第97話 浮浪街の孤児院で(後編)

 リタが地下室へ食事を持って行くと、ちょうど院長が闇の司祭の所へ金策の相談に来ていた。部屋に入って来たリタを見て、院長が気まずそうに顔を上げる。


 リタはその苦しそうな表情を見ると、そそくさと持って来た食事を机の上に置いて地下室を出た。扉を閉めてその前に立つ。中からぼそぼそと2人の話す声が聞こえて来た。リタは暫くそのまま佇んでいた。


「巫女長様へ直接お願いしても駄目でしょうか」

「これまでお貸しした分の返済も滞っておりますからね。巫女長様がお話を聞かれても、お断りするしかないでしょう。担当として巫女長様をそのようなお立場にさせるのは心苦しい限りです」


 闇の司祭は国教神殿のお布施担当として、孤児院に資金を貸し付けていることになっていた。オーロレアン王国では光真教はまだまだ知られていないので、闇の司祭の風貌を見ても嘘が分からないのだった。


「お困りでしたら、役目柄お付き合いのある浮浪街の役員に口利きはできますよ」

「あの、それはどなたでしょうか?」

「賭け小屋の興行主のハリオさんです。あの方でしたら、私が口を聞けば当座のお金は融通してくれると思いますよ」

「ああ、あのハリオですか」


 孤児院長としては卒院したガイを通じて知っているので、悪い事しか思いつかない。語尾が濁ってがっかりしているのが分かった。


「何か、問題でもあるのですか」

「ちょっと、この辺りでは少し悪い噂もあるものですから心配です」

「それでしたら、もう一つ手が無い訳ではありませんが、、、ちょっと」

「それは、なんですか」

「実は、エンドラシル帝国第8公国へ派遣する巫女候補を捜しておりまして、ご紹介頂ければ、その支度金がでますよ」


 闇の司祭の話では、エンドラシル帝国第8公国へ行くとなると、この世界ではいつ戻って来られるか分からない。そのため、身寄りのない方を紹介して頂くようお願いしている。支度金もそんな事から大きなものに成ると言う。


「ご相談頂いた程度の資金はお出し出来ると思いますぞ」

「えっ、そんなに出るのですか」

「はい、行ったきりになると思って頂いた方がいいでしょうからね。その為のお支度金です」


 院長もそう聞くと、何やら人買いに子供を売るようで気が引ける。今巫女候補として出せる年齢の者はリタしかいないが、彼女は来年には浮浪街の飲食店での就職も決まっていて、それに合わせて将来の生活設計もしている事を知っているのだ。リタに犠牲を強いるのは憚れた。


「うーん、もう少し考えてみます」


 孤児院長は白髪の薄くなった自分の頭を撫でて、唸るように言うと、地下室を出て行った。

 暫くしてリタが食器を下げに地下室へやって来た。その顔には言おうかどうしようかと迷いが見える。彼女は先ほどの院長と司祭の話を立ち聞きして、ひとつの決心に心が揺らいでいたのだった。


「あの、司祭さま、先程お話されていた巫女候補の話は、私でも出来るのでしょうか」

「おお、聞いていたのかい。この孤児院もやはり大変なようだね。まだまだ小さい子供も多いから、お姉さんとしてはやはり心配だろう。だがね、この話は遠い国へ独りで旅立つ話で、身寄りの縁も切って行って貰わねばならない。ちょっと覚悟がいるからね。院長は遠慮しそうだったよ」

「はい、分っています。私の就職が決まって、みんな随分喜んでくれていますから」


 闇の司祭はにっこりと笑っていた顔を戻すと、皺に隠れていた黒いガラス玉の義眼が見え、リタを正面から見据えると、顔全体に歪んだ影が掛かったように見えた。そして口調が少し酷薄になる。


「覚悟はあるのかな。身寄りの縁を全て切ることになるよ。それでも良いのかい」

「この孤児院で暮らすみんなは私の大切な家族なんです。守るためなら何だって出来る」


 リタの必死の形相を見て闇の司祭がにっこりと笑う。黒いガラス玉の義眼が皺に隠れて、なんとも言えない優しい表情に変わった。


「そうかい、そうかい。、、、お前は優しい子だ。お前が身を捧げれば御子は大層お喜びになるだろうな」


 その慈顔が優しく呟くのをリタは聞いたが、彼女は宗教に興味がなかったので、言葉の違いや意味が良く分からないのだった。


「それではこの書類にサインしておくれ」


 闇の司祭は2枚の紙を取り出して渡した。1枚は自ら信仰のために身を捧げる事を誓う誓約書。1枚は自分が急に居なくなっても心配しないで欲しいという家族へ宛てた書置きだった。リタが手早くサインをする。


 闇の司祭はしっかりとリタのサインを確認すると、話を聞いた証人として自分もサインをした。リタはそのサインを見ていたが、不思議と名前を読んでも頭に残らなかった。むしろ自分の感情が高ぶって何も考えられないような気がしたのだった。


「それでは、身の回りの整理の時間も必要だろうから、明日の朝にこの地下室へ来てくれるかい。みんなには黙って来るんだよ。この書置きを部屋に残して置けばみんな分かってくれるから」

「えっ、そんな急なお話なんですか。それにみんなに自分だけのお別れもできないなんて、、、」


 明日の朝と聞いて、リタは急に不安になったようだった。


「おや、ずいぶんお前の覚悟も薄いものだったのかな。みんなに話して祝福してくれると思っているのかい。きっと引き留められて苦しい想いをするのはお前だと思うが」

「そ、そうですね。、、、、みんな分かってくれないでしょうね。でも私はみんなの役に立ちたい」

「そうだ、いい子だ。お前のお陰でこの孤児院もまたやっていける。後から聞けばきっとみんなに感謝されるだろう」


 リタは覚悟を決めた。時間があっても無くても同じなのだ。むしろ時間があればある程、みんなとの別れを考えて辛くなり、自分の決心が揺らぐだろう。


「もう戻りなさい。この食器を片付けたら、自分の部屋に帰って身の回りの整理をすましなさい。そして、この孤児院の将来を考えてゆっくり眠るんだ」


 闇の司祭はリタを地下室から送り出すと、明日の儀式の準備を始めた。

 床に敷いてあった敷物を剥がすと、そこには大きな魔法陣が描かれていた。ちょうど上にある1階の神像から魔力が流れ込み準備は出来ている。司祭は闇の主教から教えられた秘術を初めて自分が執り行うことに、宗教者としての歓びを感じていた。


「大いなる力を私にお与えください。”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」

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