第75話 ゴブリン対策会議(前編)

 アダムはいつも通りに早く起きると、騎士団のグランドに出て自主練をした。準備運動をして、拳法の体裁きを練習している内に、昨日のクロウとの冒険を頭の中で整理する事ができた。何をするにしても、関係者に早く報告すべきだと言うことが結論だった。


 アダムは一連の訓練を終えると、昨日とお同じ場所で蜘蛛を探して回った。今度はクロウの動きをよく見ていたおかげで、ハエトリグモの居そうな場所が予想できるようになったのか、何匹か捕まえることが出来た。

 虫籠がなかったので、木のカップに入れて、蓋代わりに布で押さえて紐で括って止めた。アダムは後で虫籠のような物を探そうと心に書き留めておく。


 騎士団の朝練で会ったドムトルとビクトールには後で報告があるので声を掛けると言っておいた。今日は学園の授業で実技はないので、別行動になるからだ。2人は直ぐに話を聞きたがったが、後で話す内容と齟齬が出ては、関係者の内部で混乱するので止めて置いた。


 アダムが学園の教室に入ると、既にプレゼ皇女もアンも席に着いていた。アダムが挨拶をして近くの席に着くと、教室の隅に控えていたスミスがやって来て、アダムとアンに紙を渡して来た。折りたたまれた麻紙を開くと、今日は学園の終了後に王城で会合があるので出席せよと書いてあった。振り返ってスミスを見て頷くと、彼女も了解の合図を返してくれた。


 アダムは他のみんなの目があるところで、プレゼ皇女だけに話しかけるのは具合が悪かったのでちょうど良かったと思った。

 始業の鐘が鳴る前に、カーナ・グランテが入って来た。続いてマリア・オルセーヌ、ペリー・ヒュウと続いて入って来る。


「ギリギリに入ってくる奴の気が知れんな。貴族はもっと余裕をもっていたいものだ」


 随分前から授業の準備をして待っていたマックス・グランドが眉をひそめて来る。実力考査の時は、自分のトイレの為に試験の時間を遅らせたくせに、自分勝手な奴だとアダムは思う。それにまたお追従で頷く取り巻きの貴族の子弟がいるのも、馬鹿らしく思った。


 地球時代のアダムも学校では優等生では無かったし、受験戦争世代のアダムは授業にそれ程期待してもいなかった記憶がある。むしろこの世界の授業の方が面白いと思うのは不思議だった。


 そもそも、学園の直ぐ北にある騎士団の独身寮に入っているアダムや、王城から直ぐ来れるプレゼ皇女には、学園に来るのはほんの直ぐのことだが、貴族街から来る他の生徒たちは、王城をぐるりと回ってからセクアナム川を渡って来るので、馬車でも結構な時間が掛かるのだった。


 今日の授業の1限目は国語の授業だった。先生のアニエス・ロレーヌが選んだテキストは、神聖ラウム帝国の有名な吟遊詩人イスカルデが書いた叙事詩「放浪の旅」だった。


 始業の鐘の音と共に入って来たアニエス・ロレーヌが教本のテキストを開き、カーナ・グランテに朗読させた。

 カーナ・グランデは立ち上がるとテキストを前に掲げ、大きな声で朗々と読み出した。


「さあ、酒を持って来い、酒を。

 ああ物語の神、知恵の神ソイの娘のアトニスよ、

 私にこの神の物語を語る栄誉を下さい、

 私の口はあなたの想いで溢れそうです。

 そうだ、アトニスは知っているこの物語の真実を、

 思慮の足りないトールの口を使って人々を騙し、

 迷わせて、忠実な男を殺させた真実を、、、、」


 声楽を実技で取っているカーナ・グランデの声は、お腹から出て来るのか、教室中に響いて聞こえて来る。これには口煩いアニエス・ロレーヌもうっとりと聞きほれている。さすが母国人の原作だけあって、抑揚も不思議な音程が有って、聞かせてくれた。


「この叙事詩特有の書き出しを覚えて置いてください。彼には色々な作品がありますが、この書き出しが一つのパターンとして繰り返し使われています。

 ①さあ、酒を持って来い、酒を。

 ②ああ物語の神、知恵の神ソイの娘のアトニスよ、

  私にこの神の物語を語る栄誉を下さい、

  私の口はあなたの想いで溢れそうです。

 ③そうだ、アトニスは知っているこの物語の真実を、、、、

 この3つの要素に出て来る固有名詞を変えることで、色々な叙事詩の出だしが語られます」


 アニエス・ロレーヌの説明の途中で、アンがぼうっと、意識を飛ばしているように感じて、アダムはアンを注視した。


「アン、どうした。気分が悪いのか」

「いえ、アダム。何か頭の中に映像が浮かんで来たの。もしかしたら、カーナの歌声に酔ったのかも知れないわ。あのリズムに反応したのかも」


 アンはもう大丈夫だと言ったが、アダムは授業が終わるまで気がかりだった。それと、アダムはカーナの歌声で教室の中で魔素の流れが動いた気がしたのだ。カーナの歌声か、叙事詩の言葉が問題だったのか、もしかすると神文の要素があったのかも知れないと感じた。


 学園の授業が終わった後、アダムとアンはみんなに挨拶をしてから、プレゼ皇女とは別々に王城に向かった。スミスからドムトルとビクトールにも指示が出ていたので、王城の車止めで待ち合わせをして、いつもの控室に入った。


 王城の門番も侍従たちも、すっかりアダムたちの顔は覚えていたので、すんなりと王室のプライベートな領域に入ることが出来た。

 侍従に用意が出来たと呼び出されて、アダムたちは前と同じ、オルセーヌ公の執務室に続く会議室に入った。クロード・ガストリュー子爵は前回と同じで、オルセーヌ公の正面でアダムの横に座って待っていた。


 前回と違い、ひとりの壮年の貴族がアラン・ゾイターク伯爵の横に座っていた。


「パリス・ヒュウだ。いつも息子が世話になっている」


 神経質そうで少しピリピリした感じがする。やはり息子と同じで痩身で背が高く、手足も長い。どこまでアダムたちの事を聞いているのか分からないが、慎重に見極めようと考えているのかも知れなかった。


「みんな、良く来てくれたね。今日は前回の打合せから、進展があったことを報告して貰う。みんなも一緒に聞いていてくれ」


 オルセーヌ公がパリス・ヒュウの顔を見ると、本当にいいのですかと目でオルセーヌ公に聞いている。オルセーヌ公が頷くと、みんなを見回してから話し出した。


「まず指示のあった、空き家の捜索ですが、王都の貴族街と商業地区はあらかた終わりました。現在は南東の工業地区を中心に捜索を進めています。昨日、実はエンドラシル大使館を出た荷馬車をつけていたところ、南東の工業地区の倉庫に入りました。部下が様子を伺っていたところ、女剣士奴隷が切り込んだようで、大きな騒ぎになりました」


 パリス・ヒュウ伯爵の話では、騒ぎを聞きつけて官憲が入った時には全員が逃げた後で、めぼしい成果は無かったこと。後をつけて行った部下も、1人では中に入れず、中で何が起こっていたのかは分からないとの事だった。


 その時、現場から飛び出して来た獣人をつけたところ、南東側の第6門外の浮浪街に入った所で見失なったと言う。現在部下にその付近の捜索に当たらせていると話があった。やはり第2障壁を越えた浮浪街は官憲でも捜索のしようがない様子だった。


「次に下水道の捜索の件ですが、王立アカデミーの図書館から昔の地図を手に入れて、捜索に入れる入口を探しているところです。こちらはセクアナム川に注ぎ込む排出口を川上から捜索する手配にしています。現在の所は、やはり捜索範囲が広くて苦戦している状況です」


 パリス・ヒュウ伯爵は王都の下水道を記した古地図の写しを机の上に出して見せた。アダムは昨日の暗渠の入口の在りかを地図で探すが、良く分からなかった。


「そうか、ご苦労様。グランド宰相から、何か特別な指示はあったかい?」

「いえ、特に具体的な指示はありません。それに今は、まだケイルアンのゴブリン退治とソンフロンドでの盗賊団討伐の延長線の話として、不審者を捜索していると報告しておりまして、エンドラシル帝国大使館のことも光真教のことも、まだ話しておりませんから、分からないのだと思います。言うと、大使館の中を捜索しろとか言われて、返って身動き取れなくなりますから」


 パリス・ヒュウ伯爵はきっぱりと言った。ブランド公爵の立場では、エンドラシル帝国と喧嘩をするつもりはないが、仲良くするつもりもないので、こんなことがあれば要らぬ配慮はしないに違いない。しかし、それだとアリー・ハサン伯爵やリンとも敵対してしまい、返って敵を増やすことになるとアダムは思う。


「あの、これで終わりのようであれば、私から報告があります」


 アダムは国教神殿の聖遺物を見に行って、新しい魔法を習得したことから話し出したのだった。

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