04:凶事の足音が聞こえる
何日か、男性に連れられてホテルに泊まることもあったが、一人で眠れる漫画喫茶で過ごすことが多かった。
何をするでもなく、ただ眠ることの多い日。
先日
彼が、お大事に、と薄ら笑いを浮かべていたのが気になったが、それよりも一万円札の多さに泣きそうになった。
おかげで暫くは漫画喫茶で滞在しても財布の中には余裕があった。
体調が徐々に回復して熱っぽさも治まった。
やっぱり疲れが出たんだろうか。
こんな生活、止めるべきなのか。
そう考えるが、家に帰るなんて選択肢は毛頭ない。
とりあえず何か働き口があればいいが、そもそもまだ十五歳の璃亜夢は年齢的にアルバイトもできない。せめて十六歳になれば。
そう考えたがそもそも自分の身分を証明するものがないのだ、アルバイトとして雇ってもらえるかも怪しい。
そうなったとき、風俗が頭に浮かんだ。
今も似たようなことをしているが、それでも、もうそういう生き方をするという覚悟があるわけでもない。
何処にも行けない、足が浮いているような感覚。
それでも、それを選んでしまったのは、間違いなく璃亜夢自身であることは自覚していた。
同じ漫画喫茶で寝泊まりし続けて、家出少女として通報されても嫌だから、この周辺にある漫画喫茶を順番に巡っていた。
駅が近いせいか、何軒もあるのが有り難い。
ただ場所によっては、シャワーが有料な店もある。
だから毎日はシャワーが使えなかった。
家にいるときは、当たり前にお湯を使えていたことだけは、本当に有り難いと思った。
この日の夜、璃亜夢は漫画喫茶に入ると、シャワーに向かった。
そろそろ夏が近いせいか、日中の気温も高くなってきていて肌が汗ばむ。
出来ることなら毎日シャワーを浴びて服を変えたい。
だけどそれは贅沢だ。
せめてシャワーだけは浴びたい。
そう思いながら、シャワーブースへ向かう。
璃亜夢が漫画喫茶に来るのは、滞在時間を少なくするためかなり遅い時間だ。
その時間、この店舗の客層のせいか、シャワーを使う客がおらず璃亜夢は安堵する。
身体を差し出して食事と寝る場所を確保しているのに、男性の暴力に警戒しているなんてお笑いだと自嘲してしまう。
服を脱ぎ、脱衣カゴへと放り込む。
今日は着替えて、明日服をコインランドリーで洗おう。
そんなことを考えながら、璃亜夢は鏡で自分の身体を見た。
少し前の体調不良で、食事があまり喉を通らなかったせいもあるのか随分腕が細くなった気がした。
痩せた、といえば聞こえが良いかもしれないが、この場合は
その証拠に、腹部の少し盛り上がっている。
まるで、昔見た紛争地域の実情を描いたドキュメンタリーに出てきた子供のようだった。彼らも栄養が足りず、腹部が膨れ上がっていた。
流石にそこまでの膨らみはないが、このままの生活を続けばああなるのかもしれない。
「栄養不足って何食べたら治るんだろ」
今まであまりそういうことを意識して食事をしてこなかった。
偏った食生活と一言で語っても、一体何が偏っていたかがわからない。
璃亜夢は自分の腹部を撫でながらただただ溜息をつく。
「腹筋したらへっこむかな」
腹部の筋肉がなさ過ぎて、臓器が腹の皮膚を押し出しているのか。
璃亜夢はまた溜息をつくと、シャワーを浴びるためハンドルを捻った。
***
璃亜夢はいつも最小限の手荷物しか持たず、予備の服などの荷物はロッカーに預けている。
最近は使用時間によってお金を請求するロッカーが増えてきたが、それでもまだ探せば百円で荷物を預けられ荷物を引取りに来た時に百円玉が返ってくるロッカーもある。
璃亜夢が荷物を預けているのはそういうロッカーだった。
駅から少し遠いが、一回一回開ける度に払うお金が惜しかった。
ロッカーには服も預けているが、着替えた服は数枚溜まってからコインランドリーで洗っていた。
このあたりのコインランドリーは一回の洗濯に五百円程かかるが、今日この後向かう漫画喫茶は利用者なら一回三百円で洗濯できる。乾燥機は更に百円かかるが、最近は個別ブースの中で干していることが多い。
最近、洗濯機の中で回る自分の服を見ながら、どうして生きてるのかと考えてしまうことがある。
一年前には全く考えもしなかったことだ。
『ただ生きていた』だけだった。目的も到達点もなく。
本当にただ生きていただけ。
でもこんなことになって考えてしまう。
今は『どうして生きている』のか。
璃亜夢は洗濯する服を溜めていたビニール袋をロッカーから出すと、ロッカーを閉める。扉が閉まるにつれ、光が失われ暗くなるロッカーの中は、まるで母に『可愛くない』と言われた璃亜夢の心象風景のようだった。
ロッカーを閉めると百円を入れて鍵を抜く。
出し忘れたものはないだろうか。
そんなことを考えていると、突然「あれ、璃亜夢ちゃん?」と声をかける声が刺さる。
璃亜夢にとってあまり良い声ではなかった。
それでも璃亜夢はゆっくりと振り返ってしまう。
ロッカーは大通りから少し狭い路地に入ったところにあるのだが、その大通りと路地の境目に、
彼は璃亜夢が自分の方に振り返ると、軽く手を振って笑う。
璃亜夢が少しだけ頷くような感じで頭を下げてみせると、永延は璃亜夢に歩み寄る。
「今日は顔色良いね。もう体調は良いの?」
「多分」
「多分って何」
永延は笑いながら、腕時計で時間を確認する。
璃亜夢はその様子を見ながら、内心早く何処かへ行ってくれないかと思う。
この男は何がしたいのか、本当にわからない。
高そうな時計。今来ているジャケットだって、何だか高級そう。
こんな小娘をホテルに連れ込み、その代償に夕食と朝食と現金を置いていく。
金の羽振りの良い男は助かる。それはこの生活を始めて、何度も思ったことだ。
何となく璃亜夢の境遇を察して
だけどこの男は得たいが知れないのだ。
会う度に一万札を何枚も握らせてくる。
はじめは風俗やそういう店で働かせるための撒き餌か何かなのかと思ったが、そういう様子もない。
だけどただの慈善行為とは到底思えない。
この男の笑みは、ただただ胡散臭いのだ。
何か目的があるなら、さっさと言って欲しい。
不気味な男。
そう思いながら璃亜夢は「それじゃあ」と一方的に会話を切って逃げようとする。
だけどその逃亡はあっさりと拒まれる。
永延は璃亜夢の腕を掴むと、その力の差であっさりと自分の前へと引き戻す。そして空いていた手で璃亜夢の顎を掴み、自分の方を向かせる。
一方的で圧倒的な腕力に璃亜夢は逆らうことができず、ただ永延を見上げることしかできなかった。
永延は璃亜夢の身体に力が入っていないのを確認すると、あっさりと彼女を掴む手を離してまた微笑む。
「ちょっと早いけど一緒にご飯食べない? この通りの向こうに新しい中華の店ができたんだけどどう?」
そう何ともにこやかに微笑む男。
笑顔ではあるが、とても断れる空気ではないことを璃亜夢は肌で感じる。
「中華は嫌いじゃない」
そう璃亜夢が答えると、永延は「そう? じゃあ行こっか」と言って璃亜夢の手を引っ張る。
璃亜夢は永延の手を振り払うだけの力がなく、ただ大人しく付いて行くしかできなかった。
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