殴られただけで死ぬ生き物だ。自分の頭にでかい石が当たって無事な人間がいるか? 人間でなくても当たり所が悪ければ死ぬだろう。しかしヤシガニは何事もなかったかのように平然と歩みを進めている。体は鉄かなんかでできてんのか?


 だがそこで渋リンの土棘に歩みをさえぎられた。さあどうやってそいつを突破する?薄緑色に光る鋏を土棘に向ける。そしてなんのためらいもなく鋏で土棘を挟み折った。……すごく力技でした!


 これで間違いないな。鋏の威力を上げるのがヤシガニの魔法だ。実のところ使ってくる魔法の種類はおおよそ予測できていた。多分この世界の魔物が使う魔法は地球に住んでいる生き物の特徴的な能力と似ている。蟷螂なら鎌とか、蟻なら土中に巣を造るから土を操るなどなど。いくつかわかりづらい魔法もあるけどおそらく間違いない。


 そしてヤシガニの挟む力は甲殻類最強とさえ言われている。魔法として使用できる可能性は高かった。他の可能性は殻の防御力を上げる、水を操るってところだ。今のところ鋏以外何かおかしな部分はないようだけど……。


「女王。石無くなった」


 あ、やべ。考察してたら戦闘指揮を忘れてた。


「石の投手と石の弾を作る奴に分かれろ。例え効かなくても足を鈍らせろ」




 ヤシガニは土棘を折りながら歩いているせいで素早く移動できない。それに顔はもろいのか鋏で顔を隠している。決定打にはならないが時間稼ぎならコレで十分だ。そして何より蟻達の行動に無駄がなくなってきているためどんどん投石する間隔が短くなっている。むこうの体力は有限だが、こっちの弾は土から作れる以上ほぼ無尽蔵だ。時間はこっちに味方している。


 それにしてもこいつ探知しづらいな。光が薄くてみづらい。隠れてるわけじゃないから問題ないけど。そんなどうでもいいことを考えられる程度には余裕があった。この瞬間までは。 




 突如としてヤシガニの鋏から溢れる光が延び、一番前にいた蟻を押し潰した。




 反応することさえ許さない一瞬のできごと。


「ツ゛ッ! 痛ッてえ!」


 感覚共有していたせいでオレ自身にも痛みが伝わる。だが実際に潰されればこんなもんじゃすまない。なにしろさっきまで蟻がいた場所には赤い血だまりとヨクわからない物体があるだけだ。土の鎧も硬化能力も何一つとして役に立たなかった。あの魔法ならオレなんか死の瞬間すらわからずに潰されるだろう。




 恐怖がまた蘇る。震えは止まらず視点も思考も定まらない。これからどうなる、どうすればいい?怖い怖い怖い怖




「女王」


 はっと我に返る。蟻の一匹から話しかけられていた。今はまずこの場を切り抜けないと。


「と、とりあえず一度距離をとれ」


 まずい。どれくらい時間が経ったかわからないけどヤシガニがこっちに―――こない?


 なんということもない。今狩ったばかりの獲物を食べることに夢中なだけだ。ご丁寧に樹にしがみついてまで歩道橋にある死体に鋏を伸ばしており、そのせいでこっちの攻撃も届かないらしい。




 だが問題はそこじゃない。こいつらは、


「怖くないのか?」


「何が?」


「お前らの仲間が死んでるんだぞ? 逃げようなんて思わないのか?」


「女王さえいなくならなければそれでいい」


「――――」


 さっき生物は利己的な生き物だとそんなことを言ったがそれは必ずしも正しくない。社会性をもった生物は利他的な行動を行うことが自身の繁殖を助けると遺伝子的に理解した生き物どもだ。それを突き詰めた生物が蟻や蜂、シロアリなどの真社会性生物。


 この生物の特徴は少数の繁殖を行う個体と多数の不妊の個体を持つことで、言ってしまえば子孫を残すという生物にとって根源的な欲求を他の個体に預けてしまえる生物だ。そんな生物が知性をもった結果がどうなるか、その答えがここにあった。


 蟻にはおそらく欲求がある。だがそれら全てよりも女王を優先する。してしまえる。




 オレはあまり寄付だとか慈善事業なんかが好きじゃない。それにかかわる人間も同様に。そういう無償の利他的行動が善意の押し付けのように感じるからだ。どこぞの絶滅した動物の毛皮を身に着けながら動物の保護を叫ぶとか、頼まれてもないのに人類を救うためにカルト宗教を広めようとするとかそんな大人を見たことがあるからかもしれない。


 けどこいつらの利他的行為はもっと純粋な本能によるものだ。そこには善・意・も・悪・意・も・な・い・。ただそうするべきだと確信しているだけ。うん。それなら信じられる。オレが信じるべきなのはいつだって論理と効率に基づいた答えだ。




 こいつらは理にかなっている。




 だがオレはこいつらを信用してはいなかった。それも元人間であるオレにとってこいつらは化け物に見えるなんてくだらない理由からだ。そのくせ平気で魔物と戦わせようとするんだから厚顔この上ない。まずこいつらとオレとの関係をはっきりさせる。そのうえでこいつらをどうするのか決めよう。




「お前たちにとってオレは何?」


「女王」


「オレの命令には必ず従う?」


「うん」


「何故?」


「女王を生かさなくてはならないから」




 我らは蟻。群れるが故に―――




「お前たちが死んでもなにも感じなくても?」


 こいつらには感謝しているし、その生き様に敬意は払う。だが死んだとしてもどうとも思わない。死体を見て恐怖は感じたがそれはオレ自身が死ぬかもしれないという恐怖だ。こいつらへの哀悼じゃない。


「女王の命令には従う」




 そうか。ならこいつらを徹底的に使う。そして生き延びる。例えこいつらを使い潰してでも。蟻としてはそれが正しい生き方だ。人としても自分が生き延びるために最善を尽くすことは決して間違いではないだろう。いつの間にか震えは止まっていた。そのために相応しい言葉は―――








「オレのために戦え」




 静かに宣告した。最初にこういっておくべきだった。働き蟻と女王蟻の関係を一言で表せばこうなると誰もが納得するに違いない。だからこいつらが次に言う言葉も至極当然の言葉だ。




「了解」


 簡素にけれど力強く応えた。




 この先彼女たちが彼を裏切ることも恨むことも決してない。―――最後まで。


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