第92話 ハエトリクモ(Jumping spider)の鷹狩り(前編)
アダムたちはアンをエルフの村へ送り届けた後、時間があったので、浮浪街へ行くことにした。
ゴブリンを下水道で捜索している際、第6警務隊の1人が浮浪街でハエトリグモの鷹狩りが流行っていると話したのを聞いていたからだ。アダムはオットー隊長からその話をした隊員を紹介して貰っていた。
第6警務隊の詰所は、ちょうど第2城壁の第6門の内側に在って、門を抜けると城壁外の浮浪街が広がっている。
アダムたちが騎馬で第6警務隊へ行くと、ちょうど都合よくその隊員が交代勤務で休憩していた。
「ああ、アダム君か。第6警務隊のカーターだ。オットー隊長から聞いているよ。七柱の聖女の兄だと聞いたが、君がオットー隊長にあの幸運のハエトリグモを貸したのかい」
受付で呼び出すと、カーターは早速出て来てくれた。手には虫籠のような物を持っていた。
「よろしくお願いします。ハエトリグモの鷹狩りに連れて行って貰えると聞いて来ました」
「はは、オットー隊長にも言ったけれど、他の第6隊の連中には内緒だよ。ほら、これを見てくれよ。中々強そうなハエトリグモだろう? 先週の試合では活躍したんだよ」
アダムがドムトルとビクトールを紹介すると、すかさず自分の蜘蛛を自慢して来た。他の隊員には秘密だと言いながら、これでは周りの人間にもバレバレだと思われた。ハエトリグモの鷹狩りに夢中なのだろう。この間の話では結構な掛け金が動くと言っていた。賭け事は一度味を占めると中々忘れられないと言う。
「あの、その籠のような物は何処で手に入るのですか。自分も持ち運ぶのに良いのが無くて」
「ああ、案内するよ。試合をやっている小屋の近くで色々ハエトリグモのグッズが売られているから。その代わりと言うと何だが、君のハエトリグモも見せてくれないか。オットー隊長の処で見た奴は立派だったからね。何か訓練する工夫とかあるのかい」
アダムがクロウ4号を出して、容器から手の平に乗せると、カーターは目を輝かせてその様子を見ていた。
「おお、やっぱり凄いよね。まるで君の言う事が分かるように動くね」
しきりに利口だとか、大人しいとか、賛辞を送ってくれる。
「当たり前だよな、アダムが操っているんだからな」
ドムトルが小声でビクトールに言うが、ビクトールは黙っていろと無視をした。
「ちょっと待っていてくれ。ちょうど今日は交代勤務明けで明日は休みなんだ。着替えて来るよ、警務隊の制服では行けないからね」
「あの、良いのですか。ゴブリンだけじゃなくて怪盗騒ぎもまだ決着がついていないでしょう」
「ああ、でもね、ゴブリンの騒ぎになったら、怪盗がすっかり影を潜めてしまってね。今はそっちはもう大丈夫なんだよ。だからね、直ぐ戻るからね」
カーターはもう行く気満々で着替えに行った。
確かに最近ペリー・ヒュウからも怪盗騒ぎの話は出てなかった。アダムは2つの事件に何らかの関係があると考えていたので、やはりと言う気がした。
「アダム、お前も試合にクロウを出したら行けるんじゃね。俺たち一攫千金じゃないか?」
「いや、ドムトル、それいかさまと同じだろう」
「ドムトルもビクトールも、落ち着けよ。クロウが俺の言う通り動くだけで、他のハエトリグモよりコバエを捕まえるのが得意なのとは違うからな。試合は本能任せでも強く無いと勝てないだろう」
「そりゃ、そうか。アダムが捕まえるのが得意なんじゃないものな。でも、これからクロウを特訓すれば、行けるんじゃないか」
ドムトルは未練がましく色々考えを膨らましているようだ。アダムはそんな様子を見て笑ってしまう。
「アダム、クロウに火玉を出させたら良いじゃないか? 負けそうになったら、試合の会場ごと燃やしてしまって大騒ぎだぜ」
「ドムトル、お前の頭は際限が無いな」
ビクトールが呆れているが、アダムはそれは考えていなかった。でも、可能性はある。これからリンクの度合いが高まって行けば、十分考えられるような気がする。この世界は魔素に満ちているのだ。理力で認識できれば魔法は発動すると習ったではないか。アダムは後で色々やってみようと思った。
「いやいや、お待たせ」
カーターが戻って来ると、アダムたちも騎馬を第6門の詰所に預けて、浮浪街へ出た。カーターはもう真直ぐに賭け小屋に行くようだ。
「おい、ビクトール、やっぱり浮浪街って少し臭いな」
「ああ、少ししたら慣れるさ」
カーターはそう言うが、ドムトルの言う通り、浮浪街に入った途端に、少し野菜の腐ったような臭いがする。城壁内でも第6門の近くの工業地区は綺麗な街並みとは思えないが、浮浪街は一段汚れが目立つ。建物も急場しのぎの木造建が多くなり、あちこちの路地裏には浮浪児がたむろしていた。
浮浪街にも目抜き通りと言うのがあって、第6門から抜ける街道は広い。カーターは暫くそのまま行ってから右に曲がると、見世物小屋のような小屋掛けが集まった広場に出た。
「おおい、そこの兄ちゃん達、寄って行かないか。今日の試合予定と勝敗予想を売ってるよ」
広場には一段高くなった台に立って、予想屋が大声を上げている。その周りを取り囲んで、賭けに来た大人達が集まっていた。アダムは地球時代に大森の独身寮に入っていたことがあったが、昭和島の競艇が立つ日には、大森駅から競艇へ向かう道筋に同じような情景を見た覚えがある。
こういう場所には立ち飲みの酒屋なんかもあって、中々猥雑な雰囲気がある。
「おお、すげぇな」
ドムトルは都会暮らしそのものも知らないから、こんないかがわしい雰囲気には慣れていない。ビクトールも同様だった。周りの大人たちの興奮が伝わって来て、気分がハイになっている。
「アダム、小屋毎に仕切っている興行主が違うんだ。こっちがいつも俺が入る小屋だ」
カーターが指を指した賭け小屋は、広場に並んだ小屋の中でも一番大きなものだった。カーターの後に続いて中に入ると、小さなホールのような部屋に、中心に試合場となる籠を置いて、周りに人が集まって見物できるようになったコート(試合場)が6面作ってあった。
それぞれの籠には差配する係がいて、単純に試合ごとに蜘蛛に金を掛けて、勝者に掛けた者が場の手数料を引いた後の掛け金を分ける形式で、試合が催されていた。係の者はハエトリグモを放ったり回収したりする者と掛け金を集めて計算して清算する者がいた。別に一つの籠には2人づつの審判員も着いていた。
「中の二つのコート(試合場)は、トーナメント戦をやっていて、先月の勝率の高い蜘蛛しか出場できないんだ。周りの4つのコートでは飛び入り参加も可能なんだよ」
カーターの蜘蛛は残念ながらまだトーナメント戦には出場できないので、休日には飛び入り参加をして、実績を積んでいる所だと言った。
「あの真ん中のコートを見に行くのは大変だな。凄い人だ」
「カーター、ここなんか治安は良くないのかい」
「いや、この中は喧嘩はご法度なんだ。良く見てご覧、強面の連中がうろついているだろう。場を仕切っている興行主が雇っている悪だよ。でもここはそういうヤクザの稼ぎ場所だから、客には乱暴しない。まあ、あんまりしつこい客は隅に連れて行って殴って外に放り出すくらいだろう。そういうしみったれた連中が客の中心なんだから。あいつらもそれは分かっているんだ」
警務隊の隊員であるカーターもここでは職務を忘れているのか、まったく他人事だ。
一度に放つハエトリグモは4匹だった。そこに羽に少し切り目を入れたコバエが放される。見物人に分かり易いように、コバエの方には何かで色が付けられて、籠の外からでも目で追えるようにしてあった。カーターの話ではハエトリグモの方は飼い主が識別できると言う。アダムはクロウを自分の身体としてすぐ近くで拡大して見ているから分かるが、普通の人には分かるだろうかと疑問に思ってしまう。でも金が掛かると人間は何でも出来るのかも知れなかった
「アダム、あのハエトリグモは大きくないか」
ドムトルが言う通り、やっぱり個体差がある。中には目に見えて大きく見える蜘蛛もいる。
「いや、ドムトル、大きければ良いとは行かないところが面白いんだよ。相手を倒すんじゃなくて、コバエを捕まえるんだからね。小さくても敏捷で、目の良い蜘蛛がいいのさ」
カーターの言う通り、基本的には身体の大きな蜘蛛が有利だと思うが、そればかりではないだろう。ハエトリグモの寿命は3年位と聞いている。アダムは自分でも繁殖させて優秀な蜘蛛を作る必要があると考えていた。そうなると、きっとこの競技に参加しているオーナーも同じことを考えているに違いない。
「カーター、ハエトリグモを育てているブリーダーで有名な人はいないのかい」
「ああ、それがね。エンドラシル帝国の帝都で有名な興行主が来ているんだ」
アダムは日本の江戸時代にもハエトリグモの鷹狩りが町民の間で流行っていた事は知っていた。やはり誰も考える事は同じなのか、カーターの話ではエンドラシル帝国の奴隷の間で流行っているそうだ。
「ほら、みんな顔を上げて見てご覧。2階席があるのが見えるかい。あそこに興行主の部屋があるんだが、ここのところ、あそこに帝国の客が来ているらしいよ。何でもエンドラシル帝国では被征服民の奴隷が多いから、身分は変えられないから、一攫千金を狙って奴隷の間で凄く流行っているらしいよ。ハエトリグモなんてどこでも手に入るからね。むしろ貴族なんかよりも強い蜘蛛が獲れるかもしれない」
「おい、2階席の客が俺たちを見ているせ」
ドムトルの言う通り、こちらがみんなで見上げているのが分かったのか、2階席の窓から裕福そうなご婦人がオペラグラスを片手にこちらを見ているのが見えた。
「いくらオペラグラスを持っていても、この小さなハエトリグモの勝敗は分からないだろ。それともこのドムトルを見ているのかな。ええ?、ビクトール」
「違うだろ、お前みたいな怪しい奴がいないか見ているのさ」
しかし、その女性はオペラグラスを降ろすと、後ろに立っている従者に声を掛けているのが見えた。何か、予感めいたものを感じて、アダムはクロウ4号を近くの壁に放ったのだった。
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