第77話 命の宝珠

「良く来ましたね」


 アンが国教神殿の政務室の窓口に巫女長への面会を求めると、直接本人が出て来た。変わらない暖かい微笑で迎えてくれた。前回訪問した後で、巫女長の都合を伺っていたので、王城での打ち合わせの後で、間に合うようであれば、訪れようと考えていたのだった。


 外は日が落ちて暗くなって来たが、国教神殿の中は灯りが煌々と灯されて、参拝客の往来も絶えない。


「少し歩きますが、私の部屋へ行きましょう。そちらの方が落ち着きますから」


 巫女長は先に立って歩き出したが、巫女長の部屋は随分離れた所にあるようだった。国教神殿の敷地は本当に広いが、主要な官位の巫女長があんまり離れた所にいるのは不便だと思われた。政務用の部屋では無くて、本当にプライベートな部屋なのかも知れなかった。


 アンは前回見たことがあるような小部屋に入ったので、巫女長の部屋が上階にあることが分かった。巫女長は笑いながらアンの様子を見ていたが、アンにも分かるように、壁の片隅にある紋章を示しながら魔法を発動した。

 前回は90m位も上階に上がったが、今回もそれ以上の高さがあるように感じた。アンは身体が床に圧しつけられるように感じて身構えた。


「慣れたようですね。私の部屋は国教神殿の4つの塔の中で、月の女神の塔と呼ばれています」


 月巫女の居室は月の女神の塔にあると言う。アンは確か4つの塔は150mの高さがあると聞いたことを思い出した。自分が立っている場所は140mの高さはあることになる。月巫女が扉を開けると、前回は外が見える通路になっていたが、ここは3部屋くらいあるフロアのリビングのようだった。


 正面の窓から王都の夜景が見える。


「月巫女さま、外を見ても良いですか」

「どうぞ。随分高いでしょう。この時間はもう暗いので、王都の町の灯りが綺麗だと思いますよ」


 巫女長の言う通り、正面に王城が見えて、その周りに遠く市街区の町の明りが見えた。まだまだ春の夜の空気は冷たい。澄んだ空気の中でそれはキラキラ光って見えた。


「アンには話しますが、この国教神殿の塔は、かつてのエンドラシル帝国との聖戦では、魔法的に王都を守る機能を担っていました。4つの塔で合わせて機能する守りの魔法が働いたと言われています」

「それは今でも機能しているのですか」

「いいえ。今は忘れられていますが、かつては、神殿に集まった信仰の願いが、世界の魔素を取り込み、大規模な神代魔法が働いたと言われています。そのための魔法陣が4つの塔それぞれに描かれているのかも知れません。今はその言い伝えがあるだけです」


 それは遠い昔の話のように聞こえるが、闇の苗床に見るような「純粋な悪」の存在を考えると、アンには、どこかに無ければならない確かな守りのような気がした。それが信仰なのかも知れなかった。


「アンにはこれを渡すように月巫女様から言われています」


 傍らに立った巫女長が、緑色の魔石を繋いだ宝珠をアンに渡した。


「これは、何ですか」

「これは『命の宝珠』と言われています。かつては『月の涙』と一緒に、あの方をお守りしていたものです。手に着けて見てください」


 アンは巫女長に言われたように、左手の手首に着けて見た。手を入れるとブレスレットのようにぴったりと手首に巻き付いた。


「命の宝珠に魔素を流しながら、『命の輝き ”Luceat vitae”』と唱えなさい」

「命の輝き ”Luceat vitae”」


 アンが唱えると、命の宝珠が淡い緑色の光を放ちはじめる。アンは恐る恐る魔素を流し始めると、流す量に応じてその淡い輝きが辺りに広がって行く。上限は無いのかどんどん魔素を吸われて行くので、アンは不安になった。


「そうです、自身の魔力の加減で効果範囲が広がります。これはこの光の中にいる者の生命力と魔素の回復力を増大させる守りの魔道具なのです。これからご自分で色々試してみて、効果範囲を体得してください。周りにいる人間には、大きければ大きい程喜ばれるでしょうが、自分の魔力が足りなくなります。状況に応じて使い分ける練習がいるのです」


 アンは巫女長に言われたように、注ぎ込む魔力を調整して、光の範囲を大きくしたり、小さくしたりしてやって見た。きっと効果範囲の大きさの基準を作って、さっと出せるようにする必要があると思った。


「あの、どうしてこれを私が頂いていいのでしょうか」

「これは前の七柱の聖女様から月巫女様が引き継がれた神具なのです。月の涙で身を守りながら、命の宝珠で周りの人間を救うのです。月巫女様は同じ人間が持っていては、一緒に失われる危険があるので、命の宝珠は代々の巫女長が受け継ぐ形にして、次の七柱の聖女が現れた時に間違いなくどちらかは渡るように手配なされたのです」

「でも、なぜ今なのですか。まだお二人ともお元気です」

「いいえ、月巫女様はエルフなので長生きですが、その間に巫女長は何人も変わりました。その月巫女様も今はご高齢です。私は月巫女様が2つを分けて残された意味があったと思います。今こうやって、生きている内にあなたに渡すことができました。それに、今悪との新たな戦いが始まっているようです。それはアンも感じているでしょう」


 巫女長もアンやアダムがこれまで出会ってきた出来事について報告を受けているのだろう。それはアンも感じている。


「それに、私たちでは命の宝珠を生かせるだけの魔力がありません。宝の持ち腐れですし、私たちが使っては自分自身の魔素を使い切って返って体のために良くないでしょう。アンとアダムの戦いに生かして欲しいのです」

「巫女長さまもこれまでの経緯をご存じなのですね」


 アンが言うと、巫女長は少し考えてから言った。


「アン、巫女長は月の女神のご加護を頂いた巫女が引き継ぎます。それは光魔法の神託を受け継いでいるからです。私は神託であなた達がこれからの苦難のために使わされたことを知りました。それは神殿と国家にご報告しています。代々の巫女長が居る中で、このような奇跡に出会える栄誉を受けたことを私は感謝していますよ」


 巫女長はアンをしっかりと抱きしめた。やはりメルテルのようだと、アンは思った。アンもしっかりと巫女長に抱き着いた。


「アン、月の女神のお力は、共感力なのです。親和力と言っても良いかも知れません。ですから月の女神のご加護を受けた巫女長はご神託を受けることが出来るのです。それに比べて、あなたは七柱の神々のご加護を受けているのです。更に出来ることは計り知れないでしょう。私が聞いている話では、七柱の聖女は過去の出来事を遡って追体験するような共感力を持っていたと言います。突然白昼夢のような世界を見るかも知れませんが、心配する必要はありません。それには必ず意味があって、あなたはそのメッセージを受けることが出来るのです」


 アンはカーナ・グランテが叙事詩を朗読するのを聞いて、不思議な映像を見た気がしたのを思い出した。もしかすると、あれはその表れだったのだろうか。


「それは良い事なのでしょうか。何か不安です」

「アンにはアダムがいるではありませんか。七柱の聖女は勇者ではありません。しかし七柱の聖女を支える勇者がいます。そしてアンもその勇者を支えるのです」


 巫女長は抱きしめていたアンを離して、両肩に手を置いたまま、アンの目をしっかりと見詰めて言った。にこやかな普通の小母さんだった巫女長の目が少しきつくなって、厳粛で神々しい光を帯びているような気がした。神託を受ける時はこんな感じになるのかも知れないと、アンは感じた。


「それと最後に、月巫女様からの伝言があります」

「まあ、それはどのようなお言葉ですか」

「王都オーロンのボロニアムの森にはエルフの村があります。その村の村長は月巫女様のお兄様です。一度遊びに行くようにという伝言です」


 巫女長の話ではボロニアムの森にはエルフの村があると言う。このことを知っているのは、王国と神殿でも主要な人間だけで、森にはエルフの結界が張ってあるので、普通の人では森の中を歩き回っても、まったく気が付かないらしい。


「それは、どうすれば入れるのですか」

「既に月巫女様からあなた達の事は伝わっているそうです。森の中に湖があって、その畔に遺跡があります。そこで命の宝珠を使えば、エルフの迎えが来てくれます」

「巫女長様は行かれたことがあるのですか」

「ええ、私も若い時に、月の女神の『神託の魔法』を受けに参りました。でも一度きりです。普通、エルフは秘密主義で、人には会わないのが普通なのです」

「分かりました。アダムたちと一度行ってみます」


 アンは月巫女が好きだった。月巫女の兄と聞いて是非会いたいと思った。光魔法について何か教えてもらえるかも知れない。きっとアダムもドムトルも行きたがるだろう。アンは必ず行こうと心に決めたのだった。


「それでは、お茶にしましょう。ちゃんと調理担当者にお願いして、焼き菓子を用意してありますよ。ドムトルへのお土産もあります」


 巫女長がにこやかに笑うと、先程の雰囲気は無くなって、もう普通の小母さんの表情に返っていた。それからしばらく、アンは巫女長の相手をして、美味しい焼き菓子とお茶で楽しい時間を過ごしたのだった。

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