第4話 無言の警告

 畑仕事を終えたキーオーは木造の小さな家に帰り朝食を食べていた。まだ誰にも叔父さんと共に旅に出ることを話していない。


 父と母と3人でテーブルを囲んでお祈りを捧げる。モルドゥという小麦粉を丸めて甘い汁の中で煮た料理はアムチャットに伝わる伝統的な朝食だった。キーオーにとってみればおふくろの味だ。




「いただきます」




 キーオーはふと、この味が恋しくなることはあるのだろうかと考えた。ひたすら甘く、汁のない部分はパサパサしている。野菜も作っているがアムチャットには煮る以外の調理法がなく、調味料も少ないのでどれも似たような味にしかならない。両親はいつもこの変わり映えしない味を毎日黙って平らげる。


 それでも今日が最後だと思うと、この味もこの光景も少しだけ寂しく感じられた。何年かすれば戻ってこられるとは思うが、黙って出ていくキーオーを両親が許してくれるかはわからない。




(やっぱり父さんたちに言おう)




 キーオーは決心してスプーンを置いた。




「あのさ……」




と言いかけた時、父がキーオーと母に向って言った。




「そういえば、昨日の大雨でオルゴ川の上流の橋が流されたらしいんだ」


「あら、大変」


「ああ。今日中には橋を架けなおさないと、明日から子供たちが学校に行けなくなる。食べ終えたらちょっと手伝ってこようと思う」


「わかったわ。キーオーも行ってらっしゃい」


「えっ、でも俺、畑仕事終わったばかりだし」


「いいじゃないの、若者なんだから。それにセイルちゃんも手伝っているみたいよ」




 セイルという名前を出して眉を上げる母に、キーオーは少し嫌な気持ちになった。セイルはキーオーの幼馴染でオルゴ川の対岸に住む少女だ。キーオーより1つ年下で、ふっくらとした頬に特徴的なたれ目といったそこそこ可愛い顔をしている。


 この村にはキーオーと年の近い少女がセイルしかおらず、周りからは将来の結婚相手同然の扱いをされていた。キーオーはセイルに対して少し好意があったが、村のみんなからの目線が鬱陶しくてそれを認めたくはなかった。




「まあ気が向いたらきなさい。私は先に行ってるよ」




 父はそう言い残して、朝食を食べ終えると足早に家を出て行った。


 キーオーはやはりこの人たちに旅立ちの告白をする気にはなれなかった。正直に話したところで、畑のことや露命の教え、それにセイルの話をされて反対されるだけだろう。


 だから今夜の旅立ちの時までその思いは胸に秘めたまま、優等生の息子を演じることに決めた。キーオーはモルドゥを食べ終えて器を片付けると、父を追いかけてオルゴ川へ向かった。




 オルゴ川の橋跡では、すでに村の多くの者が修復工事を行っていた。木材で出来た橋は完成し、あとは川に架けて固定するだけだ。




「おーい、キーオー。こっちだ!」




 河原に集まってゴミを片付けていた父が手を振ってキーオーを呼ぶ。隣にいたセイルの母親も土砂をスコップでかき出していた。




「ジグスさん、本当に助かるわ」


「いえいえ、困った時はお互い様です」




 川の底だった場所にはたくさんの漂着物が散乱していた。河原まで降りてくると、セイルがキーオーに気づき顔をあげた。彼女は泥まみれになりながら土砂の中から大きな石を仕分けしていた。




「あ、キーオー。おはよう」


「おはようセイル」


「昨日の雨、すごかったね。キーオーの家は大丈夫だった?」


「うん、家は高台にあるから。セイルのとこは?」


「大丈夫。雷はちょっと怖かったけど」




 セイルはそう言うと歯を出して笑った。キーオーはセイルといると不思議と穏やかな気持ちになった。恋愛感情なのかはよくわからないが、セイルの前ではキーオーは何でも話せる気がした。旅立ちの前に、セイルだけには別れの挨拶をしよう。そうキーオーが心に決めたときだった。




「何だろう、これ?」




 黒くブヨブヨとしたものをセイルは掘り出した。毒キノコのような太さと柔らかさだ。




「見るな!!」




 誰かが大声で言った。しかしその時にはすでに遅く、セイルとキーオーはその黒い物体を土砂の中から引っ張り出していた。




「うっ!」




 突然放たれる、強烈な腐敗臭。キーオーとセイルが掘り返したもの、それは死体だった。




「いやっ!」




 セイルは悲鳴をあげ、キーオーは目を背けた。もはや原型を止めていないが、よく見ると確かに人だ。右足と左足がついていたであろう痕跡が確認できる。




「なんてこった。こりゃジークの人間だな。足を滑らせて川に落ちたんだ」




セイルの父親が言った。すぐさま父も駆け寄って来た。だが死体の腕輪を見るなり、




「いや、違う」




と呟く。




「腕輪の模様がジークのものじゃない。この人はおそらく連邦の、それもラザールではない別の国の人間だ」


「ラザールじゃない連邦領民だと?! そんな遠方の人間がジークの方角から流れてきたっていうのか?」




 セイルの父は驚いた。ラザール帝国ではない連邦領となるとフラシリスかデラル、あるいはイャス共和国ということになる。どの国もはるか南方の、地図でしか知らない国々だ。




「理由はわからない。もしくは世界中を飛び回る旅人の死体なのかも」




 父の言葉を聞いて、キーオーは叔父さんのことを思い浮かべずにはいられなかった。叔父さんは前に 「旅には危険が伴う」と言っていた。もしかしたら叔父さんの身に何かあったのかもしれない。そう考えると、不安になって、悲しくなって、考えたくもなくなった。


 とにかく昨日はたいへんな豪雨だった。もし旅人だったとしたら、この人は不幸にも旅の途中で足を滑らせて息絶えたのかもしれない。キーオーの頭に露命の教えがよぎる。志を高く持っていたとしても、人間はこんなにもあっけなく死んでしまうものなのか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る