香港喧嘩旅行
武志
第1話 香港旅行で大喧嘩
1996年は、僕(タケ)が高校二年生になった年でした。
その年の夏休み、僕と両親は三人で、何を思ったのか、急に香港に家族旅行に行きました。僕は父親と五年間も話したことがありません。喧嘩の最中だったのです。
色々理由はありますが、僕は中学校時代、登校拒否児でした。しかし父は学歴を気にする、昭和初期の人間です。
僕が家に引きこもっている時(15歳~16歳)も、僕の部屋の扉越しに、「学校に行け!」というのが父の口癖でした。そんな僕も二年浪人して、ようやく高校生になりました。
しかし、まだ父との確執はおさまっていなかったのです。
1996年の夏休み、僕ら家族三人は、香港の
その間、当然、父とは無言ですね(笑)父への連絡事項は、母を経由して、という方法がとられていたと思います。まあ、父への連絡事項なんてあんまりなかったと思いますが。
九龍地区は香港島ではなく、半島の方にあります。ホテルのあるネイザンロードという大通りに降りると、僕を驚かせるものがそこにありました。
「うわぁー、すごい!」
僕は思わず声を上げました。無数の巨大看板が、道路の上空を埋め尽くしているのです。無数の巨大看板は、本当に道路の上空に大量にあり、僕を圧倒しました。
実際は、空に浮かんでいるのではありません。ビルの横に設置された鉄骨に、備え付けられているのです。
「凱悦皇宮」「海鮮酒家」「北京道」「世界酒廊」「遊戯機」「裕華」「麗確相機」など、無数の漢字が巨大看板に書かれています。広東語に精通している人でないと、訳が分からないと思います。
また、香港はとにかく暑苦しいのです。2020年現在の日本の夏も暑いし湿気が強いのですが、香港はもっと湿気が強かったように思います。(香港は亜熱帯です)
バテている僕らを尻目に、近くの八百屋のオジサンはへいちゃらな顔です。
ちなみに、八百屋で売っているのは、マンゴスチンやスターフルーツ、ドラゴンフルーツなどでした。日本でいう高級トロピカルフルーツが、林檎や蜜柑のように普通に売っているのです。
その日は特別暑く、九龍地区の宿泊ホテルに着いた時、僕ら家族は疲れ切っていました。部屋に入った時、僕は母にこう言いました。
「僕は夕食はいいよ、部屋で休んでいるよ」
時刻は夕食でした。ツアー客同士での会食が予定に入っていました。すると父が急に声を上げたのです。
「だから嫌なんだよ!」
僕は呆気にとられました。どうやら、僕が会食に参加しないことに、腹を立てているようでした。僕は困惑しましたが、父は怒鳴り続けています。
「いいから来い! 皆と一緒に食べるんだ!」
僕が、「疲れているから嫌だ」と拒絶すると、父は黙ってしまいました。ちなみに、これは五年ぶりの会話です。中学二年生の時から、ほとんど喋っていません。
会社勤めの父には、決まり事は必ず参加しなくてはならない、という考えがあったのでしょう。
(父はこの頃、会社でも責任ある仕事を任され、ストレスが溜まっていたようでした。かなり激務だったのでしょう)
母は父に、「私たちだけで会食に行きましょう」と言いました。
これがタケ家初の海外旅行である、香港旅行の第一日目です(笑)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。