手袋

尾八原ジュージ

バルブロ・ゴーエン

 大きな木製の扉を押して公会堂の正面玄関を出ると、バルブロ・ゴーエンの目前一杯に、色とりどりのモザイクタイルが敷かれた広場が広がった。

 ムルジャンの首都はそのままムルジャンという。ここは首都ムルジャンのほぼ中心に位置する大きな広場で、ごく単純に「中央広場」と呼ばれている。政府観光局のウェブサイトにも掲載されている観光地だが、今日は寒いせいか人影はまばらだった。

 大理石でできた外階段を踏みしめると、バルブロの左足の義足が、ギリッと不快な音をたてた。彼は手すりを掴み、ゆっくりと階段を下り始めた。

 まだ世間では働き盛りと言われる年齢なのに、バルブロの仕草はまるで老人のようだった。彫りの深い顔には大きな火傷の痕があり、はしばみ色の左目は正面を見据えたまま動かない。義眼なのだ。しかし緩慢な動きは、決してその身体的ハンディキャップのためだけではなかった。

 階段を下りながら、彼の視線は自然と広場の中心に向かった。華やかな幾何学模様に覆われた広場の中で、その一点だけは青一色のタイルが丸く敷き詰められ、まるで海水が湧き出してきたように見える。それは「ここは特別な場所だ」ということを示す目印だった。

 首都ムルジャンで公開処刑が行われるとき、処刑台は必ずここに建てられる。バルブロはかつて首斬り役人としてそこに立ち、首都で行われる処刑のほとんどを担当していた。

 タイルの小さな海は、バルブロの引退の原因になった五年前のある事件で破壊されたのち、また元のように修復された。その当時は直した部分だけがやたらと色鮮やかで、通院のためにここを通りかかるたび、彼をしばらくぎょっとさせたものだ。しかし幸いにも歳月を経るうちに少しずつ色あせ、今ではかなり周囲に溶け込んできたように見える。

 一月の冷たい風が一陣、バルブロの左半身に吹きつけた。コートの袖から出た指先が凍え、彼は去年捨てた手袋のことを思い出した。ずっと使っていたものが破れてしまい、それを捨てて以降は手袋なしで暮らしている。寒いことは寒いが、新しいものを買う気がどうしても起きないのだ。

 もっともそれは手袋に限った話でなく、彼のコートもその下に着ている服も、ほとんどが五年以上前に購入されたものだった。当時と比べてかなり筋肉が落ち、痩せてブカブカになっているが、それでも彼が新しいものを買うことはめったになかった。

 階段を下り終える前に、バルブロは一度正面玄関を振り返った。扉の上に渡された「ムルジャン王立大学67期生 定例発表会」と書かれた横断幕が、上向きになった彼の目にまっすぐ入った。

 その仰々しい書体を眺めているうち、彼の脳裏に、壇上に立つイレーネ・マツモトの姿がよみがえってきた。

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