第15話 ただの害悪
「リナちゃんマジ可愛いわー」
「まだ言ってんのかよ」
昼休みになっても、長田の様子は変わっていなかった。
弁当箱を開けようともしないところを見ると、むしろ朝よりも悪化しているように思える。
「そういや、さっきの休み時間どこ行ってたんだ?」
三限目の古文の授業。長田は珍しく遅刻して(遅刻とは言っても、チャイムが鳴って一分も経たないうちに、教室に駆け込んできた)
学校一怖いと言われているおばさん先生にこっぴどく叱られた。
「廊下に立っていなさい」
なんていう前時代的なせりふを生で聞けて、クラス中が大笑いしていたのだ。
「古文の前の話?」
「うん。うんこか?」
「一年二組に行ってた」
「一年?なんで?」
「リナちゃんを見に」
「お前、人の妹ストーカーしてんじゃねえよ」
ポカッと長田の頭はいい音がする。
きっと中身が詰まっていないんだ。
「別にいいだろ、減るもんじゃないし」
当たり前だ。何かを見るだけで減らすことが出来るなら、お前の目は写輪眼を超えている。
「手振ってくれたぜ」
「そうか」
「それにしても、あんな可愛い妹がいるとかうらやましすぎる」
「あっそ」
「あっそ、じゃねーよ」
もう昼休みが終わろうとしているのに、何も食べず、弁当箱を開けることもなく、ただ減らず口をたたいているさまを見ると、やはりこいつの頭は空っぽなのだろう。
「もう昼休み終わるぞ」
弁当箱を片付けた俺は、俺たちが背もたれにしている校庭で一番デカい木のそばに生えていた、赤い花の真ん中の細長いのを抜いて、長田に投げる。確か、アンスリウムとか言ったはずだ。元素みたいな名前の花は、意外と多いのかもしれない。
「おいやめろ、俺花粉症なんだぞ」
「知らねーよ。もうあと十分で五限始まるから、俺行くわ」
「マジかよ。じゃあ俺も行く」
結局長田は弁当箱を開くこともなく、昼休みを終えた。
「五限と六限の政治・経済は、渡川先生が休みのため、自習になります。図書館も使用可です」
黒板にデカデカと書かれた文字を見て、長田が歓声を上げる。
「弁当食えるじゃん」
「そーだな」
昼食時間だけでなく、五限も六限も、俺は長田のおしゃべりに付き合わされた。
「自習時間だから、少しは黙れ」と言いたいところだったが、国立や難関私立を受ける奴らが図書館に行ったせいで、教室には受験勉強にそれほど真面目に取り組んでない人たちが取り残され、長田の声など気にならないほどに騒がしくなっていた。
「お前の部屋って、物がめちゃくちゃあるくせに、片付いてるよな」
俺の部屋に入るといつもと全く同じことを長田は言う。
もうすぐ夕暮れかという時分、「家に行きたい」という長田を突っぱねることが出来ずに、結局長田はこうして我が家にやってきた。
「お前の部屋が汚すぎるだけだろ」
「天才は、片付け苦手な人が多いっていうからな」
コーラのペットボトルを図々しくもベッドの上で開けながら、長田が言う。
「で、今日は何しに来たんだ?」
「おいおい、せめて突っ込めよ」
「何もしないなら、帰れよ」
何もしないでただ適当なことを言い合って時を過ごすというと何だか青春っぽいが、これは夕日の河川敷であったり、夏の夜の花火の下であったり、そんなロマンチックな情景が加わることでそうなっているだけだ。
それが、自分の部屋で行われても嬉しくも楽しくもないし、時間の無駄なのだ。
「何もしないなら帰れって、お前将来絶対セックスレスで離婚するわ」
「なんでだよ」
「童貞にはわかんねーよ」
カッコつけているが、こいつも童貞である。
ちなみに、志田が処女かどうかは不明だ。
「このまえの、ライブ配信でも見返すか?」
「それだけどよ、リナちゃんとみっちゃんがオーディション受けてないのにメンバー入りしてるってツイッターで見たぞ」
「そのことについてなら、俺ブログ書いたぞ」
「見たよそれ」
「オーデイションを受けていないのは、彼女たちが悪いことではないけど、実力を発揮しないとこのままアンチが増え続けるってやつだろ」
「そんな非情な言い方してないけどな」
「自分の妹のことなら、もっと擁護するようなこと書けよ」
ディスプレイを見ながら、長田が言う。
確かに言うとおりだ。家族の中で俺は一番アイドルに詳しい。それなのに、味方になってあげずにいるのは、少しかわいそうだ。
「まあ、可愛いし実力もあるから大丈夫だとは思うけど」
「だといいんだけどな」
そして動画を見始めて三十分ほどたったころ、玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
「リナちゃん!」
長田が部屋を飛び出して、階段を駆け下りる。
「おい待てよ」
と言ってはみたものの、時すでに遅し。
俺が階段を下りたころには、長田が璃奈に話しかけていた。
「どうしたんだ?レッスンは?」
二人の間に入る。
「レッスンしてるとこの床が壊れたから、休みだって」
「そうか。飯は?」
「まだだけど、母さん帰って来てからでいい」
璃奈は俺の横を通って、階段を上って行った。
その後ろ姿を長田が目で追いかける。
「お前の部屋の隣リナちゃんの部屋だったのかよ」
「隣は妹の部屋だから開けんなって初めて来たとき言ったよな」
俺の返事は馬耳東風で、長田は璃奈が上がっていった階段をぬぼーと眺めている。
「おい、戻らないのかよ」
強めに腕をつかんで、やっと長田は元通りになった。
「じゃあ、そろそろ帰るわ」
ライブ配信を見直して、サッカーゲームで俺に四試合四連敗を喫したところで、長田はそう言って、立ち上がった。
もうすぐ7時。母親が料理をし始めたのに気付いて気を使ったのか、それとも連敗に嫌気がさしたのか。
たぶん、後者だろう。
その証拠に、四試合目の後半三十分までは、めちゃくちゃ元気だったくせに、今はすっかり元気をなくしている。
後半三十分で同点に追いつかれ、ロスタイムに絶好の位置でフリーキックを獲得。それを決め損ねて、そこからのカウンターで負けなんてことになれば、落ち込むのもわからなくもない。
俺もコントローラーを置き、立ち上がる。
「お前、リナちゃんがリアルガチの妹なのマジでうらやましいわ」
「好きになったりしねーの?」
「妹と恋愛沙汰になったりすんのは、フィクションの世界だけだ」
「一人っ子の俺にはよくわからんな」
「俺には、妹を好きになる心理が全く持ってわかんねーよ」
玄関のドアにもたれながら靴を履いている長田が不満そうな顔で、俺を見る。
「じゃあな」
セミの鳴き声がやんで涼しくなったドアの外に向かって言う。
「お前さ、俺とリナちゃんが付き合うって言ったら、どうする?」
長田は、笑いながら背中越しに聞いた。
「兄としての立場でも、友達としての立場でも、オタクとしての立場でも、反対するだろうな」
「だよな」
長田は暑くもないのに、制服のシャツをバタバタとやって、夜風の中を帰っていった。
次の日も、その次の日も、長田が家に来るだろうと思っていたが、奴は「家に行きたい」とか「リナちゃんに会いたい」なんてことは、もう言わなくなっていた。
ストーカーまがいのことをしているのに気付いたのか、璃奈に執着しなくなった理由はよくわからないが、どんな理由にしろ長田がいつもの長田に戻ったのは、学校でしゃべる人が長田以外にほとんどいない俺にとっては、喜ばしいことだった。
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