第九話 デパート②
「ひゃっ――んむぅ!?」
うるさい音を響かせようとしたその口を、無理矢理手で塞ぐ。
彼女の恐怖と驚きで溢れた目は赤く腫れている。泣いていたのだろう。
「え、いや、あ、あの、生きてらっしゃったんですか!? ああ、よかった。一人じゃなかった。私逃げてきて、私一人でこの子を、これからどうしようかと――」
「黙れ」
何か勘違いした様子で早口に話し出す彼女の口を再び手で覆い黙らせる。焦りと苛立ちから語気が自然と強くなってしまった。
ここに来るまでの間、二階、三階の従業員用通路を見てきたが、モンスターはいなかった。しかし、それが騒いでいい理由にはならない。彼らからすれば扉など簡単に破れるものだ。音を聞いたモンスターが、侵入してきてもおかしくない。
通路には一切の光がなく、この部屋も壱織の持っていた懐中電灯と彼女の持っていた懐中電灯だけが光を放つ薄暗い空間だ。そんなとこでの戦闘はしたくない。
「喋るときは、静かに」
目を見ながら言う壱織の言葉に、彼女はうんうんと頷く。それを確認した壱織が先と同じく手を放す。今度はすぐに防げる用意をして。
「え、えっと……」
強い言葉を掛け過ぎたせいか、何を話せばいいかわからないといった様子だ。
「名前は?」
話しやすいよう、壱織がこちらから質問を投げかける。
そんなに強く言ったつもりはないのだが、先のことがあってか少し気を遣う様子で彼女はこちらを窺いながら答える。
「え、えっと、
「志木野壱織。25歳で、今はフリーターだ。呼ぶときは壱織の方で頼む」
「はい。壱織さん……私は浅海でも恵美でも大丈夫です。あ、でもそれだと俊斗と区別がつかないか。えっと、やっぱり恵美の方でお願いします」
この子は脳と口が直結しているタイプなのだろうか。
そんなことを考えながらも次の質問へ移る。
「それで、どうしてここに?」
外の死体、他の生存者、バリケードのことなど聞きたいことは山積みだが、一度に全部聞いても答えられないだろう。今はどんな情報でも欲しい状態だ。少し時間は掛かるが、一つずつ丁寧に。
そう投げた壱織の質問に、彼女――恵美は黙り込む。先の様子から饒舌な子だと思っていたが、本当はそうではないのか。それとも何か話せない理由があるのか。
数秒の時を待つと、恵美の口が開いた。
「ご、ごめんなさい!」
「は?」
「私、もう皆死んじゃったと思って、それで、まだ生きてるなんて知らなくて――」
涙目になりながら話す恵美は何か勘違いしているようだった。
「ちょ、ちょっと待て。何、何の話をしてる?」
「え、一階に行ったときの……」
「何か勘違いしているかもしれないが、俺はここの人間じゃない。隣の駅から来た」
「え……」
絶句する恵美。そして涙をぽろぽろと流し出した。
「ああ、よかった。やっと、やっとここから抜け出せる……」
泣いた女性の扱い方などわからない壱織は、恵美が落ち着くまで待っていた。
そして泣き終わった恵美に先ほどと同じ質問を投げる。
「それで、どうしてここに?」
「えっと……」
先と同じく口ごもる恵美。あまり思い出したくないものなのか、口に出すことを迷っている状態だ。そんな恵美の背中を壱織は押す。
「話してくれ。どんな情報でもいい。ここで何があったのか、全部」
その言葉に、恵美が観念した様子で話し出す。
あの日、地震が起きた日、恵美を含む七十人ほどの人がデパートの崩壊によって閉じ込められた。弟の俊斗は体調不良での早退。恵美はお迎えで帰っている途中、帰宅経路上にあるデパートに寄った時に起きたことだったみたいだ。
閉じ込められた人たちは消防に助けを求め、その到着を待った。平日の昼前だったため人はそう多くはない。しかしそれでも七十はいる。怖くはあったものの、そこまで大きな不安はなかったそうだ。だがそれも最初だけだった。
数時間の時間が経った頃、やつらが現れた。
どこからともなく出現したモンスターらに、人は次々と殺されていき四階の従業員用通路にあった部屋に逃げ込む時には、その数を半数以下の三十人にまで減らしていた。
そして二つの夜を越え、我慢の限界に達した生存者らは昨日、食料調達のために一階に下りたそうだ。年寄り子どもを四階に残して。
だが結果は壱織の見た通り。バラバラに逃げた彼らだったが、恵美を残し全滅。従業員用通路に逃げ込んだ恵美は鍵をかけて何とか生き残ることができた。
「それで壱織さんを外で生き残ってた人と勘違いしちゃって」
先ほどの謝罪はそれか。壱織は納得する。
しかし、この話にはまだ続きがあるだろう。このままだと話を終わってしまいそうな恵美から情報を引き出すべく、壱織は質問を続ける。
「それで? ここは三階だろ? 四階にいた人はどうなった? あとあのバリケードは何だ?」
時間的な焦りから、恵美を追い立てるように質問をぶつけてしまったが、彼女の口を開くことには成功した。とても言いにくそうにはしているが。
「そのあと、四階に戻ったんですけど……あいつが現れて……」
「あいつ?」
「暗かったのでよく分からなかったですけど、とても速くて大きな爪を持ったモンスターでした」
それで、と恵美は続ける。その声は震えていた。
「そいつにみんな殺されて……私は俊斗しか助けれなくて……他に子どもも、優しくしてくれたおばあちゃんもいたのに……」
まるで自分を責めるかのように言いながら、涙を流す恵美。
続きを聞くとバリケードはここに来てから作ったものだということが分かった。少しでも安心したかったのだろう。
それ以外の情報は得られなかった。
「壱織さんはどうしてここに?」
目を赤くした恵美が問う。
「薬を取りに来た」
「薬って……」
「俺の連れが弱っちまってな」
「薬局に行くってことですか?」
「ああ」
「それって……」
恵美の顔が暗いものへと変わっていく。付いてこれば安全な場所に行けると思っていたのだろうか。残念だがその反対だ。
「四階だ」
その言葉を発した瞬間から、恵美が「ダメです、絶対ダメ」と引き留めてくる。あいつがまだいるかも、とのことだ。
それは善意からなのか、自身の不安を軽減してくれる要素を手放したくないからなのか。
まあ、どっちであろうと関係のない話だ。あと一つ登れば目的地にたどり着く。ここまでの道を無駄にしたくない。
「俺は行く」
壱織の固い意志を汲み取ったようで、恵美はそれ以上否定の言葉を出さなかった。
代わりに彼女は決意を固めた様子で言う。
「そ、それなら、私も連れて行ってください!」
(何言っているんだこの女は)
あっけにとられた壱織は否定の言葉を即座に出せなかった。
「俊斗、弟も昨日から体調を崩していて熱が下がらないんです。だから……」
「だから?」
「連れて行ってください! お願いします」
恵美が頭を下げる。
「一人にしないで」
最後に小さく聞こえた恵美の本音。彼女が引き留めてきた理由は、安心要素の確保の方だったみたいだ。また一人に、不安になりたくないという思いが強すぎて頭もうまく回っていない様であった。
「連れて行って? その間弟はどうする? ここに一人置いてくのか?」
「えっと、それは……」
「はっきり言って無理だ」
壱織は告げる。足手まといはいらないと。
「薬なら取ってきてやる。お前は弟を連れて駅まで行け」
今は一刻も無駄にはできない。優しい言葉を使って反対され、押し問答になるぐらいなら、と壱織は命令口調で恵美に言う。
そして彼女の言葉を待たずに地図を広げる。
「今は多分三階のここだ」
壱織がさした指は地図の空白部分を示していた。地図に従業員用通路までは描かれていないのだ。
「ここの階段は地下まで繋がってるか分かるか?」
一階と二階、二階と三階は通れることが分かっているが、地下と一階が繋がっているかは不明だ。瓦礫で塞がっている可能性もある。
「繋がってます」
「わかった。じゃあ――」
壱織は指を地下フロアを示す地図へと移す。
「地下まで下りて、ここまで行け。そこに駅と繋がる通路がある。わかったな?」
有無を言わせぬ気迫で、恵美から首肯を引き出した壱織は続ける。
「ただ、地図のこことここ、バツの描いてある場所は通れない。いいな?」
「は、はい」
「駅に着いたら佐藤という人に会え。よくしてくれるはずだ。地図は渡しておく」
「えっ」
「俺には必要ない」
そう言って立ち上がろうとした壱織を恵美が止める。やっぱり一緒に行かないか、と。
それに対して「囮としてならいい」と答えると、彼女はすぐに口を閉じた。
こちらとしても人を見殺しにするのはできればしたくはない。それで自身の生存率がぐんと上がるのであれば受け入れるが、彼女の場合、どちらかと言うと生存率が下がりそうだ。囮ではなく自身を巻き込む爆弾になる可能性の方が高い。
もしそれでも付いてくると言い張るならば殴ってでも止めたが、そうはならずによかった。
「じゃあ俺はもう行く。うまく生き残れよ」
「あ、は、はい!」
部屋を後にした壱織は、再バリケードの元へと向かう。
彼女の話によれば、バリケードが完成したのは一時間ほど前、作るのに三十分の時間を要したみたいで、その前に四階から逃げてきて何もできずにいた時間が一時間ほどあるそうだ。それだけの時間が経てば、四階の従業員用通路に入り込んだモンスターはもういなくなっているだろう。そうであってくれ。
壱織は願いながらバリケードの一部を崩していく。
ここ以外の階段を使う手段も考えたが、また彷徨うことになるのは嫌だった。
バリケードを越えたあたりから嫌な臭いが漂って来る。何度も嗅いだ、血の臭いだ。
血に濡れた通路。そこには人体の一部や肉片が転がっていた。まともな死体一つなかった下とは違う光景だ。こちらの方がきついものがある。
通路にできた赤い線をなぞるようにして懐中電灯を動かすと、それはある部屋に繋がっていることが分かった。
通路でこれなのだ。中がどうなっているかは大体予想がつく。できれば行きたくはなかったが、確認せねばならない。モンスターに背後を取られてしまえば、それは死を意味するからだ。
幸い中にモンスターはいなかった。赤く染まった部屋にあったのは、いくつもの死体と肉の断片。死体には一部喰われたような痕があった。
部屋にモンスターがいないことを確認し終えた壱織は、足早にそこを去り通路を出るため切り裂かれた痕のある扉のドアノブに手を掛ける。
その時だ。
耳を貫くような悲鳴が聞こえる。女性のものだ。
誰のものなのかは簡単に予想がついた。
(襲われたか……ちょっと待て、下の通路にモンスターが入ってきたのか)
帰りにここが使えない可能性を視野に入れつつ、急ぎ足で薬局に向かおうとする。
「壱織さん!」
が、後ろから呼ばれたことで立ち止まってしまった。
声の主は言わずもがな恵美である。横では弟の俊斗が、息を切らしながら手を引かれて走っている。だが、体力の限界が近いようで、彼女の手がなければいつ倒れてもおかしくない足取りだ。
そして彼らの後ろには不気味な口が見えた。
(最悪)
その一言に尽きる。
死ぬなら見えないとこで勝手に死んどけ。
出かかった言葉を飲み込み、壱織は外に出る。
思いのほかモンスターは遅い。弟を引っ張る彼女と同程度、いや、それよりも少し遅いぐらいだろうか。一階で襲われかけた時とは違う。比べるとかなり遅くなっている。
置いて逃げる。
この選択肢が壱織の中に生まれ、彼らに背を向け走り出そうとする。
「あっ!」
しかし後ろから聞こえた一つの声が、またも壱織の足を止めた。
「俊斗!」
続く叫び。
振り向いた壱織の目に映っていたのは、倒れている俊斗の姿。肩の動きから息をしていることは分かるものの、動く気配はない。体力の限界がきたようだ。
しかし、だからといってモンスターが止まってくれるわけではない。一度は離れた彼らとモンスターとの距離が一気に近づいていく。
「死ぬな」
口からこぼれた言葉。それは意図せずに出たものだった。
手が届く距離にいれば助けたいと思ってしまう。女子供ならなおさらに。自身の命が惜しくないわけではない。生きるためであれば他者の命を踏みにじることも厭わない。しかし感情に嘘はつけない。一度背を向けたにもかかわらず、振り向いてしまったのはそのせいだ。
自身の運動能力が他者より秀でている自覚はある。そこから生まれる一種の慢心が他者を助けたいと思ってしまう。多少の危険を冒しても。ノアの時のように無意識的に手を伸ばしてしまうこともある。だからこそ、襲われるのなら見えぬところで襲われ、死んでほしかった。
助けたいという思いが湧きあがる――湧きあがってしまうがもう遅い。恵美の方ならまだ届くが弟は無理だ。
「早く来い!」
壱織は恵美に向かって叫ぶ。
それは暗に告げていた。弟を見捨てろ、と。
声に反応した恵美と目が合う。潤んだ目には恐怖があった。今すぐ逃げてしまいたい、そんな目だ。
だが、その目は即座に変わる。こちらを睨むような厳しいものになり、背を向け走り出す。
「おねえ……ちゃん……」
俊斗が姉へと手を伸ばす。
モンスターの口は俊斗の方を向いており、今にも喰わんとしている状態だ。
そして、モンスターの首が伸び、その口が俊斗を飲み込む直前、恵美の手が弟を引っ張り出す。まさに間一髪。
恵美はそのまま弟を抱え、こちらに向かって走ってくる。
「急げ!」
壱織は手を伸ばす。
これ以上時間を掛けていると音に寄せられ他のモンスターまでもが集まってくる可能性がある。暗い場所にいるモンスターは音・光に敏感なものが多い。それはノアから聞いた知識としても、駅に着くまでの経験としても理解していることだ。
恵美の言っていたあいつの存在も気になるところだ。
恵美の伸ばした手の指先に触れようとしたとき、壱織はあることに気が付いた。
モンスターが追ってきていない。弟の捕食に失敗した場所から一切動いていないのだ。何か嫌な予感はした。
そしてその予感は的中する。
まるで、トカゲが舌を伸ばして羽虫を捕まえるかの如く、奴の首が伸びたのだ。その口はこちらを――正確に表すなら彼ら
「っ……!」
壱織は、掴んだ恵美の手を思い切り引き通路から外に出すと、引く向きを変え奴の軌道上から逸らす。
それと同時に勢いよく扉を閉めるが、奴にそんなものは無意味なようで、逆に扉が吹き飛ばされた。
モンスターは頭の向きをこちら側に変える。その一瞬、頭が止まり隙ができた。
壱織はその一瞬の隙に、モンスターの頭へとバールのL字部分を下から叩き込む。
そして下顎に突き刺さったバールを力任せに引く。抵抗を食い破り引き抜いたバールには、大量の血が付着している。
下顎が裂けたモンスターは、暴れるようにして頭を縦横に振り、血をまき散らす。だが、鳴き声などは一切出さなかった。
不気味なほどに静かな叫びだ。
「走れ!」
首を引っ込めたモンスターを背に、壱織ら三人は必死に逃げた。
最初は追いかけて来なかったモンスターだが、そう簡単に見逃してはくれない。すぐに動き出し、追いかけてくる。
三人はただ、ただひたすらに走り、逃げた。
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