第93話 ハエトリクモ(Jumping spider)の鷹狩り(中編)
アダムがとっさに放ったクロウ4号は、近くの壁を駆け上がった。梁を通って2階席の窓に取り付くと、そろそろと下って、部屋を覗き込んだ。そこまで30秒もかから無かった。
「あの方たちにお声を掛けるのです。ふふ、驚かさないようにね。娘のお友達だから」
声を掛けられた執事は一礼して部屋の外へ出た。
赤いベールで顔を隠したその婦人は、隣の席の男性に話し掛けた。
「あなたも、興味あるでしょう? 七柱の聖女の仲間だから」
「ほう、七柱の聖女ですか。アガタ様は色々とお顔がお広い。私も王都の浮浪街の顔役をさせて貰っていますからな、全然関係が無いとは言えませんな。色々噂は聞いております」
「あら、あなたに話が来ているなんて、まだまだ若いのに、可哀そうだわ」
「はは、ご冗談を。しがない賭け小屋の興行主ですよ」
アダムは当然その婦人を見たことが無かった。ベール越しで顔は定かでないが、元々王都に自分たちを知っている人も少ないのだ。
ゆったりとした柔らかい素材の上着は、鮮やかな赤色のリネンに見えた。左手に持った扇子で口元を隠しながら、右手のオペラグラスをかざして、再びアダムたちの方を見た。執事が声を掛けるた時の反応を見るのだろう。
「俺らが呼ばれるようだな」
アダムがみんなに聞こえるように言うと、カーターが訳が分からずドムトルとビクトールを見る。
ドムトルとビクトールはいつもの事なので、平然としていた。
「こっちを見ていると思ったが、やっぱり俺様に関心があるのかな」
「ドムトル、呼ばれてもお菓子をねだるなよ。でも誰なんだ、アダム、分かったの?」
「いや」
アダムが短く答えた時、後ろから声が掛かった。
「みなさま、アダム様とドムトル様、それにビクトール様とお見受けしました。主人がお呼びするように申しております。もうお一人の方もご一緒にどうぞ」
アダムがクロウ4号を通じて見た時は、初老の執事としか思わなかったが、振り返って良く見ると、細身の締まった身体をしている。これは武術も相当鍛えている人だとアダムは思った。
「どなたですか。我々は王都でもあまり知り合いはいませんが」
「はい、ここで名乗るのははばかれますので、どうぞ上においでください。怪しい者ではありません」
にっこりと笑う執事の表情には、人を安心させる誠実な雰囲気があった。
「アダム、行ってみようぜ。俺は面白そうだと思うぞ」
「まあ、成り行きでいいかな」
「おいおい、大丈夫か、俺も行った方が良いよな。何かあったらオットー隊長に合わす顔がないからな」
カーターだけが慎重な反応だが、アダムたちの了解を受けて執事が先に立って案内をした。
2階席へ上がる階段の前には、2人の強面の男たちが守っていたが、執事が合図を送ると道を開けてくれた。
2階席の部屋には賭け小屋の興行主とその部下、謎の婦人とその執事がいた。
「まあ、いらっしゃい、みんな。呼び付けたようでごめんなさい。どうぞ席について」
彼女はアダムに自分の隣りの席を指定すると、後は自由に座らせた。アダムが彼女の隣りで一番前の窓際の席に座り、その後ろにドムトルとビクトールが座り、その後ろで一番窓から遠い席にカーターが着いた。執事が全員にオペラグラスを配った。
「これから、私のゲールとここの興行主ハリオの先月のチャンピオン蜘蛛との一騎打ちなの。せっかくだからみんな賭けなさいよ」
「アガタ様、ここはちゃんと皆様にお教えしなければなりませんよ。わたくしのチャンピオン蜘蛛のステラは先月の勝率は15戦15勝です。お賭けになるのでしたら、わたくしのステラになさった方がよろしいと思いますよ。老婆心ながら申しておきます」
「ほほ、あのね、わたしのゲールはエンドラシル帝国では負け無しよ。爺や、皆さんに手続きを教えてあげて」
執事がアダムたちに近づいて来て、賭け札を渡し、記入方法を教えてくれる。そこには出場するハエトリグモの名前が書いてあって、どちらかを選んで印をつけて胴元に渡すらしい。今回は執事さんがまとめて渡してくれると言う。
興行主から賭け札を購入する時に札番号は控えてあるので、清算する時には間違いは起こらない。良く見ると札には値金貨1と彫られてあった。
「ちょっと、これ良いのか、アダム」
「ビクトールは何をビビッているんだ。折角の好意じゃないか」
「き、金貨1枚か、俺の月給くらいか、、、オットーさん、すいません」
突然の申し出にアダムもあっけにとられたが、婦人は笑ってオペラグラスで会場を見ながらも、背後のアダムたちの様子を伺っているのは明らかだった。さすがに受けられないとアダムは思う。
「おい、みんな、駄目だよ。まだ名前も知らない方の好意は受けられないよ」
「そ、そうだよな。俺もそう思うよ。さすがにオットー隊長に知れたらまずいよな」
ドムトルもビクトールも仕方ないかと、笑いながら執事に札を返した。そして大人のカーターが一番残念そうに札を返したのだった。
「それではご注目ください。中心のコートでメインイベントが開始されます。当賭け小屋の先月のチャンピオン、ハリオのステラとエンドラシル帝国の強者、アガタのゲールとの一騎打ちです。放ちますコバエは今回は羽根に傷を付けておりません。掛け金のベットは10分後までです。皆さん、周りを歩いている係員に賭け札をお渡しください。受付終了次第、試合を開始します」
中央のコートの係員が一際大きな声でアナウンスをした。この試合の間は他のコートでの試合は中断されるらしい。アナウンスで少し静かになった会場は、賭けに参加する人のざわめきで一気に盛り上がる。
「爺や、事前の掛け率はどうなの。うちのゲールの人気は」
「はい、奥様、やはりこちらでの知名度は高くありませんから、6:4でステラが優勢です」
「はは、アガタ様、申し訳ありませんが、前評判通りでこちらが頂きますよ」
「それはこちらのセリフね、ハリオ。事前の人気が低い方が戻りは高くなるものよ」
係の男が2匹の蜘蛛を中央の大きな籠に入れた。
リングとなる籠は上中下と3等分に柵で区切られ、一番下に蜘蛛を入れて、一番上に標的となるコバエを入れる。審判の合図で上下の仕切りの柵が外されて開始となる。
どうゆう手段で色が付けられているのか、コバエは小屋の明りの中で緑色にテカって見える。それに比べてハエトリグモは両方とも茶褐色で、オペラグラスで見ても、やっと点として認識できる程度だ。
「やっぱり近くじゃないと分からないぜ」
「はは、仰る通りでございますが、お客様優先です」
ドムトルが文句をつけるが、興行主のハリオは笑って答えた。
「それでは、賭けを締め切りました。ここからの進行は審判に任せます」
主審が立ち上がって手を挙げる。どうやら手を降ろしたら開始のようだ。会場の全員が注目する中、マイクが有る訳ではないので、そこからは騒音の中で、声も聞こえない無声映画のような情景が展開する。
チャンピオンの蜘蛛というのは、何が違うのだろうか。アダムは近くで見るべくクロウ4号を走らせる。
コートの中央の籠は2m四方はある。金網か竹ひごか分からないが、枠となるのはやはり金属なのだろう、重さを軽減するために天井から鎖で補強されていた。
アダムはクロウ4号を天井からその鎖に取り付かせ、下へ降ろして行った。観客や係員も天井から下って来るクロウ4号には気が付かない。コバエを入れる時には係員が上の柵を開けるので、用心して少し上で様子を見る。
「標的のコバエをいれます」
審判の声で係員がコバエを入れた。緑色にテカっているので銀ハエに見えるが、体長は一回り小さいのが分かった。籠の上部に入ったコバエは動かない。
「始め!」
審判の手が降ろされ、係員が籠を仕切っている柵を外した。下の方に入れられていたハエトリグモが頭を動かして、周辺の状況を探っている。2匹が同時に動いた。するすると2匹は網を上がって来る。コバエがそれに気が付いて逃げ始めた。
ハエトリグモが上がって来ると、壁伝いに走って逃げていたコバエが突然飛んで対角線に反対側の網に取り付いた。一旦仕切り直しだ。ハエトリグモの眼は8つある。360度の視野を持っているが、良く見えるのは前の2つの眼なので、素早く頭を動かしてコバエとの距離を測っている。
遠くから見ていると同じ茶褐色に見えた蜘蛛も、近くで見ると少し柄が違うのが分かった。やや細かい柄の方は脚が長くて毛が少ない。柄の大きい方は少しずんぐりしていて、びっしりと毛が覆っていた。
「あの、遠くから見ると、蜘蛛の違いが分からないのですが、特徴はあるのですか」
「ゲールはステラに比べると、少しずんぐりしていて、毛深いかな。ステラの方が脚が長くてスマートよ。ゲールは走るスピードが早くて、ステラはジャンプ力があるかな」
アダムが聞くと、すかさず婦人が教えてくれた。アダムはこれで識別できるようになった。
アダムが見ているとゲールは着実に追いかけて隅に追いやって仕掛けるようだ。それに比べてステラはやや上部に取り付いていて、コバエが飛んだ瞬間に自分も余裕で飛び渡った。しかも尻から糸も出して羽にかすれば動きを止められそうだ。
「アダム、どっちが優勢なんだ。教えてくれよ」
「ゲールが正統派で、ステラが技巧派だな。コバエが疲れたらゲールの勝ちで、逆にステラはゲールに追わせてタイミングを図って飛び掛かる感じだ」
「アダムはさすがに蜘蛛好きなだけあるな。分かり易い解説だ」
カーターがアダムの解説に感心している。クロウを使って近くで見ている何て考えもしないだろう。
勝負は暫くして決着がついた。地道に追いかけまわしたゲールが先に捕まえた。運動量が半端なかった。コバエは2匹のハエトリグモに追い掛け回され、精魂が尽きた感じだった。
「アガタのケールの勝利です。計算にしばらくかかります。払い戻しはもう暫くお待ち願います」
係員が大声を出して試合が終わった。会場内に溜息のような間が開いたが、直ぐに喧騒が戻って来た。周りのコートでは直ぐに、いつもの対戦が始まったのだった。
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