2日目(2)
13時15分、光之は広島駅を後にして、新山口に向かった。今度は新山口で愛子ちゃんと会う予定だ。
左に海が見えるようになると、並行して標準軌の複線が見えた。広島電鉄で、宮島口まで並行している。広島市内は併用軌道がほとんどだが、ここは専用軌道だ。
光之は海の向こうから宮島を見ていた。姫路城も世界遺産だけど、原爆ドームも宮島も世界遺産だ。それに、宮島は日本三景の一つだ。次郎くんと一緒にいつか行ってみたいな。
14時7分、電車は岩国駅に着いた。錦帯橋で有名な岩国市の中心駅で、岩徳線との乗り換え駅であり、錦町駅まで行く錦川鉄道もここから発着している。
ここでの乗り換え時間は2分。光之は急いで次の電車に乗り換えた。このほかにも、乗り換える客がいたが、ほとんどが下関行きへの乗り換え客だ。岩徳線や錦川鉄道への乗り換え客は少ない。
14時9分、下関行きの電車は岩国駅を出発した。乗客はそんなに多くない。光之は転換クロスシートに座り、うっとりしていた。そして、いつの間にか寝入ってしまった。
16時9分、電車は新山口駅に着いた。新山口駅は新幹線との乗り換え駅で、山口線と宇部線の起点でもある。また、SLやまぐち号はここが始発で、週末を中心に多くの観光客が訪れる。
光之は新山口駅で降りた。新山口駅で愛子ちゃんと会う予定だ。改札で待っていると聞いた。光之は改札に向かった。
光之は改札の前にやってきた。すると、改札の向こうには愛子がいた。
「みっちゃん!」
光之の姿を見て、愛子が反応した。愛子は手を振って光之を呼んだ。
「愛ちゃん、久しぶり!」
光之は笑顔を見せた。愛子にまた会えて嬉しかった。
「よく来たわね」
愛子は来てくれると思っていなかった。来ると電話を聞いたときは嬉しかった。
「お手紙ありがとう」
光之は愛子が出した手紙を見せた。愛子は笑顔を見せた。
「どういたしまして」
「今、何してるの?」
「食堂の女将よ」
愛子は故郷の中学校を出て、山口へ引っ越して以降、山口の高校を卒業後、定食屋の店主の息子と結婚した。夫は死んだ父の跡を継いで店主に、愛子は女将として店を切り盛りしていた。
「へぇ、今夜はそこでごちそうになろうかな?」
「いいわよ」
突然のことだったが、愛子は受け入れた。会えるだけでも嬉しいのに、店の料理を食べてくれるとなると、より一層嬉しかった。
「ありがとう。突然でごめんね」
「いいよ。幼馴染だもん」
歩いて5分、2人は食堂にやってきた。隣には愛子の家がある。
「ここがお店か」
「うん。家族で営んでるの」
光之はうらやましそうに見ていた。自分にはもう両親がいない。まだ結婚もしていない。孤独な日々だ。こんな日々を送りたかったな。
「5時半ぐらいになったら食べようかな?」
「いいわよ。それまで家でくつろいでちょうだい」
「ありがとう」
光之は愛子に案内されて、家に入った。家はごく普通の一軒家だ。愛子は現在、夫との2人暮らしだ。子供は男女1人ずついて、長男長女共に東京の大学に進学した。大学では料理を勉強しているという。長男は跡継ぎに、長女は洋食屋のシェフになると言っている。
光之はダイニングに座った。ダイニングには誰もいなかった。夫は食堂の厨房で夕方の営業に向けての支度をしていた。
「無罪判決が出た時、本当に嬉しかったわ」
愛子は無罪判決が出た時のことを思い出していた。あの時は夫婦で大騒ぎして、閉店後の食堂で飲み合って祝った。
「ありがとう。もうだめかと思ったよ」
「私は絶対やってないと信じてたから」
「本当に?」
「だって友達だもん」
「友達か」
光之は今日会ってきた友達のことを思い出していた。
「今日は誰に会ってきたの?」
「広島で次郎くんに会ってきた。昨日は大阪で仁くんとお好み焼きを食べて、神戸で淳くんに会って、姫路で幸太郎くんとおでんを食べて、聡くん家で眠ったんだ」
光之は嬉しそうな顔をしていた。手紙をくれた友達に会うことができた。みんな元気でいてくれた。
「そう。みんな元気にしてた?」
「うん」
光之はテーブルにぐったりした。昨日も今日も友達に会ってきて、そして電車での移動や乗り換えで疲れていた。
「移動で疲れたでしょ。ゆっくりしてね」
光之はしばらくその場で寝入ってしまった。
突然、光之は愛子にゆすられて、目が覚めた。
「もう5時よ」
「あっ、ごめん。疲れて寝入ってしまった」
「いいのよ。移動やら監獄で疲れたでしょ」
愛子は許してくれた。20年余りも辛い日々を送ってきた光之の気持ちがよくわかっていた。
「うん。それじゃあ、行くよ」
光之は隣の定食屋に向かった。人通りは少ない。まだ帰宅時間じゃないみたいだ。
光之は定食屋に入った。定食屋は空いていた。
「いらっしゃい」
愛子の夫が声をかけた。男は小太りで、ねじり鉢巻きを巻いていた。
光之がカウンターに座ると、愛子が水を持ってやってきた。
「何にする?」
「それじゃあ、豚肉の生姜焼き定食で」
愛子は厨房に向かった。これから豚肉の生姜焼きを作ると思われる。
光之は辺りを見渡した。愛子がいろんな人と撮った記念写真が飾ってある。その中にはサイン付きの写真もある。芸能人がテレビ取材に来た時の写真だろうか。食レポだろうか。
しばらくして、愛子が豚肉の生姜焼き定食を持ってきた。
「お待たせ、豚肉の生姜焼き定食です。ごはんのおかわり自由だからね」
「ありがとう」
光之はお辞儀をした。愛子は光之の隣の席に座った。
「牢屋の中、辛かったでしょう」
「うん、それに、いつ来るかわからない死の恐怖があるもん」
光之は暗そうな表情で答えた。出所したとはいえ、その恐怖を忘れることができない。
「知ってる。先日テレビで見た。当日の朝の執行直前までわからないんでしょ」
先日の休業日、愛子は夜のバラエティー番組で死刑執行までの流れを紹介していたのを見た。当日の朝、教誨室まで行かされて初めて伝えられる。それを見て、毎日死の恐怖と戦っている光之はすごいなと思った。
「うん。以前は前日に知らされてたんだけど、自殺する人が出たので即執行になったんだ」
「それは怖いよね。私、まだ若いから、死なんて考えたことがないわ。いつも死の恐怖と戦い続けたみっちゃん、すごいよ」
愛子は光之をほめたたえた。死の恐怖なんて、まだ若い愛子は考えたことがなかった。遺書なんて全く考えたことがないし、子供たちに伝えることも全く考えたことがなかった。
「そんなにすごいのかな?」
「うん」
「こんな奴だけど」
光之は信じられなかった。20年余りも牢屋にいた人がこんなことで褒められるなんて。
18時31分、光之は新山口駅を後にした。ここからは逆に東に向かう。明日の夜までほとんど電車での移動になる。
明日は夜まで移動で、東京に着いて加奈子ちゃん、すみれちゃん、博くんに会う予定だ。みんな、東京で働いているそうだ。
終点の岩国駅までは2時間近い。その間、光之は届いた手紙を見ていた。その中には、元気そうな彼らの写真があるものもあった。
光之は嬉しそうにそれらを見ていた。彼らが元気でいてよかった。彼らのように、元気を取り戻したい。普通の生活を送りたい。
20時25分、電車はようやく終点の岩国駅に着いた。もう日は暮れて、辺りは暗くなっていた。人通りは少ない。
乗り換えの電車まではあと12分だ。光之は次の電車の中で待っていた。乗客は少ない。静かだ。
20時37分、電車は岩国駅を出発した。乗客は少ない。夕方の帰宅ラッシュを過ぎて、残業ので帰りが遅くなった男がちらほら乗っているぐらいだ。
電車は暗闇の中を走っている。この辺りは民家がそんなに多くない。電車は大きな音を立てながら走っていた。これほど乗客が少なくて静かだと、モーターの音がよく響く。
広島市に入ると、若干客が多くなってきた。だが、そんなに多くない。もう夜遅くなり、寝ている人もいる時間帯だ。それでも広大な貨物ターミナルには明かりが灯っていた。まだ動いているようだ。
瀬野駅を出ると、長い上り坂に入った。この辺りには人家が少ない。乗客はまた少なくなっていた。坂を上る電車のモーター音がよく響いた。
22時23分、電車は白市駅に着いた。乗り換え時間は22分。終点で降りた乗客は光之ただ1人だった。光之はホームで寂しく電車を待っていた。
ホームを静寂が包む。光之はただ1人佇んでいた。その時光之は、牢屋にいた頃を思い出した。あのときみたいに、静寂の空間だった。昼間なのに静かで、常に死の恐怖が隣り合わせにある。それよりかはましだが、やはりこれだけ静かだと少し怖い。
22時45分、次の電車が白市駅を出発した。ここから終点の糸崎駅までは30分ちょっと。今までに比べるとあっという間だ。光之はクロスシートに座らず、運転室の後ろから前の車窓を見ていた。辺りは真っ暗だ。もうみんな寝たんだろうか。
23時19分、電車は終点の糸崎駅に着いた。乗り換え時間は17分。結局誰も乗らないまま、終点に着いた。糸崎駅にも誰もいなかった。ここも辺りが暗い。もう寝静まったからだろう。光之は白市駅を同じく恐怖を感じた。
光之は牢屋での恐怖から抜け出せずにいた。どうすればこの恐怖を忘れることができるんだろう。光之は答えられなかった。
23時36分、次の電車は糸崎駅を出た。今日の移動はこの電車の終点の福山駅までで、福山駅の近くのホテルに泊まって、朝早く出発する予定だ。
光之は今日の旅を振り返った。広島で会った次郎が元気にしていてよかった。こんなに幸せな生活を送っている次郎がうらやましい。自分もこんな幸せな生活を送ってみたいな。今からでも遅くない。好きな人を見つけて結婚して、子供と一緒に幸せな日々を送りたい。愛子ちゃんが食堂の女将になっているとは。また行きたいな。今度はどの定食を食べよう。
0時3分、電車は終点の福山駅に着いた。もう明かりが消されているホームもある。この電車が終電だ。光之は電車を降りた。
光之は疲れていた。今日の移動も大変だった。でも明日はもっと大変だ。明日は夜までずっと移動だ。東京まで行く。短いけれど、しっかりと休んで明日に備えよう。
その頃、遥は京都にいた。気晴らしにちょっと出かけようと考えていた。思い悩んでいる遥のことを考えて、院長が気晴らしにと考えた。
偶然、遥は高校の前を歩いていた。高校では体育の授業が行われていて、体操着の高校生が授業を受けている。遥はその様子を見ていた。
観光客が多い京都だが、この辺りは観光客が少なかった。この周辺に観光スポットはないと思われる。
突然、遥は頭が痛くなった。遥はうずくまり、目を閉じた。
「光之さん・・・、光之さんだわ。そして、私の名前は、さくら」
さくらは自らの本当の名前と初恋の相手を思い出した。だが、自分が誰だったのか、わからなかった。
さくらは新快速の中で、光之のことを思い出していた。光之とは高校で知り合った。福井県の農村出身で、とても明るく接してくれた。このままずっと付き合って、結婚したかった。
だが、光之は名古屋の大学に進学することになった。その後も遠距離恋愛で交際を続けていたものの、ある日を境に光之からの連絡は途絶えた。それから間もなくして、さくらは交通事故に遭い、今までの記憶をすべて失った。
その夜、さくらは新快速で大阪駅に戻ってきた。夜も大阪駅は賑わっていた。帰宅ラッシュを過ぎ、残業帰りの人が多く行き交っていた。
地下鉄を乗り継いで、さくらは院長の家に戻ってきた。
「ただいまー」
「どうだった?」
「私、京都市内を歩いている時、思い出したの? 名前まではいかないけれど、初恋の人の名前は思い出したの。光之さんっていう人」
院長はその名前に反応した。先日、出所した光之のことだ。院長はそのことをニュースで見ていた。死刑判決を受け、その後無罪が明らかになり、20年余りぶりに出所した男だ。
「そうか。ひょっとして、この人かな?」
院長はその男の写真が載っている記事を見せた。
「あっ、そうそう。」
白黒であまりわからなかったが、20年余り前とよく似ていた。さくらはようやくわかった。
「殺人事件で捕まって、死刑にされたんだけど、誤認逮捕で無罪だったことがわかって、先日出所したんだよ」
「そうなの」
さくらはそのニュースを知らなかった。葬儀のことで忙しくて、全くテレビを見ていなかった。
「先日、ニュースでやってたんだ」
「ふーん」
「でも、これからどこで住むかはニュースでやってなかったな」
「そう」
さくらは残念がった。わかれば、光之に会うことができて、自分の本当の名前を思い出すことができるかもしれないと思った。
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