【10月18日】無人駅
王生らてぃ
本文
「いくら待ってたって、電車は帰ってこないよ」
と、若い女性がわたしに告げた。
わたしは駅のホームの、すっかり色の褪せた冷たいベンチに座って、まさに電車を待っているところだった。
「駅員さんですか?」
「違うけど」
「時刻表には書いてあるんですよ」
看板に書かれた時間を指さして、また時計を見せて、わたしは説明した。
「いまは朝の十時でしょ? 電車は九時五十分には到着してるはずなんです。遅延してるんですよ。人身事故か何かですかね」
「アンタね。その時刻表の上に『昭和三十七年』って書いてあるの分かんないの?」
「でも朝の十時って……」
「その時刻表、古いんだよ」
「じゃあ、新しい時刻表はどこに……」
「ここにはないよ」
「そうですか。ではしばらく待つことにします」
「だから、待ってても電車は戻ってこないんだよ」
でもわたしは待った。
その女の人も待っていた。
一度だけ、ベンチにどうぞと促してみたけど、その人はずっと立っていた。
「どこ行くの?」
「学校です」
「いまから?」
「だから困ってるんですよ、電車が来ないから。遅延証明書を貰わなくちゃ」
女の人はあんまり興味もなさそうにわたしの話を聞いていた。
「あなたはどこに行くんですか、上り? 下り?」
「どっちでもないわ。というか電車に乗るために来たわけじゃない」
「じゃあ何しに来たんですか?」
「いつもあんた、ここにいるでしょ。だから来たの、電車なんて、いくら待ってても来ないわよって」
もう一度その人を見ると、そのひとはちょっと若い姿になっていた。紺色のブレザーを着て、赤いネクタイをつけていた。さっきまでは大人の姿だったから、突然姿が変わって驚いた。
「わざわざ、それを言うために来たんですか?」
「そうよ。あなた、毎日ここにいるから」
「だって、わたしは学校に行かなくちゃいけないから……」
「もう学校なんてないんだよ」
「いや、学校は……」
かんかんかんかんかんかん。
踏切の音が鳴り始めた。
「ほら。そろそろ電車がホームに来ますよ」
「電車は来ないよ。踏切が勝手に鳴っているだけ」
「踏切は電車が来るから鳴るんですよ」
ベンチから立ち上がって電車がホームに滑り込んでくるのを待った。
ところが電車の走ってくる地鳴りは聴こえてこなかった。
「おかしいな」
「おかしくないよ」
やがて踏切の音は止まってしまった。
「あの踏切壊れてますね」
「壊れてるのはあなたの方ですよ」
女の人の姿はまた変わっていた。今度は背が低くなって、だぼっとしたサイズの大きいセーラー服を着ていた。
「帰りましょう。わたしが案内しますから」
「いや、今帰ったら学校に……」
「学校にはもう行かなくていいんですよ」
「いや、わたし、学生ですから。学校には行かないとだめですよ」
「いいえ、あなたは学生だけど、学校には行かなくていいんですよ」
「なんで?」
「だって、あなたはもう学校には行けませんから」
「そうですね。電車が来ないから……」
また踏切が鳴った。かんかんかんかん。
女の人は白線のそばに立った。どうせまた電車は来ないんだろうと思っていたら、今度はがたがたと地鳴りがするのが感じられた。そして錆びついた線路の上を揺れながら、電車が近付いてくるのが感じられた。海沿いの線路、隣の県から上がってくる上り電車。車体は錆びついて軋み、赤いラインは黒ずんでくすんでいる。
「ほら。やっぱり電車が来た、遅れているだけだったんだ」
電車がホームに滑り込んでくる。
古いブレーキが作動するときの、耳障りな金属音がさびれたホームに響く。
そして目の前で、女の人は電車に飛び込んだ。
ブレーキがさらに軋んで大きな音をあげた。
どんっと電車にぶつかる音、電車に踏み潰される音、潰れた音、バラストが引きずられてじゃりじゃり鳴る音。いろんな音が目の前で起こった。
わたしはその光景をただ見ていた。なんだか、なつかしい気持ちで。
「思い出した?」
気が付くと電車は既にいなくなっていて、さっきの女の人が隣に立っていた。
「思い出したっていうか……ずっと覚えてます。いまのはわたし。昔、電車に轢かれて死んだわたし」
「そして、今のあなたは、ずっとここに残っている幽霊なの」
「知ってますよ。それでもわたしは、学校に行かなくちゃいけない……」
「行っちゃだめ。家に帰らないと」
「いや……」
「ここにずっといるのも、だめだよ。ちゃんと帰らないと」
「でも……」
「もう、いいから早く」
ぐいっと手を引っ張られて、わたしは駅を出た。いや、引っ張り出された。
それから道をぐるりと回って踏切を通って、わたしの家のあった方に向かって歩いて行った。そこは神社がすぐそばにあって、長くて大きな坂がある。
「あなた、もうずっと家に帰っていないでしょ」
「そうかも」
「最後にいつ帰ったか、覚えてる?」
「覚えてない」
「あなたが死んだ日よ。その次の日に、あなたここに来たの。それからずっと帰っていない」
「そうかもしれない……」
「かもじゃなくて、そうなんだよ」
だんだんわたしはだるくなって眠くなってきた。
「帰りたくない」
「だめ。帰るのよ」
「やだ」
かんかんかんかん。
踏切の遮断機が下りていて、いつの間にかわたしたちは閉じ込められていた。
「早く外に……」
「やだ……帰りたくない、ずっとここにいる」
「また死ぬような思いがしたいの?」
今度は下り電車が来る。
ここは一車線しかないから、上りと下りが、同じ線路を交互に行き来するのだ。
錆びた線路が揺れて軋む。
女の人はわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
この人は大人になったわたし。ほんとうはこうなるはずだった、成長したわたしの姿。
「お願い、帰りましょう。あなたがいなくなったら、わたし……」
電車がごうと近付いてくる。
「わたしがいなくなったら、どうなるの?」
「わたしがいなくなっちゃう!」
「あなただって自分がかわいいだけなんだ。自分が消えたくないから、わたしがいなくなったら困るんだ。そんなの自分勝手だよ、わたしと同じ」
「嫌だ、わたしは死にたくない、死にたくないの」
「よしよし。死にたくなかったんだね。でもわたしはそうじゃ無かったよ」
わたしは女の人を抱きしめ返した。
いつの間にか相手の方が、子どもみたいにわんわん泣いて怖がっていた。
かわいそう。わたしも昔はそうだったなあ、と思った。
電車が襲い掛かってくる。
ぶつかる。
音が鳴る。身体がひしゃげて骨が折れて肉が千切れる、それがひとつひとつ感じられる。でもわたしはもう死んでいるから、死ぬくらいの苦痛は別に平気なのだ。
やがてわたしは身体を押し倒され、頭が線路の上に投げ出される。そこに鉄の重たそうな車輪が転がっ
【10月18日】無人駅 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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