第121話 リタを救え(後編)

 そこには黒々とした悪意の影があった。アダムが見ていると、黒い影はまだらに揺れて、あざ笑うようなさざ波を立てている。魂魄から弾き出されて自分の死に際でありながら、一種楽しんでいるかのような皮肉さが感じられ、見る者に悪意の異常さを感じさせた。


「オルセーヌ公、プレゼ皇女、下がってください」


 2人の神殿衛士が庇って前に出て剣を抜いた。ベッドのアンたちは風の盾で守られている。危険があるとすれば、アダムたちの方だ。


≪ ふぉふぉ、誰がいいかのう、依り代は、試して見るかのう。≫


 神殿衛士が交互に空中に浮かぶ黒い影に切りつけるが、それは靄の様に剣を受け付けない。振り抜いた神殿衛士の身体に黒い靄がかぶさった。1人の神殿衛士が胸を押さえうずくまった。

 もう1人の神殿衛士がぎょっとなって距離を取る。


≪ これは駄目じゃ。魂魄が強く無ければ無理には入れぬ。やはり魂の同意は必要か、、、衛士はつまらんな。≫


 朗らかな嘲笑と共に悪意の思念が伝わって来て、その場にいる者は全員が恐怖に凍りつくように動けなくなった。実態のない精神体をどう防げばよいのか分からない。


「そんな事は許さない」


 アンが風の盾の範囲を一気に拡大して倒れた衛士を包み込んだ。


≪ ふぉふぉ、勇ましいのう、七柱の聖女は。でも、どこまで出来るかのう。≫


「アダム、あれは何だ。あれが悪意の種か?」

「あれがリタの魂魄に植え付けられていた悪意の種だと思う。一種の残留思念のようなものだと思うが、精神体として自立しているようだな」


 ドムトルが聞いてくるが、残留思念と言われてピント来ないようだ。それにはビクトールが反応した。


「残留思念? 地縛霊とか幽霊のようなものか」

「ああ、黒魔法の一つだと思うが、術者の悪意の一部か、それを模したものだと思う」


 地球時代のアダムだったら、コンピューターウィルスのような物だと言った方が分かり易いかも知れない。オカルト的には悪魔憑きとか憑依と呼ばれる現象だが、その原因となった悪意ある思念が、依り代を探して自ら人を襲おうとしているのだ。


≪ おお、良い人間を見つけたぞい。魂の器が大きいぞ。ほほ、オルセーヌ公か、プレゼ皇女か、どちらが良いかのう。≫


 思わずアダムたちも立ち上がって身構えた。だが、そんな中オルセーヌ公は冷静だった。黒い影を見つめながら、竜のたまごをアダムに差し出した。

 この状況はアダムも考えていたものだ。前回浮かび上がった黒い沁みを見ながら、何も出来ずに見ているしかなかったが、その時恐れていたのはこの状況だったのだ。


「アダム、頼むぞ。この時にこそ使うのであろう」

「はい、私もそう思います。やってみます」


 アダムは竜のたまごを持って黒い影の前に立った。構えた時には既に白光の刀身を出現させている。竜のたまごが変形したことは、前もって知っているオルセーヌ公やドムトルたちを除くと、誰も気づいた者はいなかっただろう。


 残った神殿衛士がアダムの後ろに下がり、オルセーヌ公とプレゼ皇女の前に立つ。横目でアダムを見ながら前に出て来たのが子供のアダムなので驚いている。


≪ ふぉふぉ、お前がアダムかえ。子供が持つ貧弱な短剣でわしは殺されぬぞえ。≫


 アダムは魔力で刀身を変形させただけではなく、思いっきり刀身に魔力を纏わせた。自分の魔素が光属性を帯びているならば、その光魔法の刃で切るつもりで振り被った。突然、脳裏に神文が浮かび上がり、思わず大きく叫んでいた。


「魔を祓え ”Exorcizata ad effugandam diaboli”」


 そのまま黒い影に切りつけた。すると、霧を風が切り裂くように、一筋に黒い靄が払われて、影そのものを消して行くのが分かった。


≪ うお、、何。こ、これは、魂魄が切り払われたぞ。まさかそれは降魔ごうまの剣か、、むう≫


 アダムは夢中で振り被り、再び切り払う。次第に黒い影は存在を維持できなり消えて行った。


「やったぞ、アダム」


 プレゼ皇女が歓声を上げた。

 アダムが息を継ぎ振り返ると、前に出ようとするプレゼ皇女をオルセーヌ公が体を張って庇っていた。


「危なかった。アダム、助かった。プレゼに取り付かれていたらと思うと、恐ろしい」


 悪意の存在が居なくなっても、オルセーヌ公の表情は暗かった。敵が1体でこれなのだ。実態の無い敵にどう対処すれば良いのか、これからの対応に苦慮しているのだろう。


「元々リタを返すつもりで、狙っていたのかも知れません」

「私もそう思うよ、アダム。あわよくばアンや巫女長を狙っていたのだろう。闇の司祭の狙い通りにならなくて良かった」


 闇の司祭はどこまで分かってやっているのか分からない。気まぐれで思いつきのような動きにも思慮遠望があるのだろうか。ガイとは違う敵の不気味さにアダムは驚くのだった。


 病室にいた他の者も恐怖に声を無くして動けなかったようだ。理解できない異質な悪意を目の当たりにしたのだ。自分の無事に安堵して安心して動けるようになるのに、しばらく時間が掛かったのだった。


「それで、さっきの言葉は神文かい」

「はい、一気に魔力を籠めると、自然と頭の中に浮かびました。それと収納方法も分かりました」


 アダムが左手をオルセーヌ公に見せると、手首に白い腕輪が嵌っている。事が終わった後で、頭の中で収納するための神文 ”腕輪 armilla” が浮かんだのだった。

 アダムは『竜のたまご』を元の形態に戻し、オルセーヌ公へ差し出した。


「いや、アダム、君が持っていた方が良さそうだ。どっちみち君しか使えないし、君が手首に着けていた方が安全だと思う。他にも分かる事があったらまた教えてくれ」

「分かりました。お預かりします」


 ベッドの所では、リタの様子を確認する巫女長とアンのところに、ガッツやシン、孤児院長やリンダが寄って行って、リタの病状を聞いていた。


「大丈夫でしょう。魂が衰弱しているので、目を覚ますのにはもう少し時間がかかります」


 巫女長の言った通り、リタが目を覚ましたのは翌日になってからだった。国教神殿の癒し手のヒールを受けて、体力的には十分回復していたが、魂魄を他者に抑えられていた事は精神的に相当の抑圧となっていたと思われた。


 後でアダムがガッツから聞いた話では、目を覚ましたリタは、闇の司祭によって眠らされてからの記憶が飛んでいるので、ガッツやシンが話す事を聞いて、他人事のように驚いていたと言う。リタは随分戸惑った様子だったが、夢うつつとして聞いたリンダの話を思い出し、横に立つリンダの手をしっかり握って離さなかったそうだ。


「ビクトール、それより、地縛霊のような残留思念て何だよ」

「地縛霊は事故で亡くなった霊魂がその場所に憑いて幽霊になったものさ。その強い怨念みたいなものだとアダムは言いたかったのさ」


 アダムの後ろでドムトルがビクトールに小声で聞いていた。


「なーる。わかったら腹が減ったぜ」

「うへ、ドムトル、お前って凄いな」

「そうか? そうだろ!」


 ◇ ◇ ◇


 ベッドで仮眠を取っていた闇の司祭は、むっくりと起き上がった。消えて行った悪意の残滓を感じたのだ。


「ふぉふぉ、降魔の剣とはのう、やられたわい。まあ、予想通りかのう」


 ガイを取り込めれば、元々リタは返すつもりだったのだ。そして、あわよくば国教神殿の施術院で一騒動起こそうと考えていたのだった。

 穏やかな笑顔を見ていると純朴な老爺に見える。闇の司祭は隣で眠る醜い赤子に笑いかけた。


「ガイよ、本当に醜く生まれ変わったな。ふぉふぉ、こんな赤子でも魂はガイじゃ。指でも掴まれたら、力で潰されるかも知れんのう。この世の中は本当に喜劇で溢れとる。そうは思わんかガイよ」

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