第29話 ―真実という名のフェアリーテイル―

「おはよう、ゆうな。準備はいい?」



 我が家の前に駐めた車の中から、鉢川はちかわさんが結花ゆうかに声を掛けた。


 茶色い髪を、ツインテールに結って。

 ピンク色のチュニックと、チェックのミニスカートを身に纏って。


 結花は――和泉いずみゆうなは、ぺこりとお辞儀をした。



「ご迷惑をお掛けします、久留実くるみさん。よろしくお願いしますっ!」



 ――『カマガミ』からの突撃を受けた翌日。

 結花はこれから、『60Pプロダクション』の事務所に行って……偉い人たちに詳しい事情を説明するらしい。


 俺と結花が、婚約していることも。

 俺と結花が、同棲していることも。


 すべての真実が、これで――事務所にも知られることになる。



 そんな緊張からか、目の前にいる結花の手は……少しだけ、震えてる。



「……鉢川さん。ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「ん? なぁに、遊一ゆういちくん?」



 だから俺は、腹を括って。

 鉢川さんに向かって――頭を下げた。



「今回の件は、俺も当事者だから……お願いです! 俺も結花と一緒に、事務所へ連れていってください!!」



          ◆



 車を降りて、鉢川さんに連れられるがまま、事務所に入ると……やたらと広いラウンジに通された。



「それじゃあ、わたしから六条ろくじょう社長にお願いしてくるから。ゆうなと遊一くんは、このラウンジで待ってて」


 平然とそんな風に言って、鉢川さんは事務所の奥へと向かっていく。



「あ、あの! 自分からお願いしといてなんですけど……マジで大丈夫なんですか?」


「……分かんないわよ、聞いてみないと。めちゃくちゃ怒られる可能性だってあるし……はぁ。クビになったら、婚活でもはじめようかなぁ」



 ため息交じりに、そんなぼやきを口にして。

 鉢川さんは振り向きざまに――俺たちにウインクをしてきた。



「ま。気にせず任せてちょうだいって。わたしのことなら、気にしなくていいから。だって、わたしは……和泉ゆうなのマネージャーなんだもの」



 そうして、鉢川さんがいなくなった後。

 俺と結花は、ラウンジに置かれた椅子に、それぞれ腰掛けた。


 声優事務所なんて、慣れないもんだから。

 そわそわとあたりを見回しつつ、鉢川さんの帰りを待っていると――。



「――遊一まで来ているとは、思わなかったわ」



 聞き覚えのある、クールな声とともに。

 ゴシックな服を身に纏った紫ノ宮しのみやらんむが――俺たちの前に姿を現した。



「ら、らんむ先輩!? なんで、らんむ先輩が――」

「……今回の件は、私にも責任のあることだから。私の独断でここに来たの」



 腰まである、紫色のロングヘアを翻して。

 なんでもないことのように、紫ノ宮らんむは言い放つ。



「……そんなことして、大丈夫なのかよ?」


 淡々としてるけど、結構とんでもないことしようとしてないか?

 そんな風に思うけど、紫ノ宮らんむは――平然と告げた。



「大丈夫かどうかは、関係ないわ。私は紫ノ宮らんむ。やりたいことを、やるべきことを……全力でやり通す。それが私の生き様だもの」


「――なんだか随分と、騒々しいじゃないか」



 俺と結花と来夢らいむが、三人で話していると。


 カツカツと靴音を鳴らしながら、グレーのスーツを身に纏った女性が歩いてきた。


 パーマの掛かった、金色に近い茶髪。

 右の目元にあるホクロは、なんだか大人の色気を感じさせる。



「って、らんむ!? なんであなたまで、ここにいるの!?」

「――すみません、鉢川さん。だけど、私には……最後までこの件を見届ける、義務があると思うので」



 後ろからついてきた鉢川さんは、かなり動揺してるけど。

 もう一人の女性は、まるで動じることなく――涼しい顔をしている。



「構わないよ、鉢川。今回の件、紫ノ宮も関わっているのだろう? 事務所として大きな対応をする以上、情報は多いに越したことはない。話を聞かせてもらおうじゃないか」



 結花が勢いよく立ち上がり、姿勢を正した。

 俺もそれに合わせて席を立ち、女性の方に向き直る。



「社長。彼は遊一くんと言いまして――」


「聞かなくても、大体分かるよ。君が『恋する死神』……和泉の『弟』なんだろう? 初めまして。私は六条ろくじょう麗香れいか。この『60Pプロダクション』の、代表取締役を務めている」


「は、初めまして。このたびはご迷惑をお掛けして、申し訳ありません……」


「気にする必要はないよ。君も和泉も、もちろん紫ノ宮も――誰ひとり悪くないさ」



 落ち着き払った喋り方。

 余裕に満ちたその雰囲気。


 さすがは『60Pプロダクション』の社長……何もしてないっていうのに、気圧されそうになる。



「六条社長――本当に、すみませんっ!」

「和泉、頭を上げたまえ。さっきも言っただろう? 私は誰も、責めるつもりはない」


 穏やかなトーンでそう言うと、六条社長は優雅に微笑んだ。



「和泉も紫ノ宮も……確かに、アイドル的な活動をしている声優だ。だが、どんなに華々しく活躍しようとも――舞台をおりれば、ただの人間。ただの人間の色恋に、ルールを課すことほど、馬鹿げたことはないだろう? だから、『60Pプロダクション』としては――和泉。君のことを、護りたいと思っているよ」


「あ、ありがとうございます! 六条社長!!」


「…………だが。ひとつだけ、覚えておいてほしい」



 そこで。

 六条社長は、一気に声のトーンを落として、言い放った。



「君たちは、ただの人間だけれど――ファンにとっては、偶像だ。偶像をどう捉えるかは、人それぞれ。だからこそ、こうなった以上……今までどおり、ファンが笑顔で迎え入れてくれるとは限らない。その覚悟は必要だよ――和泉」


「六条社長! 今回の件は、私の過失が招いたもの……ゆうなだけが炎上するなんて、納得できないです!」



 いつにない剣幕で、来夢が声を荒らげた。



「冷静な紫ノ宮らしくないね。たとえ事情があろうとも、明るみになったゴシップがすべてだよ。ファンにとっては……ね」


「動画がアップされる前に、『カマガミ』を止めることはできないんですか!?」


「アップロードされれば、速やかに法的な対応を取るよ。その準備は、既にはじめている。だが――動画がアップロードされる前に止めることは、現実的に難しい」



 どんなに声を上げようと、返ってくる答えは非情なもの。

 そんな現実に、来夢は強く歯噛みする。



「……ありがとうございます、らんむ先輩。だけど、大丈夫です――分かってたことですもん」



 結花が眉尻を下げて、消え入りそうな声で言った。

 そんな結花の姿に――俺は指が折れそうなくらい、拳を握り締める。



 ――――ファンが笑顔で迎え入れてくれるとは限らない。



 頭では分かっていた。けれど、改めて耳にすると。


 たくさんの笑顔をファンに届けてきた、和泉ゆうなにとって……それはあまりにも、残酷すぎる現実だった。



 そうして俺が、力なく立ち尽くしていると――――。



「……あ、いたいた。麗香、移動するなら声を掛けてよ。どこに行ったのかと思ったわ」

「――ああ。すまない、ケイ。つい先にはじめてしまった」



 張り詰めていたラウンジの空気が、一気に柔らかなものに変化した。

 それほどまでに、新たに聞こえてきた声は――穏やかで優しいものだった。



「……真伽まとぎ、さん」



 来夢が小さな声で、呟いた。


 真伽さん――結花や来夢の口から、何度か聞いた名前だ。


 俺たちが物心つくより前に、日本中を沸かせたトップモデル――真伽ケイ。


 アニメとかゲームしか興味がないもんだから、申し訳ないことに顔も知らないけど。




 …………なんでだろう?


 この声――どこかで聞いたことがある気がする。




「ケイ、紹介するよ。彼が『恋する死神』――ゆうなのファンで、交際している相手だ」


 六条社長に名前を呼ばれて、俺は一歩前に出た。

 そして俺は、初めて……真伽ケイと対面した。


「初めまして、『恋する死神』さん。私は真伽ケ――」





 真伽ケイが、言葉に詰まった。



 ――――そして。



 俺と真伽ケイは、同じタイミングで、言った。





「――――遊一?」

「…………母さん?」





 聞いたことのある声だった。

 見覚えのある顔だった。

 忘れるわけがなかった。




 真伽ケイ。


 彼女の本名は――佐方さかた京子きょうこ




 ――――――――俺の、母親だ。

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