第205話 砂丘沖の砲煙 その2

 ◇ ◇ ◇


 艦長室の扉を叩く音がしてミゲル・ドルコ船長が顔を上げると、返事をする前に扉が開いてギーベルが顔を見せた。部下の乗組員なら怒鳴りつけるところだが、ミゲル・ドルコ船長は少し顔をしかめる位で首を振った。


「おい、おい、もう少し隠れていた方が良く無いか?」

「ふふ、もう隠れているのは飽いたよ。それにオルランド港を出れば見られても平気だろう」


 サン・アリアテ号がオルランドを単独で出航したのは、ギーベルを載せたせいらしい。


「マルクスハーフェンまではまだ2日は掛かると思うぞ」

「ふーん、砂丘地帯はもう過ぎたあたりかな」


 興味無さそうに言うくせに、嫌に気になる感じに、ミゲル・ドルコ船長がギーベルを見やった。ギーベルからは早く着きたいので、砂丘地帯は出来るだけ沖合を行って、つまらぬ浅瀬に捉らないように言っていたのだ。ミゲル・ドルコ船長も沿岸を見ながらのろのろ進むのは好きじゃないので、出来るだけ風を受けて外洋を進んでいた。


「気になるなら砂丘地帯を見てみるかい?」

「いや、いいよ。沿岸を哨戒していると言うティグリス号と出くわしても面倒だ。出来ればサン・アリアテ号が赤毛のゲーリックと接触することは知られない方が良いし、その切っ掛けを与えてもつまらないものね」


 何やらギーベルの物言いにサン・アリアテ号を砂丘地帯に行かせたくない思惑が見える気がしたが、ミゲル・ドルコ船長も赤毛のゲーリックに会う方が優先すると考えていたので、まあ良いかと見逃したのだった。

 新造戦艦が神聖ラウム帝国の港で造られたと言う話ならば、マルクスハーフェン辺りだろうとミゲル・ドルコ船長も考えていた。だからギーベルから会合場所がマルクスハーフェンだと聞いて時にはやっぱりねと思ったのだった。

 ギーベルの話では決戦を前にこちらの人となりを確認しておきたいと言う話だ。もっともな話しだし、自分も新造戦艦を自分の目で確かめて見たかった。


「どんな船に仕上がっているのか興味がある」

「そうだろうね。着く頃には艤装も終わっているだろうしね。自分の目で確かめれば良いよ」


 ギーベルは口ではそう答えたが、赤毛のゲーリックは艤装に時間が掛かっていると嘘を言って、

ミゲル・ドルコ船長には見せないと言っていた。42門を積んでいる事は決戦の場に出て来るまでは秘密にしておきたいのだろう。

 二人は和やかに話してはいるが、別に親しい訳でも無いので、話が終わればミゲル・ドルコ船長は目の前の書類に目を戻した。お茶を出す訳でもない。別に客室を用意しているのだ。飲みたければそちらで勝手に用意をすれば良いと考えていた。


「それじゃ、俺は甲板でも散歩させてもらうよ。狭い船室に閉じこもっていたので、少し外の空気が吸いたいからね」


 ギーベルもまたミゲル・ドルコ船長の様子を確認しに来ただけで他に用事は無い。留まって無駄話をする趣味も無かった。赤毛のゲーリックとの約束を果たすだけだと考えているのだった。


 ◇ ◇ ◇


 ドラゴナヴィス号が出航する日は雨だった。イング航海長の話ではこの時期のオルランドが一番いい季節だと言うが、天候は変わり易く陸者には傘は手放せないとも言った。自分たち船乗りはどんな季節もコートでしのぐが、陸者は軟弱だからねと笑うのだった。


「オクト岩礁も曇り空では良く見えないわね」


 アンが舷側の手すりに掴まり海を見やった。運動の為に放ったククロウがその横に停まり、アンに構って欲しそうに身を擦り付けていた。


「それより、アダムやドムトルは船酔いは大丈夫かい。今日は小雨で波も荒くないから大丈夫かな?」

「こら、ビクトール、余分な事を言うな。忘れて居れば気分も悪くならないのに、思い出すだろう」


 雨の日の桟橋には人影も疎らで静かな船出だった。錨を上げる時にはキャピスタンに着く水夫の勇壮な掛け声も聞こえていたが、今は風にはためくセールや索具の音ぐらいで、ドラゴナヴィス号の船上も静かになっていた。


「敵の戦艦は見つかったの?」

「いや、アン。毎日神の目はマルクスハーフェンと砂丘を行き来しているが、敵の帆船の姿は見えないな。ゲールが先程ミゲル・ドルコ船長とギーベルの会話を盗み聞きしたけれど、やっぱりまだマルクスハーフェンの近くで大砲の艤装をしているらしいよ。我々が砂丘地帯に着く頃には姿が確認できると良いのだけど」


 アダムが魔素蜘蛛のゲールがサン・アリアテ号の船長室で聞いた二人の会話を話すと、アンやドムトル、ビクトールはやっぱりねと言う反応だった。


「悪い奴らは何時もつるんでいるんだよな」

「それよりも、俺はサン・アリアテ号(18門)も加わると、敵の大砲は22+18=40門にも成るのが心配だ」


 ビクトールは相手の習熟度合いが分からないが、単純に数を見ると心配になると言った。こちらはドラゴナヴィス号(22門)、ティグリス号(18門)、カプラ号(18門)で58門になる。


「ビクトール、サン・アリアテ号は邪魔をして来ると思うが、自分も敵に回って大砲を撃って来ることは無いだろう。いくら何でも目撃者は生き残るだろうから、エスパニアム王国が神聖ラウム帝国を正面立って敵にするとは思えないからね」

「アダムの言う通りだ。お前も俺もオクト岩礁の奪還の時は、アラミド中尉のティグリス号で大砲を実際に撃ってみたが、一連の動作を皆に付いて行くのも相当大変だった。デルケン人が初めての大砲をしかも船上で撃つのはもっと大変だろうぜ。エクス少佐の話では向こうが2発放つ内にこっちは5発は撃てると自慢していたからな」


 ドムトルの話はアダムも一緒に聞いていた。片舷斉射で考えると、向こうが18発(9×2)撃つ間に、こちらは115発{(9+7+7)×5}は撃つことになる。単純な計算通りとは行かないが、その差の現実は圧倒的なのだとエクス少佐から説明を受けたのだった。

 だが現実は計算通りに行かない事もある。一発の砲弾が船底に穴を開けて沈没する事もあるし、火薬庫を直撃して爆発することもある。それでも敵はもっと大変だとエクス少佐は言うのだった。

 初めて火薬を扱う時には分からない事がある。手元に残す装薬の量はどれくらいが最適か。ボーイと呼ばれる少年兵が火薬庫から少しづつ装薬を砲列甲板に運ぶにも理由があるのだ。火薬の燃焼滓を十分に拭かずに装薬を入れる事で暴発する経験も無い。初めてのデルケン人が、初めての実戦戦闘で大砲を扱うリスクは非常に大きいとも言っていた。


「クックウ」


 ククロウが訳も無く可愛い声でアンに甘えて鳴いた。

 アンが思わずククロウの頭を撫でてから言った。


「でも今は、ギーベルがそこにいるなら、ソフィケットは安全だから、私はそれが安心だわ」


 みんながそれぞれ思い思いの事を言うのだった。


 アダムはみんなの話を聞きながらも、敵の戦艦が出て来る前に、ロングシップを陸に上げて隠れている相手を、何とか誘き出して叩けないものかと思案を巡らしているのだった。

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