第112話 幽霊屋敷への偵察(前編)

 アダムは王城から戻ると、寮のベッドに横になってククロウとリンクした。ククロウはアンが屋敷に戻って来るまでは動こうとせずアダムを困らせる。


( アン、アン、大好き )


 ククロウは2日アンの顔を見なかっただけで、随分アンに放って置かれた感じがして寂しいらしい。アンの部屋の外の枝に停まってアンの帰りを待っていた。王城からの帰りはどうしても川を渡って直ぐの騎士団寮の方が早いので、アダムはのんびり待つ他ない。


 アダムは窓際にゲールを停まらせて、ククロウが来た時の準備を始めた。

 アガタから貰った飼育セットは役に立ちそうだった。しばらくしたらガッツとシンに飼育を任せて繁殖させることも考えていた。


 アンがガストリュー子爵の屋敷に到着したらしい。ククロウの耳にアンやビクトールを迎えるソフィーや執事の声が聞こえる。アダムが幽霊屋敷を偵察することになっているので、アンはククロウの機嫌を取りに真っ先に部屋に戻って来る事になっていた。


 アンが部屋に入って来ると、ククロウは我慢が出来ずに窓の桟に捕まってアンの様子を覗った。アンがすかさずククロウを抱きかかえて頬ずりをする。ククロウのテンションが一気に上がるのが分かった。


「ククロウ、元気にしていた?」

「クッ、クウ」


 ククロウは首を伸ばしてアンに頭を撫でられる感触を楽しんでいる。もういいだろうとアダムは思うが、ククロウは時間をかけて満足するまで抱かれている。


「ククロウ、アダムの言う事を聞いて、頑張ってね」

「クッ、クウ」


 何を言っても言葉を話す訳ではないが、アダムにも満足感が伝わって来て、アンに抱きしめられる喜びを共有しているという不思議な感覚に罪悪感を感じてしまう。


 ククロウはアンの部屋の窓から外へ放たれて、満足して爽快な気分で騎士団寮へ向かって飛び出したのだった。


 6月の夜気がククロウにもアダムにも気持ちが良い。ククロウは一気に夜空を上昇するとセクアナム川を渡り、騎士団寮のアダムの窓に到着した。最短距離を飛んで来るのでアッと言う間だ。


 ククロウはアダムの窓の桟の所で、ゲールを足に捕まらせると、直ぐに貴族街に戻って行く。


 元リンデンブルグ辺境伯の下屋敷は、商業地区に近い貴族街の外れにある。王城を右に見ながらセクアナム川を渡り、商業地区と貴族街の境目近くを目指してククロウは滑空した。


 王都オーロンと言えども王城と国教神殿を除けば、大半の建物は3階建てから5階建て程度で、視界の邪魔にならないが、神の目と違ってククロウは高度が低いので、全体を俯瞰することが苦手だった。飛距離も一気に飛び渡ると言うよりは、周囲を目と耳で確認しながら、幹線道路に沿って地区を確認して行く感じだ。


 エンドラシル大使館の周りを探った事があるので、まずはエンドラシル大使館へ行き、そこから地図を見ながら屋敷を探すことにした。


 ククロウが屋敷の一番高い屋根の上に停まると、アダムはククロウの首を回して、屋敷の全体像を把握しようとした。


 正門は閉じられ、屋敷の周りには2m位の鉄柵の塀が巡らせてあった。正門を入ると車止めと前庭があり、玄関があった。向かって左手に中庭へ向かう沿道を挟んで別棟が建っている。屋敷の使用人の宿舎だと思われた。


 屋敷の塀の内は樹齢を経た広葉樹がこんもりと繁り、外からの視線を遮っている。中庭には築山を中心に色々は季節の花を咲かせる木が植えられ、今は新緑が夜目にも美しく、艶めいていた。


 静かだった。耳の良いククロウが人家の側に停まると、色々な音を拾うのだが、この屋敷は堅く閉ざされて人の気配がしない。静かだった。


「うおー」


 突然凄まじい叫び声が屋敷内から上がり、一瞬で止まった。再び静寂が辺りを占めた。今の声は何だったのか。聞き違えたのかと思えるような静けさがあった。


 別棟に動きがあった。今の叫び声に反応したのだろう。窓に明かりがともり、やはり夜の気配を探っているのが分かる。だが何も感じられず、自分を納得させて日常に戻って行く。そんな感じがあった。何も起こるはずはないのだからと、自分の心に言い聞かせる。そう、普通はそうなのだ。気にしなければ忘れられる。別棟の動きが消えたのが分かった。異様な叫び声に驚いた者も、もう忘れる事に決めたのだろう。


 辺りは何事も無かったような静けさしかなかった。

 アダムは異様な緊張を感じた。何から探って行こうかと考えたのだった。


 ◇ ◇ ◇


 床に描かれた大きな魔法陣の上に、布に包まれた母腹と目隠しをされ暴れられないように縛られたガイが転がされていた。


「どうじゃ、上手く行ったようじゃな。大きな叫び声じゃったな。驚いたわえ」

「闇の司祭よ、これで終わりか」

「ふふ、そうじゃ。これで良いはずじゃ。産まれて来る子供が楽しみじゃな」


 闇の司祭の合図で、従魔されたゴブリンが2匹現れ、施術の終わった母腹を運び出して行く。


「ガイの死骸とリタと言う娘は貰って行くぞ」

「ガイは死んではおらんよ。種の中に転生したんじゃ。もうガイの抜け殻じゃから良いじゃろう、子供たちの餌が必要だ。それにもっと子供たちが多い方が良くはないかえ」


 闇の司祭がロキに向かってにこやかに笑いかけた。しかしロキはじろりと司祭を睨み返した。身体からは殺気が膨らむのが分かった。


「俺は部下に嘘はつかぬ。それに抜け殻と言っても部下を餌にされるのも良い気がしないぞ」

「ふぉふぉ、怖いのう。そんな目で睨むなよ。いい仕事には仕上げが必要じゃ。そうは思わんのか、お前は」


 闇の司祭は怖い怖いと呟きながらも、この身は闇の御子の御心にお任せしておる、死ぬのも闇の御子の御心によるのならば、それも仕方が無いと言い放つ。これも異様な怪人なのだった。


「それより大丈夫なのか。別棟の使用人が怪しまないのか」

「ふぉふぉ、普通の人間は怖い物は見て見ぬ振りをするものじゃ。さっきの叫び声も止んでしまえば忘れられるわえ。それに、あの使用人のザップが怖いもの見たさにやって来れば、ちょうど良い子供たちの餌になるわい」


 際限の無い闇の司祭の話に、ロキが強い目で見た。この怪人の正体を見極めようと言うような目だった。


「お前、主教の指示以上の働きをしているな。闇の主教にとって代わるつもりか」

「ふぉふぉ、そんな恐れ多い。わしは使いっ走りの司祭が良いのさ。その方が闇の御子の御心に沿っておる。主教は自分の思惑に溺れそうじゃ。危ないのう。そうは思わんか、ロキよ。わしらは手先で良いのじゃよ。それ以上の思惑は闇の御子の邪魔よ」


 闇の司祭がにこやかな表情を消して、黒いガラス玉の義眼でロキを静かに見た。凄惨な顔だった。笑いの皺が、苦しみの跡に見えた。人間の彼岸を越えて、黒いガラス玉の眼は何を見ているのか。ロキには闇の司祭が今一番悪魔に近い人間に見えたのだった。

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