第74話 ハエトリクモ(Jumping spider)の冒険その2
「どうした。何か不満でもあるかの」
闇の司祭がガイに聞いた。ガイがいかに強く睨もうが、闇の司祭は見ていない。見えないのだ。
「俺も孤児だった、、、、」
ガイがぼそりと呟いた。
「何を言っておる。志願者以外は受け入れておらぬよ」
「分かっている。それが不条理で許せないのさ。俺は因果応報を信じている。俺は随分悪いこともやって来たから、死ぬ覚悟はできている。だか善行を悪行で返すのは違う気がする」
闇の司祭の顔から笑いが消え、2つの黒いガラス玉の目が虚無を睨んだ。
「善も悪もない。神の意に沿うのみだ。もう行け。”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」
ガイが部屋を出ようと壁際を通った時、アダムはクロウに蜘蛛の糸でガイのマントに引っかけ、その背中に取り付いた。ガイも闇の司祭も特に反応は無かった。
ガイは中庭に出ると、神殿の裏手に停めてあった荷馬車の御者台に登り、荷馬車を出した。そのまま沿道を通り抜け、通用門から貴族街に出た。
ちょうど西日が差し始め、晴れた青空が藍色を帯びて来た。ここから一気に日差しが弱くなって来る。どこに行くにしても目的地へ着く頃には日が暮れているかも知れないとアダムは思った。
荷馬車は貴族街を右に折れ、市街の南東部を目指して進んで行く。第1城壁を回り込むように南に進んで、王都の工業地区へ入った。そのままセクアナム川に出ると、中洲に出来た職人街に進み、1軒の倉庫に入った。門の所でこれも獣人の門番に合図をすると、黙って中へ進み、川岸の土手に作られた桟橋の所で荷馬車を止めた。
アダムがクロウを荷馬車の幌の上に登らせて見ていると、仲間の獣人がやって来て荷馬車から大きな荷箱を降ろして荷船に運び込むのが見えた。
「おい、注意しろよ。中には大事なものが入っているんだ」
ガイが箱を運ぶ手下を叱りつけた。荷箱を荷船に乗せる時に桟橋の手すりにぶつけたからだ。
「すいやせん。ガイさん、中身はなんです?」
「何でも良い。お前も知らない方がいい」
どうやらガイは不機嫌なんだと手下も気が付いたようで、それ以上は話し掛けなかった。
灯りの準備をした男が桟橋と荷船にランプを持ってやって来る。
「暗くなったところで、この間と同じ場所に運び込め。前と同じ手配だ。いいか」
頭を下げる手下に有無を言わせずにガイが指示をした。アダムはクロウを走らせ、桟橋から荷船に飛び移らせた。この荷物の行先と中身が気になったからだ。ガイは部下に任せて荷物には付いて来ないようだった。次第に辺りが暗くなって来た。
「まてまて、そっちは行っちゃいかん」
制止する手下の声と共に、どかどかと大勢の人間が入って来た。
「その荷船を押さえろ。中身を確認するんだ」
甲高いリンの声がして、アダムは誰が入って来たかが分かった。周辺で剣戟が始まる。女剣士奴隷たちが獣人に切りかかった。桟橋の荷船に走り込もうとしたリン達の前にガイが立ちふさがった。
「行け、行け、舟を出せ。早く行け」
ガイが荷船の手下に声を掛けた。手下が桟橋のもやいを解き始めた。リンが飛び込むように切り込んだ。ガイが応戦して激しい切り合いになった。手下は慌てて手が震えるのを我慢して結び目を解いた。荷船が桟橋から離れ始めた。
「待て、その荷船待たんか」
「お生憎さま。邪魔はさせんさ」
アダムは荷船の上からリンとガイを見ていたが、両者の戦いは決着がつきそうになかった。双方の中でも二人の実力が抜きん出ていて、他の戦いは色あせて見える。乏しい灯りの中で、全体的に女剣士奴隷たちが押しているが、獣人たちは無理をせずに逃げ出すつもりのようだった。荷船を出してしまえば死ぬ気で戦う気がないようだった。このまま日が落ちれば、追跡は難しいだろう。
「お前ら、荷船が逃げたら、ここに用はない。無理して怪我をするなよ」
逃げれば良いガイの方が余裕があるように見えた。荷船が岸を離れていくので、クロウの目では戦いの決着を見届けられそうになかった。岸から離れるにつれて、直ぐに分からなくなった。
セクアナム川は北西に緩やかに流れていて、2人の手下が長い竿で流れに乗せようとしていた。
「おい、右岸に注意しろ、橋の下の水路から下水道へ入るぞ」
帝都オーロンの工業地区は中州を跨いで何本も橋が架かっている。工業排水の排水溝が河岸に幾つもあった。川岸は堅牢な石造りの建物が立ち並んでいるので、排水溝の入口も川の流れ側からは見えても、陸側の道からは建物が邪魔で見えない。これはククロウでもいなければ追跡して見付けることは難しいだろう。
オルセーヌ公の話では、王都オーロンには下水道が何本も掘られていて、セクアナム川に注ぎ込むように造られているが、それは地下で交差して繋がっていると言う。従来から逃げた動物や魔物が棲み処としており、不用意に入ることは危険だという話だった。
エンドラシル帝国との聖戦時代には、下水道から王城に侵入しようとした帝国軍と熾烈な戦いもあったと言う。王立アカデミーの図書館にはその時代の地下水路の地図が残っていると言うが、その状態を確認したものはいない。
「注意しろよ。もう直ぐのはずだ。橋げたの横に突堤と扉がある」
「分かってる。うるさく言わなくても良い。船でしか行けないようになっているんだろ。俺は前にも来ているんだぜ」
2人の手下が言い争うに言葉を交わしている。先程の襲撃を受けて、気が立っているのだ。
「なあ、あれ女剣士奴隷のリンだろ。ガイさん大丈夫かな」
「平気だよ。王都の暗殺ギルドでも凄腕で通っているんだ。威張り散らしていたレイなんかより、よっぽど頼りになるんだ」
目的の場所についたのか、ひとりが竿で小さな突堤に付けると、ひとりが突堤に飛び乗って、橋げたの根本近くに走り寄った。金属の擦れる音が響いて、扉が開いたようだった。
「こっちに回り込むように入れろ。足元暗いからな」
おう、と答える声と共に、荷船が暗渠あんきょに入ったのが分かった。再び扉が閉められる音がした。船のランプに照らされて奥に続く水路が見えた。そこは水路の入口に作られた、荷捌きのようなスペースで、水路の土手より一段高くなった所に、少し広いレンガ造りの倉庫のような部屋があった。長く閉じられていた部屋特有の湿気た黴臭いにおいがする。床は古びたレンガ造りで、年を経て擦れて汚れている。
奥に続く水路には、土手沿いに並行して進んで行く細い通路があって、歩いても奥に進めるようになっている。そのまま水路と一緒に続いているのか、途中で水路だけになるのか、先は暗く闇に続いているので確かめようがない。
男たちは、それぞれ腰に小型ランプを吊るし、更に船の明るいランプを持って来て土手の手すりに掛けると、荷船から大きな荷箱を2人がかりで運び出して、倉庫の床に置いた。そこには既に運び込まれていた、同じような箱が4つ並んでいた。他にも樽や資材が運び込まれていて、小山のように積み上げられてある物もあった。
「おい、金目のものはあるのかな」
手下のひとりが樽の栓の封印を調べながら言った。腰から小型ランプを手に取り、それで照らして見ている。
「おい、行こうぜ。俺はこの暗い場所は嫌いなんだ。あの奥の通路から何か出て来そうじゃないか」
「ふふっ、悪党のくせに怖がりなのか。それよりあの襲撃騒ぎだ、少し荷物が減っていても分からないんじゃないか。ええ? この樽、ワインか」
男は名残惜しそうに、樽の横っ腹を手で撫でると、置いたばかりの荷箱の所に戻った。
「この箱の中身は何かな。さっき運んでくる時も、中の荷物に偏りがあって、揺れると中の荷物が擦れる音がして気になったんだ。息遣いが聞こえた気がした。ネズミでも入っていたら怒られるから、確認しとく?」
「よせよせ、開けちゃだめだぞ。俺は共犯には成りたくない。闇の司祭も俺はおっかない。あの黒いガラス玉の目を見たらよ、面を合わせたくねぇよ」
相棒の男はもう帰りたくて、荷船に下りる階段のところまで戻って来ていた。
「はは、意気地がないな。ネズミが入っていそうだったので開けましたって言ったら、良くねぇ?」
ひとりその男だけが盛り上がって来ているように、こちらに背を向けながら、荷箱の蓋の状態を確認していた。
「これ、鍵も掛かってねぇぜ。中からでも開けられるんじゃないか。って、ネズミが開けて出て来たら驚きだな」
「こら、本当に怒るぜ。戻って来いよ」
階段の手すりの所まで戻っていた男も、仲間を引き戻そうと荷箱の方に歩いていった。
アダムはもしかしたら箱の中身が見れるかも知れないと、クロウを手すりの上に登らせていたが、更に飛び移って、置かれた荷箱のひとつに登ると、男が蓋を開けた時に見れるように、近くに寄って行った。
「もう、ふざけるなよ。俺は早く出たいと言ってるだろうが」
男たちが動くたびに腰の小型ランプの光もゆれて、壁や積み荷に写った影が踊った。
「どれどれ、、、、ネズミちゃん、悪戯したらだめだよ、、、」
仲間の制止を聞かず、男が蓋を上に上げた。きっちり嵌っていたので、一旦小型ランプを腰に戻し、蓋を上げてから持ち直して上に掲げ、箱の中を覗き込んだ。
「うっ、、、ぐげ、ごほっ、ごぼっ、、、」
「こら、ふざけるなって、、、、ぎゃー、」
箱の蓋を開けた男が、開け放って落とした蓋が大きな音を立てた。男は伸び上がるように身体を起こすと、万歳したよに見えたが、良く見ると、喉を下から剣で突き抜かれていた。そのまま後ろに倒れかかる所を、後ろから止めに行った男が抱きかかえた。驚きで一瞬動きを止めたが、仲間と首に刺さった剣を見て声を上げた。
「ゴ、、ゴブリンだぁー」
男が死体を放りだし、身を翻して逃げようとしたが遅かった。箱から飛び出して来た小さな怪物が、持っていた剣で男の脇腹を後ろから串刺しにした。男は苦悶の声を上げたが一瞬だった。
2人の獣人の返り血を浴びて凄惨な姿を晒していたのは、麻袋のような胴衣を着けたゴブリンだった。青白いぶよぶよした肌の小鬼は、憎々し気に男たちの死骸を見ていたが、自分が入っていた箱の方に振り返った。だがその時、横の箱の上に登って、直ぐ近くでその惨状を見ていたクロウのアダムと目が正面から合ってしまった。
ゴブリンは知能が低いと言われているが、そのゴブリンはクロウのアダムを見て笑ったのだった。アダムは見つかったかと思ったが、そんなはずがない、このハエトリグモがアダムがリンクしていると分かるはずも無いと思い直して、ほっとした時、ゴブリンは素早く手を伸ばすと、クロウを捕まえて口の中に放り込んだのだった。
ゴブリンはアダムに気が付いたのでは無かった、ハエトリクモという餌を見つけて笑ったのだった。口の中で咀嚼そしゃくされた時点で、アダムのリンクは切れていたが、口の中に飛び込む映像はしっかりと頭の中に残った。
クロウ1号はあっけないほど簡単に、その一生を終えてしまった。ハエトリグモと一体となって活動していたので心配だったが、アダムに致命的な傷は残らなかった。神の目やククロウの時には考えもしなかったが、でも同じことは起こり得るのだ。アダムは改めて、覚悟しなければならないと思った。
アダム自身は寮のベッドの上に寝ていただけだが、クロウを通して色々動き回った後で、改めて起き上がる気力が起きなかった。しかし、このまま眠ってしまうと、クロウの冒険も夢のように忘れてしまうのだろうかと、ぼんやり寝ながら考えていると、やはり疲れていたのか、そのままアダムは眠ってしまったのだった。
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