第一章 1
救急車は数分で到着し、救急隊員に事情を説明した悟は気を失っている女性と救急車に乗り込んだ。
救急隊員は女性に処置を施しているが、特に外傷はなく意識を失った原因は不明のようだ。
救急車は数分でケンダシティ病院に到着し、ストレッチャーに乗せられた女性はあわただしく集まってきた看護師によって処置室へ運ばれていった。
悟は病院からの通報で到着した警官に事情を説明したが、偶然出会ったことなので一向に要領を得ない。
近所の交番から呼び出されたらしい若い巡査も事情が分からず困っていた。
「とりあえず彼女の意識が戻るまでは状況が分からないようですね。ご苦労様でした。一応ご住所とお名前を伺います。何かあったらまたご足労願うかもしれませんが、今日のところはお帰りになっても結構ですよ。」
「まあ、こうなったのも何かの縁なので彼女の意識が戻るまで許されるならばここにいたいと思います。どうせ気ままな旅行の途中ですので、ホテルに帰っても何もすることがないですし。」
「ああ、この町の方ではないんですね。それでは、私は病院の方にもお話をお聞きしますのでこれで。」
若い巡査はナースセンタに向かって歩いていった。
悟は何もする事がなくなり待合室のソファーに腰を下ろした。
あの女はいったい何者なんだろう。
こんなところに何をしに来たんだろう。
まさか、俺と同じ・・・
俺は、この町に死ぬために来た。
世界中に労働者階級制が導入されて50年。制度は完全に実施されている。
全世界の労働力の流動性を高め再配分の効率化を高めるために導入された制度だ。
この制度のおかげで世界全体の生産性は高まり、必要とする人材を効率よく雇用することができるようになった。。
ただし、自分の適性に合わない職業に就くことはかなり困難になってしまった。
職業選択の自由は、自らの適性範囲内に限られている。
子供たちは自分たちの適性を早期に発見して適性に合った職業に就くことを求められる。
人間には意志がある。自分のなりたい職業に適性がない場合、その人間は必要な適性を伸ばすよう努力する。それでも全く適性のない場合がある。
そんなときに人は絶望し、最終的には死を選ぶ者が増加している。
階級制度施行前と比較して自殺者は2倍。神経疾患を患う者は3倍となっている。
労働生産性が4倍になっているので、全世界の生産性に与える自殺者と神経疾患者の影響はほとんど感じられない。
このような事情が一度ルートから外れた者の疎外感を増長しているという説もある。
俺はそれほどなりたい職業もなく、自分の適性に合ったとされる電子技術の回路設計の仕事に就いていた。C1階級まではトントン拍子に上がっていったが、CからBへの移行に躓いている。
Bランクの仕事には他の労働者の管理業務が加わるのだ。
俺のプランとしては30代前半にBランクに上がり、その後は現場の仕事から徐々に離れて経営の道へ進むことを考えていた。
35歳になり未だBランクに上がれない俺はこのままこのルートでキャリアを積んでいくか、別な職業の可能性を求めるかの選択を迫られていた。
まあ、今のままのキャリアで努力していくことが普通で、他の選択肢を考えるような年齢でもないのだが、俺の思考はその迷宮にはまりこんでしまった。
絶望は不意にやってくる。
日頃そんなことは考えてもみなかったのだが、ある日突然自らの存在意義を疑うようになってしまった。
現在の仕事では職場のそれなりの位置にいて、頼りにされているし自分の不在が少なからず全体に影響を与えるのではないかという自負もあった。
だが、今回職業について考えると一人の動向で生産性が左右されないシステムの構築がなされていることがよく分かり、俺は一体何なんだ。という考えが頭の中に忍び込んできた。
家族は両親と弟。配偶者なし。友人は結構多いと自分では思っていたが今回の思いを相談できるような友人は思い当たらなかった。
一人だな・・・
そう思ったらどんどん内へ内へと思考が入り込んでいってしまった。
だが、一回死を諦めてみると、何で死にたかったのか、不思議だ。
あの女の子も何かの事情で自殺を考えているのだろうか・・・。
そんなことを考えていると一人の看護師が悟の元に近づいてきた。
「先ほど運ばれてきた女性に関係した方ですか?」
「あ、はい。偶然見つけて、一緒に来ました。」
「意識が戻ったみたいですよ。警察の方がお話を聞いてるみたいなので、その後ならお話できるかもしれません。」
「ありがとうございます。お部屋はどこですか?」
「先ほど処置室から病棟に移されました。特別室の○号室です。」
「特別室?」
「空き部屋がそこだけだったので・・・。意味はありません。」
「意識が戻って良かった。後で顔を出してみようかと思います。面識はないんですけどね。」
看護師が去っていた後、悟は売店に寄って時間をつぶしがてら何かお見舞いになるようなものはないかと物色した。
あ、名前聞かなかったな・・・。
悟は、そんなことを思いながら商品の陳列棚をぼんやりと眺めていた。
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