1日目(2)
15時40分、光之は再び新快速に乗って姫路駅を目指した。新快速は海沿いを快走していた。新快速は普通が通る線路の少し上の崖を走っていて、普通を抜き去る様子が時々見えた。
明石駅が近くなってくると、大きな橋が見えてきた。明石海峡大橋だ。このちょうど下には舞子駅と舞子公園駅があって、淡路島を渡る高速バスと接続している。
新幹線と接続する西明石駅を過ぎると、複々線だった線路は複線になった。普通電車のほとんどはここが終点だ。
新快速は終点の姫路駅に着いた。姫路駅は播但線、姫新線や新幹線とも乗り換えができる。また、ここから少し離れたところに山陽電鉄の姫路駅もあって、山陽電鉄はここが終点だ。
光之はスマートフォンの位置情報を使って幸太郎の家を探していた。幸太郎は小学校の卒業とともに姫路に引っ越してしまった。それでも光之は幸太郎のことを覚えていた。とても頭がよくて、何でも相談に乗ってくれた。
光之は幸太郎の家を見つけた。そこはマンションの一室だった。光之はインターホンを押した。
「ごめんくださーい」
ドアラ開いて男が出てきた。幸太郎だ。
「あっ、みっちゃん!」
「久しぶり」
幸太郎も光之のことを知っていた。本当に嬉しかった。また会えると思っていなかった。会えないまま死刑執行になると思っていた。
「あっ、この人、お父さんの幼馴染の光之さん」
幸太郎は隣にいる青年を紹介した。その青年は幸太郎の息子で、洋次郎だ。
「あっ、はじめまして」
洋次郎は軽くお辞儀をした。
「こちらこそはじめまして」
光之は照れながら挨拶をした。自分が死刑にされそうになった男だと知ってどんな反応をするかが怖かった。
「あの、無実がばれて出所した人?」
「うん」
光之は冷や汗をかいた。自分が死刑にされそうになった男だと知っていたからだ。どうこたえよう。光之は悩んでいた。
「お父さんの幼馴染だったんだ」
洋次郎は驚いていた。自分の父の幼馴染にこんな人がいたなんて。
「そうなんだよ」
「まぁ、ここに座って色々話そうや」
「うん」
幸太郎はダイニングのテーブルに案内した。テーブルは4席分の大きさだが、椅子は2つしかない。
「どうや、久々のこの解放感は」
「最高だ。でも、もっと早く無実がばれていたらと思うと」
光之は最高の気分だった。面会室の椅子は折り畳みの椅子で、そんなにしっかりとしていない。久々にこんなしっかりとした椅子に座れて本当に嬉しかった。
「そうだな。辛かっただろうな。でも、もう過去のことだから。これから自由に生きようや」
幸太郎は光之の背中を叩いた。幸太郎は光之の気持ちがわかった。先日、死刑囚の生活に関するテレビを見ていたからだ。それを見て、光之もこんな生活を送っていたんだなと思った。自分がこんなことに、しかも無実なのにこんなことされたらとても耐えられないなと思った。
「うん」
「俺、結婚して息子1人生まれたんだけど、妻はもう死んじゃった。俺と息子の2人暮らしや」
幸太郎は寂しそうな表情を見せた。幸太郎は20年近く前に結婚して、1人の息子に恵まれたが、妻は今から10年前に乳がんで亡くなった。テーブルが4席分なのに椅子が2つしかないのは、もう1つあったからだ。
「そうか」
光之は幸太郎の気持ちがわかった。20年余りも孤独な人生を送ってきた。大切な人のいない寂しさを痛いほどわかってきた。
「みっちゃん、これからどうすんの?」
「生まれ故郷で農業をしながら、ひっそりと過ごそうと思ってんねん」
「そうか。故郷、また行ってみたいな。俺、離れて数十年だから、どうなってるのか見たいな」
幸太郎は故郷のことを思い出した。小学校を卒業して以来、全く訪れたことがない。あれから、故郷はどう変わったんだろう。あの人は元気だろうか? 幸太郎は故郷のことが気になった。もう一度訪れたいなと思った。
「暇があったら来てよ。俺が待ってるから」
「そうだね」
幸太郎は笑顔を見せた。大きな連休があれば、また行ってみたいな。
「そろそろ晩めしやね。おでん食べに行こか?」
「うん」
2人はおでんを食べに行くことにした。幸太郎は行きつけのおでんの店を知っていた。
10分歩いて、2人は駅前のおでん屋に来た。姫路で食べられているおでんは他とはちょっと違っている。その味を求めて観光客がやってくる。この日も何人かの観光客が来ていた。
「いらっしゃい。あれっ、こうちゃんじゃん! 今日はお連れさんと?」
「うん」
幸太郎は嬉しそうな表情を見せた。誰かと飲むなんて、久しぶりだからだ。
「お飲み物はどうする?」
「日本酒でお願いします」
「俺も日本酒で」
2人とも日本酒を頼んだ。光之は日本酒を飲んだことがなかった。出所したら飲んでみたいと思っていた。
「何にするかい?」
「それじゃあ、大根と卵とごぼ天とはんぺんで」
「俺は大根と卵と野菜天と牛すじで」
店主は鍋の中を見て、おでん種を探した。
「お酒どうぞ」
店主は2人にコップ1杯のお酒を差し出した。
「ありがとうございます」
「無罪で出所にカンパーイ!」
「カンパーイ!」
2人は乾杯して、出所を祝った。
「もうあかんと思った」
光之は笑顔を見せた。こうして広い世界で行動できるのが嬉しかった。
「みっちゃんの姿を見て、何事も諦めたらあかんってこと、改めて教わったわ」
無罪が明らかになって出所した光之を見て、まだあきらめてはならんと思った囚人も多い。何もやってないと言っているのに、全く無罪が明らかにならない人々がよく口にしていた。
「へい、お待ち!」
店主はおでん種を差し出した。久々に生でおでんを見る光之はしばらく見とれていた。
幸太郎はおでんを生姜醤油につけて食べた。光之はそれを物珍しそうに見ていた。
「へぇ、姫路のおでんって、生姜醤油につけて食べるのか」
姫路のおでんは生姜醤油につけて食べる、またはだしが生姜醤油になっていることが多い。
「うん。変わってるっしょ?」
「うん」
光之は幸太郎の真似をして生姜醤油につけて食べてみた。
「なかなかうまいもんやね」
光之は驚いた。生姜醤油につけて食べるのもなかなかうまいもんだ。
「うまいっしょ」
幸太郎は笑顔を見せた。その食べ方が気に入ってもらえて嬉しかった。
19時47分、光之は姫路を後にして、岡山に向かった。今日は岡山で聡に会って、その家で一泊する予定だ。聡にはすでに了解を得ている。
電車は暗闇の中を走っていた。乗客は少ない。とても静かだ。
光之は再び眠ってしまった。今日1日いろんな所に行って、疲れがたまっていた。ほとんど檻の中にいて、こんな長時間の移動なんて20年余りもしていなかった。
光之が目を覚ますと、電車は岡山市内を走っていた。終点の岡山駅はすぐそこだ。光之は慌てて支度を始めた。
21時12分、電車は岡山駅に着いた。聡は岡山駅の改札を出たところで待ち合わせる予定だった。光之は改札に向かった。向かう人はけっこういたが、朝や夕方に比べたら少ない。
光之が改札を出ると、そこには金髪の男が立っていた。聡だ。
「みっちゃん!」
「聡くん!」
聡の声に反応して、光之は手を挙げた。光之の姿を見ると、聡は笑顔を見せた。会えたことが嬉しそうだ。
「もう会えないだろうなと思ってたんだよ」
「無実がばれて出所した。こんなに嬉しいことはないよ」
光之は嬉しそうな表情を見せた。
「嬉しいだろうな」
「うん」
「今日はうちんとこ泊まるんだっけ?」
「うん。突然ごめんね」
光之はお辞儀をした。急にこんなこと言ってすまないと思っていた。許してくれた時には本当に嬉しかった。
光之は聡の車に乗せてもらって自宅に向かうことにした。
「さぁ、乗って」
聡に誘われて、光之は聡の車に乗った。聡の車は2列シートのワゴンだが、後ろの席はしまってあった。離婚して以来、だいぶ使ってないと思われる。
「どうもすいません」
光之はお辞儀をした。少し照れていた。
聡の車は岡山市内の桃太郎大通りを走っていた。この区間は路面電車が中央を走っている。路面電車は多くの乗客を乗せて車を追い越していた。
「いいよ。またみっちゃんに会えるのが嬉しいもん」
聡は笑顔を見せた。今日会えて、しかも一夜を過ごすのがとても嬉しかった。
「また会えて嬉しいよ」
光之も笑顔を見せた。
走って約10分、聡の家に着いた。赤い屋根の一軒家で、小さいながらも庭がある。
「ここが聡くんの家か」
「うん」
2人は玄関から家に入った。聡は家の電気をつけた。
「家族は?」
「結婚したんだけど、2年ぐらいで離婚したんだよ。不倫が原因さ。それ以来、1人息子と暮らしてきたんだ。でも、息子は今年の春から東京の大学に進学して1人暮らし。今は1人暮らしさ」
「そうか」
聡はこれまでの人生を話した。光之はその話を聞き入っていた。聡も辛い思いをしたんだな。せっかく結婚したのに、離婚って、辛いよな。
聡はダイニングの明かりをつけ、光之を案内した。
「まぁ、座りぃ」
光之は言葉に甘えて、椅子に座った。
「また1人になった時、みっちゃんの気持ちがわかったよ」
「なんで?」
「孤独だから。誰とも話す相手がいないでしょ」
聡は離婚して孤独になって、ちょうどその頃に公判を受けている光之の姿をテレビで見た。それを見て、牢屋の中での光之の姿が頭に浮かんだ。看守や面会人以外、誰にも会えずに、孤独な毎日を送っているからだ。
「うん。それに、僕には死の恐怖があったから」
「そうだね。いつ死刑が執行されるかわからないもんね」
聡は光之の気持ちがよく分かった。自分は離婚しただけでしなんて考えていない。でも、光之は孤独な上に、死の恐怖も味わわなければならない。自分以上に苦痛を味わってきたんだな。
「うん」
「まぁ、ゆっくりしていけよ」
「ありがとう」
光之はお湯を沸かして、コーヒーを作ろうとした。
23時過ぎ、2人は2階の寝室で寝る準備をしていた。聡は2人分の敷布団を用意した。敷布団を2つも用意するなんて、何年ぶりだろう。聡は嬉しくなった。
「今日はごめんね。突然泊まることになって」
「いいよ。久々に誰かと眠ることになって、嬉しいよ」
聡は笑顔を見せた。誰かと一緒に寝られるのが本当に嬉しかった。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
光之は目を閉じた。明日はまた別の仲間に会う。どんな顔をしているんだろう。自分とあってどんな表情をするんだろう。光之は気になっていた。
その日、遥は光之とは逆に広島から大阪にやってきた。自分は大阪の路上で交通事故に遭い、倒れていた所を病院に担ぎ込まれたという。その後、その病院の院長の養子になり、新しい名前を名付けることにした。
遥は院長の家の前にやってきた。家の前にはベンツのセダンがある。院長の車だ。
遥は家のインターホンを押した。
「ごめんくださーい」
間もなくして、院長が出てきた。院長は遥を養子にした時と比べて白髪が多くなっていた。
「あれっ? 遥、どうしたんだい?」
院長は驚いていた。来るとは聞いていなかった。
「本当の自分を探す旅に出たの」
「そうか」
院長は記憶を失っていた時のことを思い出した。本当にかわいそうだった。何とかしてやろうと思い、遥を養子に迎えた。
「どこで倒れていたか、教えて」
「わかった。じゃあ、車に乗って」
「うん」
院長は事故現場に案内することにした。事故現場はここからすぐのところにある。
5分歩いて、2人は事故現場にやってきた。事故現場は何事もなかったかのように車が走っていた。
「この路上だったんだよ」
院長は指をさした。そこには花束が置かれている。交通事故で死んだ人の冥福を祈るためだ。
「ありがとう」
遥は倒れていた路上に立った。だが、何もわからなかった。
「どう? 思い出した?」
「全然」
「そうか。頑張って見つけてな」
遥はこれから自分を探す旅に出ることにした。どれぐらいかかるかはわからない。でも調べたい。本当の自分って誰なのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます